夕飯時の食堂には、真選組のむさ苦しさが凝縮されたような圧迫感が充満している。ただひたすら男臭かった屯所の空気を変えたのは、一年ほど前に女中としてやって来た朝比奈奏。若い女が同じ屋根の下にいるというだけで、隊士達の喜びようは常軌を逸していた。連日に渡って歓迎会を開いたり、洒落た店で買ってきたいかにも女受けしそうな菓子を事あるごとに差し入れたり。いついかなる時も、誰に対しても平等に接する朝比奈の笑顔の裏には一体何が──。

「土方さん、麦茶のおかわりいかがですか?」

 反射的に振り向いた瞬間、背後から覗き込むように声を掛けてきた朝比奈と至近距離で目が合ってしまった。思い浮かべていた人間が不意に目の前に現れるのは、かなり心臓に悪い。

「ああ、頼む」
「はい」

 今日も一日、お疲れ様でした──満面の笑顔のおまけ付きで注がれた麦茶は、さっきと同じものであるはずなのになぜか格別に美味く感じた。隣の机に移動した朝比奈は、原田達と談笑しながら麦茶を注いで回り始める。今日も今日とて、原田の声はよく通っていた。

「なあ、奏ちゃんって誕生日いつなんだ?」
「実は明日なんですよ」
「マジでか、誕生日会しねェとな!久々にパーッとやろうぜ」
「奏ちゃんの都合も考えましょうよ。お祝いしてくれる相手がいるかもしれないじゃないですか」
「いえ、そういう相手はいません。明日、楽しみにしてますね」

 あっけらかんと笑った朝比奈は、やかんが空になったらしくそのまま厨房の方へと去っていった。茶碗に少し残っていた白米を掻っ込んだ後に飲み干した麦茶は、やはり別格の美味さを感じる。夕飯を終え食堂を出ると、無意識の内に玄関へ向かって歩き出していた。
 屯所近くにある大江戸モールのかんざし屋の前、男一人での入店が精神面において困難である事を察する。立ち止まりながらどうしたものかと考えていると、いかにも今時な装いの店員が軽い足取りで歩み寄ってきた。

「いらっしゃいませ!よろしかったら、店内でゆっくりご覧になっていってくださいね」
「あ、ああ」

 無視して立ち去るわけにもいかず意を決して足を踏み入れた店内には、色とりどりのかんざしが所狭しと並べられていた。朝比奈に似合う色は何だろうか、そもそも誕生日プレゼントにかんざしっつーのもどうなんだ?──考えれば考えるほど浮かび上がる疑問が、水に垂らした絵の具の如く脳内に広がっていく。朝比奈ならどの色でも似合うわな──そんな事を考えながら出口の見えない迷路を彷徨っていると、営業スマイルを浮かべた店員が歩み寄ってきた。

「彼女さんへのプレゼントですか?」
「いや、そういうんじゃ……」
「それでは、奥様ですか?」
「奥っ!?」
「どちらにせよ、大切な方への贈り物ですよね?」
「あー……まあ」

 大切な方──何気なく発せられたその一言で朝比奈が自分の中でどんな存在か気付いた瞬間、雷に打たれたような感覚が頭から爪先まで駆け巡った。いつから?何をきっかけに?どんなところに惹かれた?──そんな事、いくら考えても答えは出ないだろう。いつの間にか大切な存在になっていた、きっかけなんかいくらでも転がっていた、気付いたら朝比奈の全てに惹かれていた──何も難しく考える事はない、それが答えだ。

「これがいい」
「ありがとうございます。贈り物用にお包みしましょうか?」
「ああ、お願いします」
「かしこまりました。少々お待ちくださいませ」

 会計を済ませると、店員は慣れた手付きでかんざしを包装し始めた。澄み渡る青空に似た色をしたとんぼ玉が付いたかんざしは、いつも太陽のように笑っている朝比奈にきっと似合うだろう。包装してもらったかんざしを懐にしまいながら店を出た瞬間、不意に「朝比奈はこれを受け取ってくれるだろうか」という疑問が浮上した。
 もしも受け取ってもらえなかったら、どうする?自分でつけるか?──そんな事を考えながらモールの出入り口へ向かって歩いていると、ケーキ屋のショーケースが目に飛び込んできた。そうだ、先にケーキを渡して反応を伺うか。ショートケーキやチーズケーキやフルーツタルトなど、無難な種類を選んで購入し再び帰路に就く。屯所へ戻ってくると、シャンプーか何かの匂いを漂わせる風呂上がりの朝比奈と食堂の前で鉢合わせた。

「土方さん!どこかへ行かれてたんですか?」
「あ、ああ、まあ……これ、食うか?」

 買ってきたケーキを差し出すと、袋を見ただけでどこの店のものかわかったらしい朝比奈は目を輝かせながら満面の笑みを浮かべた。

「わあ、ここのケーキ大好きなんです。ありがとうございます!土方さん、この後って何か予定ありますか?」
「いや、特にねーな」
「それなら、縁側行きましょう。今日、流星群が見えるんですよ」
「ああ、そうしよう」

