常夜の街と称される前、吉原は「常雨(とこう)の街」と呼ばれていた。男を悦ばせる手練手管の限りを尽くした遊女が実は純情で、内心涙の雨を降らせているに違いない──客達のそんな希望的観測が、「常雨の街」という呼称を定着させた。

「いらっしゃい、銀さん」

 店先に水を撒いていた日輪は、吉原の救世主である坂田銀時がやって来ると満面の笑みを浮かべながら出迎えた。お礼がしたい、という日輪の言葉に釣られ吉原を訪れた坂田の目尻は下がりきっている。

「よォ。どぎついプレイにも耐えられる美人はどこだ?」
「そう焦りなさんな。晴太、案内よろしくね」
「うん!銀さん、こっちだよ」
「ガキに案内させるたァ、えげつねえ女将さんだな」
「私が案内するには、ちょいと不便な場所なのよ」
「不便?」
「銀さん早くー!」
「おー」

 頭をかきながら歩き出した坂田は、晴太に続いて厨房の隣にある階段を下り始めた。日輪の言葉の意味を理解した坂田は、蝋燭の朧気な灯りを頼りに地下へと向かう。階段を下りた坂田の目の前には、まるで理性と本能を隔てているかの如く重厚な扉。生唾を飲み込みながら扉を開いた坂田は、三指をつきながら頭を下げる遊女を目の当たりにすると更に鼻の下を伸ばした。

「この度は吉原を救ってくださって、ほんにありがとうござんした」
「お前は…!」

 頭を深々と下げていた遊女の顔が明らかとなった瞬間、坂田は幼少期の記憶が一気に呼び起こされる感覚に陥りながら目を見開いた。松下村塾で共に学び、共に笑い、そして互いに想い合っていた福富詩乃を目の前にした坂田は、驚きのあまり次の言葉を見つけられずにいる。おもむろに立ち上がった詩乃は、たおやかな笑顔を浮かべながら坂田に殴りかかった。

「あっぶね」

 反射的に詩乃の手首を掴んだ坂田は、間髪入れずに振りかぶられたもう片方の拳をすんでのところでガードした。刹那、股間を膝蹴りされ、青ざめながらうずくまる坂田。

「な、何しやがんだ……」
「塾が焼き払われたすぐ後、村が天人に襲撃されたの。目の前で親と弟が殺された、でも私の事は殺してくれなかった。高く売れるからって。そいつらに連れてこられた吉原で、日輪と出会った。それから数年後、共謀して晴太を外の世界に送り出した私達は罰せられた。日輪は足を奪われる事で、私は地下送りにされる事でお互いの命が護られた」

 地下送り──それは、遊女にとって死よりも残酷な事である。特殊な性的嗜好を持つ客を満足させる事、それが地下送りにされた遊女の役目。詩乃の胸の傷は、相手を流血させる事で快楽を感じる桁外れの加虐心を持つ客につけられたものだった。
 股間の痛みをこらえながら起き上がった坂田は、抑揚のない声で言葉を紡いでいた詩乃を無言で押し倒した。着物の襟をはだけさせた坂田は、露わになった胸元の古傷にそっと唇を寄せる。俺が護ってやる──そんな幼い頃の約束が、坂田の罪悪感を駆り立てた。

「……ごめん」
「何で謝るの?」
「護ってやるとか言いながら、護ってやれなかった」
「銀時だって、色々あったんでしょ?私だって、色々あったよ。でも、それが何だって言うの?お互いに色んな事を乗り越えて、こうしてまた会えたんじゃん。私は、それが一番嬉しい」

 幼い頃のような一点の曇りもない笑みを浮かべた詩乃は、坂田の頬を両手で包み込みながら口付けを求めた。





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