十数年に渡り繰り広げられていた攘夷戦争は、じりじりと戦力を削られていった攘夷陣の敗退という形で静かに幕を下ろした。敗北を喫してもなお縋り付くように戦場に留まっていた坂田は、地面に水柱が生じるほど激しく叩き付ける雨を全身で受け止めながら項垂れていた。見渡す限りの暗雲から降り注ぐ黒い雨が、坂田の頬にこびりついた誰のものともわからない血を洗い流していく。刀を握り締めながら天を仰いだ坂田は、遣り場のない感情をぶつけるかの如く地鳴りのような咆哮を上げた。

「あああああああああっ!!」

 絶え間なく降り注ぐ黒い雨が、坂田の雄叫びを嘲笑うかのように掻き消していく。坂田の頬を絶え間なく伝い落ちる液体は、雨か、はたまた──。
 ──奏の自宅へ向かう道すがら、坂田は不意に甦った数年前の記憶を消し去るかのように頭を振った。時刻は深夜一時、坂田は奏が眠りについたタイミングを見計らっての訪問を企てている。その実、坂田はこの一カ月間、奏と会うどころか音沙汰もなく行方をくらませていた。それまで「互いの時間が合えば」という形で、週に二回から三回は顔を合わせていたにもかかわらず、である。二日、乃至は三日起きに送られてくる奏からのメールを、高杉晋助や虚との死闘の中では確認する事さえ出来ずにいた。
 罪悪感を抱きながら奏の自宅の前に立った坂田は、音を立てないようゆっくりと合鍵を挿し込んだ。ゆっくりと玄関の扉を開け、懐に合鍵をしまいながら慎重に履物を脱ぐ坂田。居室に繋がる扉を開けた坂田は、ベッドで眠る奏に忍び足で歩み寄る。ベッドの縁に腰を下ろし、静かな寝息を立てながら眠っている奏の頭をそっと撫でる坂田。頭を撫でられる心地好い感触に意識を呼び起こされた奏は、ゆっくりと目を開けながら坂田を見やった。

「悪ィ、起こしちまったか」
「ううん、大丈夫」

 暗がりの中、上体を起こした奏は寝ぼけ眼のまま縋り付くように坂田を抱き締めた。どこにいたの?何があったの?──次から次へと浮かび上がる疑問を押し殺すかのように、坂田の胸に顔を埋める奏。

「いてて」
「怪我してるの?」
「まあ、ちょっとな」
「大丈夫?」
「ああ、大した事ねーよ」
「……ねぇ、またどっか行っちゃうの?」

 どこか名残惜しげに坂田から離れた奏は、今にも泣き出しそうな表情を浮かべながら震える声でそう問うた。あえてこの時間帯を選んで訪れた坂田の真意を汲み取った奏は、複雑な表情を浮かべながら顔を伏せる。涙を堪える奏を前に、ただただ困ったような笑みを浮かべる坂田。きっとまたすぐに出掛けてしまうであろう坂田をこれ以上困らせまいと、深呼吸しながら心を落ち着かせた奏は、いつもと変わらない穏やかな笑みを浮かべた。

「変な事聞いて、ごめん。そうだ、次に帰ってきたら何食べたい?」
「んー……豚汁かな。もちろん、豚肉いっぱいのな」
「わかった。おいしい豚汁作って待ってるから、だから……」

 お願い、死なないで──声に出せばそれが現実になりかねないという不安を抱いた奏は、朗らかな笑顔の裏に本音を隠しながら自分をも騙そうとした。しかし、奏の気持ちを代弁するように頬を伝う一粒の涙が坂田の心を揺さぶる。慌てて涙を拭う奏を半ば強引に抱き寄せた坂田は、彼女の頭をそっと撫でながら声を絞り出した。

「ごめんな、無理に笑わせちまって」
「……ほんとだよ、もう。次に帰ってくる時は、バーゲンダッシュ買ってきてね」
「ああ、任せろ」

 奏を抱きすくめながら唇を重ね合わせた坂田は、未練を断ち切るかのように勢い良く立ち上がった。歩き出した坂田の手を引き寄せた奏は、バランスを崩した彼の首に腕を回しながら唇を求める。
 ……ばか──すぐに坂田を解放した奏は、遠ざかっていく彼の背中を見送りながらそう呟いた。二人の間に広がる夜の闇は、いつか荒れ果てた戦場に降り注いだ黒い雨にどこか似ていた。





和泉様へ捧げます。
泡沫夏祭りにご参加いただき、本当にありがとうございました。






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