夕飯のおかずを巡り、熾烈な争いを繰り広げる銀時と神楽に呆れたような視線を向けた定春は、深い溜め息をつきながら廊下へと続く襖を開けた。おもむろに歩き出した定春は、玄関先で佇んでいる着物姿の幼女に気付くと目を見張りながら足を止めた。引き戸の開閉音も立てず、まるで煙の如くそこに現れた幼女に警戒心を抱き、大きな犬歯を剥き出しにしながら唸り声を上げる定春。定春の威嚇をものともせず朗らかな笑顔を浮かべた幼女は、両手を目一杯開きながら駆け出した。

「わんこ!」

 満面の笑みを浮べながら突進してくる幼女に怯んだ定春は、困惑しつつ慌てて犬歯を収めた。頬を無遠慮に撫で回す幼女の手のひらの感触はなぜか伝わらず、かろうじて感じるほんのわずかな温もりが定春を更に困惑させた。

「な……何なんだよ、こいつ」
「「こいつ」じゃないよ、奏だよ」

 会話が成立した事に驚きを隠し切れない様子の定春を尻目にキャッキャと笑った奏は、小さな手のひらを艶のいい鼻に添えながら彼の目を覗き込んだ。

「お前……俺の声、聞こえるのか?」
「うーん、何となくニュアンスが伝わってくる感じ。テレパシーみたいな」
「何者だ、お前」
「座敷童子」
「座敷童子って……福をもたらすっていう、あれか?」
「そうそう、それそれ。私、フリーの座敷童子なの」
「フリー?」
「代々栄えてる家系には、専属の由緒正しい座敷童子が憑いてるんだ。わかりやすいとこだと、徳川家とか。座敷童子の世界にも、格式やら何やらあるわけよ。私みたいなパンピーは、一般家庭を転々としなきゃいけないの」
「へ、へえ……座敷童子界も大変だな」
「でしょー?でも、君に会えてとても嬉しいんだ。人間とは喋れないから、いつもちょっと寂しくてさ。でも、たまーにこうして人ならざる者同士で話せたりするんだ。だから、この家に君がいてくれて嬉しい」
「俺のことは「君」じゃなくて定春って呼んでよ」
「そっか、定春っていうんだ。素敵な名前だね」

 そ、そうかな──照れくさそうに顔を背ける定春だったものの、ふわりふわりと左右に揺れる尻尾は心の底からの喜びを表していた。神楽達と言葉を交わせない事にもどかしさを感じていた定春にとって、奏は正しく救世主だった。人間ならざる者同士、二人は寄り添うように毎日を過ごしている。よく晴れた日には、窓から射し込む太陽の光のもと、ひなたぼっこしながら昼寝をした。

「定春は、もし人間の言葉が話せたら神楽ちゃん達に何て伝えたい?」
「うーん、何だろう……ありきたりで何の捻りもないけど、「ありがとう」かな」
「シンプルだね。私が思うに、もう伝わってるんじゃないかな」
「そうかな?」
「うん、きっとそうだよ」
「そうだといいなぁ」

空の機嫌が悪い日は、雨の音を聞きながら取り留めもない話で盛り上がっていた。時折、何もない空間に向かって戯れるような仕草をする定春を、銀時達は不思議そうに見つめていた。奏がやって来てから一カ月が経った頃、坂田家の家計は火の車となり、定春のドッグフードの量も目に見えて節約され始めた。

「こんなんじゃ、お腹いっぱいにならないよ」
「でも定春、何となく楽しそう」
「楽しそう?まさか……でも、ここに来てから退屈した事はないかな」
「ここって、今まで住み着いてきた中で一番しっちゃかめっちゃかなお家だけど、ダントツ楽しいもん。そりゃ退屈しないよ」
「奏が加わってから、もっと退屈しなくなった。でも、奏とご飯が食べられればもっと退屈しないんだろうな」
「ごめんね、私がご飯食べられればよかったんだけど」
「ううん、違うんだ。初めて俺の言葉を聞き取ってくれたのが、奏でよかった」

 そこはかとなく照れくさそうな笑顔を咲かせた奏は、居室のすみで丸くなった定春に寄り添いながらそっと目を閉じた。翌日──天井裏から落ちてきた猿飛あやめを正座させた坂田は、不法侵入をするなといった旨の説教を繰り広げていた。

「不法侵入だなんて、未来の嫁に何てこと言うのよ銀さん」
「誰が未来の嫁だよ、未来も来世もテメーと結ばれるつもりなんざねーよ」
「何ですって!?それなら私、銀さん専属の座敷童子になるわ。そうすれば、銀さんとずーっと一緒にいられるもの」
「ふざけんな。お前、不幸しかもたらさなそうじゃん。座敷童子っつーより座敷雌豚じゃん」

 銀時と猿飛のやり取りに噴き出した奏は、腹を抱えながら笑い声を上げた。銀時と猿飛が弾かれたように振り向いた瞬間、奏は反射的に口を塞ぎながら押し黙る。

「……今、子供の笑い声聞こえなかった?」
「きっ……気のせいだろ」
「でも、銀さんも振り向い」
「てねーよ。勘違いだ。ほら、さっさと出てけ。俺ァ忙しいんだ」

 むくりと起き上がった定春は、遠ざかっていく銀時と猿飛の足音に聞き耳を立てながら奏を覗き込んだ。いつの間にか口を押さえていた手を下ろした奏は、何事もなかったかのように定春に朗らかな笑みを向ける。背筋を目一杯伸ばし、そのまま定春にもたれ掛かりながら目を閉じる奏。何も声を掛ける事が出来なかった定春は、やり切れない気持ちを抱きながら心に蓋をするように目を閉じた。
 その夜、ふと目を覚ました定春は奏の温もりが消えている事に気付き、慌てて居室を飛び出した。襖を引っ掻く音で足を止めた奏は、困ったような笑みを浮べながら振り向いた。

「……起きちゃったか」
「奏、どこ行くんだ?」
「次のお家。座敷童子は、存在してる事が人間にバレたら消えてしまうの」
「まだバレてないじゃん。嫌だよ、行かないで」
「ごめん、定春。私、行かなきゃ。私が消えたら、定春の声を、定春のほんとの気持ちを知る存在がいなくなってしまうもの」
「そんな……俺、もっと奏のそばにいたいんだ」
「私だって、出来る事なら定春とずっと一緒にいたいよ。でも、最初から気付いてたんだ。この家は、私なんかいなくても充分幸せが溢れてるって。定春は、私と出会う前からとっくに幸せだったんだって。でも、定春と友達になりたくなってしまったんだ。最初は三日間だけって決めてた、でもそれが一週間になって、一カ月になって……本当は、もっと早くにここを去らなきゃいけなかった」
「……わかった。でも、さようならは言わないよ」
「うん。またいつか、会いに来るね。ありがとう、定春」
「こちらこそ、ありがとう。奏」

 奏が定春の顔に抱きついた瞬間、二人の目から零れ落ちた涙が真っ白い毛で覆われた頬に音もなく吸い込まれた。刹那、奏の温もりに包み込まれていた定春の顔を、どこからともなく吹きつけた優しい風がふわりと撫でた。固く閉じていた瞼を恐る恐るこじ開けた定春の目の前には、奏の姿は既になく、ぼんやりとした月明かりに照らされた玄関が広がっていた。
 それから数カ月が経った頃、暇を持て余した桂小太郎が用もなく万事屋を訪れた。薄目を開けながら微睡んでいる定春の視界に、見覚えのある小さな足が入り込む。反射的に顔を上げた定春は、大きな瞳を輝かせながらはち切れんばかりに尻尾を振り動かした。










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