 コーヒーいれてから行くので、先に行って特等席とっておいてくださいね──受け取ったケーキの箱を大事そうに抱えながら歩き出した朝比奈は、食堂の奥にある厨房へと姿を消した。一足先に辿り着いた縁側の真ん中で腰を下ろし、懐から取り出したかんざしを月明かりにかざす。
 朝比奈には、これから先もずっとあの笑顔で笑っていてほしい。そのためには、傷が浅く済む内に身を引いた方がいいだろう。よしんば気持ちが通じ合ったとしても、常に死と隣り合わせの立場に置かれている俺では朝比奈を幸せにする事なんか──。
 夜の闇に引きずり込まれてしまいそうな感覚に溺れかけていると、ふと耳に届いた朝比奈の足音が負の感情を蹴散らしていった。

「どうしましょう、土方さん」

 珍しく悩ましげな様子の朝比奈は、二人分のコーヒーとケーキを並べた皿の乗った盆を互いの間に置きながら縁側に座った。

「ひとつに絞り込めません」
「お前に買ってきたんだ、全部食っていいんだぞ」
「みっつ一気に食べるのは厳しくないですか?」
「今どれかひとつ食って、残りは明日にでも食えばいいだろ」
「おいしいものをおいしい内に食べるのが、朝比奈流の食への礼儀なんです」
「あー、一理あるかもな。朝比奈が嫌じゃなけりゃ、半分こするか?」

 口元を手で覆いながら目を見開いた朝比奈は、そのまま勢い良く顔を背けた。同じ場所で働いているだけという俺が半分こを提案するなんざ、烏滸がましい事この上なかったのかもしれない。

「悪ィ。嫌だよな、半分こなんか」
「え、あっ……嫌じゃないです。むしろ逆です」
「逆?」
「あっ、いえ、その……「半分こ」って言った時の土方さんが可愛らしくて、何だか新鮮で……思わずにやけちゃって」
「か、可愛いって……」
「すみません、男性に向かって「可愛い」なんて失礼ですよね」

 そうじゃない、俺にとっては照れたように笑うその横顔の方が何百倍も可愛いんだ──そんな事など言えるはずもなく、一口分のチーズケーキを乗せたフォークを口元に運びながら空を見上げた。刹那、雲ひとつない夜空を一筋の箒星が切り裂いた。

「あっ……見ました?今の」

 同じものを見たであろう朝比奈は、興奮したように声を弾ませながら顔を覗き込んできた。同じものを見て、芽生えた感情を共有する──それは、箒星のように刹那的で尊いものなのかもしれない。どこからともなく聞こえてきた柱時計の音が、朝比奈の誕生日を迎えた事を示していた。

「朝比奈」
「何でしょう?」
「誕生日、おめでとう」

 たとえ何十回とある内のたった一回だとしても、一番に朝比奈の誕生日を祝える事をこの上なく幸せに思えた。ありがとうございます──そう言ってかんざしを受け取った朝比奈は、嬉しそうに頬を緩ませながら包装を解いていく。月明かりにかざしたとんぼ玉を色んな角度から眺め始めたかと思いきや、かんざしを咥えながら慣れた手付きで髪の毛をまとめる朝比奈。朧気な月明かりでも、そのかんざしが朝比奈に似合っている事は明白だった。

「俺の目に狂いはなかったな」
「これ、土方さんが選んでくださったんですか?」
「当たり前だろ」
「……やだなぁ、もう」
「え?」
「諦めきれなくなっちゃうじゃないですか、土方さんのこと」

 一つ、また一つ夜空を横切っていく箒星が、負の感情を掻っ攫っていく。やがて、夜空を埋め尽くさんばかりの流星群が俺の中で燻っていた朝比奈への思いを爆発させた。

「……奇遇だな。俺も諦めようと思ってたんだ、お前の事」
「え……?」
「そのかんざしを買いに行った時に気付いちまった、朝比奈を好きだって事に。正確にはその前から好きだったんだろうな、でも俺ァその感情に蓋をして気付かない振りをしてた。いつおっ死ぬかもわかんねー俺が、お前の事を幸せにしてやれるはずねェってな。けど今、お前の笑ってる顔見てたら諦めるのを諦めたくなっちまった。だから朝比奈も、諦めんの諦めてくんねーか」
「っ……もちろんです。私も、土方さんのことが大好きです」

 夜風に揺れる前髪が、嬉しげに細められた優しい目元が、頬を伝う涙の一粒一粒が、それを拭う小さな手が──もとい、朝比奈の全てが愛おしく思えた。衝動的に抱き締めた小さな身体から伝わってくる朝比奈の体温が、微かに残っていた不安や焦燥を綺麗に洗い流していく。夜空を駆け抜ける無数の箒星が、互いの体温を確かめ合うように身を寄せる俺達を静かに見下ろしていた。





彩都様へ捧げます。
泡沫夏祭りへのご参加、本当にありがとうございました。






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