入学式から数日後、浪漫学園では全学年を対象にした身体測定及び健康診断が一斉に行われていた。二時限目の終了を告げるチャイムが鳴り始めた頃、全ての検査を終えた奏は、共に回っていたクラスメートと別れ中庭にある自販機の前へやって来た。財布から取り出した小銭を投入口に入れながら、視線を巡らせる奏。お気に入りの缶ジュースを発見した奏よりも先に、背後から伸ばされた何者かの指先が缶コーヒーのボタンを押した。

「はあ!?」
「ごっそーさん」

 缶コーヒーのボタンを押した犯人である堀は、目を白黒させながら振り向く奏に悪魔のような笑みを向けた。見る見るうちに不機嫌になっていった奏は、舌打ちしながら取り出した缶コーヒーを堀に渡した。

「はい、どーぞ。後輩にたかるなんて、良い趣味してますね」
「冗談だって、んな怒んなよ。ほら、好きなもん選べ」

 不貞腐れる奏をなだめた堀は、苦笑しながら自販機に500円玉を投入した。すかさず一番高いペットボトル飲料のボタンを押した奏は、愕然とする堀に悪戯な笑みを見せつけた。

「ごちそうさまでーす」
「お前それさっき選ぼうとしてたやつと違うじゃねーか」
「過去は振り返らない主義なんで」
「現金な奴だな……健康診断、終わったのか?」
「はい。去年より3ミリ伸びてました」
「3ミリとか誤差の範囲だろ」

 受け取った診断表に目を通した堀は、呆れたような返答をしながら奏にそれを返した。診断表が奏の手に渡った刹那、小さな紙が芝生の上に落ちる。しゃがみ込んだ奏が拾い上げたそれは入部届用紙で、既に彼女の氏名と「演劇部」という三文字が記入されていた。

「堀先輩ってなかなかの策士ですね」
「褒めんなよ、照れるだろ」
「褒めてないです」
「今日、新しい演目の稽古するから見に来いよ」
「えー」
「鹿島の王子姿が拝めるぞ」
「遊ちゃんの王子姿かぁ……」
「そこで迷うのか」
「眼福ですからね、遊ちゃんの王子姿」
「特等席、用意しといてやる」
「最前列って事ですか?」
「まあ、そんな感じだな。じゃ、絶対来いよ。待ってるからな」

 飲み終えた缶コーヒーをゴミ箱に投げ捨てた堀は、奏の肩に手を置きながら歩き出した。堀の後ろ姿を見送った奏は、吹き抜ける風に心地好さを感じながら目を閉じる。見学には行きたくないが鹿島の王子姿は見たい──そんな葛藤に苛まれながら迎えた放課後、演劇部の活動が行われている体育館へやって来た奏。中の様子を窺うように出入り口から顔を覗かせる奏に気付いた堀は、そこはかとなく嬉しそうな笑みを浮かべながら彼女に歩み寄った。

「来ると思った」
「遊ちゃんの王子姿見たさにはかないませんでした」
「この際、理由は何だっていい。もうすぐ始まるぞ」

 なぜか奏に台本を手渡した堀は、鼻歌交じりに歩き出すと鹿島や他の部員達がいる舞台袖へと彼女を案内した。

「奏!」
「あ、入学式で代表挨拶してた子だ」
「今回の劇のヒロイン、1−Cの朝比奈奏だ」
「はい?」
「へー、奏がヒロインやるんだ」
「鹿島君、知り合い?」
「うん、一緒に暮らしてる従妹」
「騙したな!」
「人聞き悪い事、言うなよ。紛れもなく最前席だろ」
「舞台にめり込んでる最前席なんて見た事ありませんけど」

 今回は国語の教科書を朗読する感じで構わない、10分後に始まるからそれまでに一通り読んでおいてくれ──目を白黒させる奏に対し矢継ぎ早に指示を出した堀は、裏方の部員達を集めながら最終的な打ち合わせをし始めた。困惑を隠せないまま台本を読み込む奏に歩み寄った鹿島は、気遣うような表情を浮かべながら彼女を覗き込んだ。

「奏、大丈夫?」
「あんまり大丈夫じゃない」
「だよね……堀先輩、たまに突拍子もない事言い出すからなー。まあでも、奏は前から絵本の読み聞かせとか上手だし何とかなるよ。それに、今回の劇はヒロインのセリフ二言くらいしかないし」
「あ、そうなの?それなら何とかやれそうな気がする」
「私も出来る限りフォローするからね」
「うん、ありがとう」

 安心したような笑みを浮かべた奏は、舞台中央に向かって堂々と歩き出す鹿島の背中を見送りながら小さく手を振った。しばらくして堀に背中を押された奏は、それまでの流れを断ち切るまいと大きな声でセリフを読み上げる。それこそ教科書の朗読とさして変わりはなかったものの、奏が演技をする楽しさを見出すのには充分だった。最後のセリフを言い終え、舞台袖に移動した奏の瞳は、まるでクリスマスプレゼントをもらった子供のようにキラキラと輝いている。緊張とはまた違う感情で震える手のひらを見下ろしていた奏は、満足げな笑みを浮べながら歩み寄ってくる堀に気付くとばつが悪そうに明後日の方向を見やった。

「随分と顔付き変わったな」
「……正直、ちょっと楽しかったです。ちょっとだけ」
「だろ?どうだ、入部する気になったか?」
「うーん……まだ決心つかないんで、一晩考えてもいいですか?」
「ああ。じゃあ、明日の昼休みにでも朝比奈のクラス行くわ」
「あ、いえ。待たせてしまうのはこっちの都合なんで、私が伺います」
「そうか。そしたら、3−Cまで来てくれるか?時間はいつでもいい」
「はい、わかりました」

 堀と約束を取り交わした奏は後片付けを手伝い、部室でミーティングをするという堀達と別れ軽い足取りで昇降口に向かった。通り掛かった3年生の教室で告白劇を目撃し、そこはかとない照れくささを感じながら歩調を早める奏。体育館で行われた通し稽古の様子を思い返した奏は、込み上げる高揚感に顔を輝かせながら一気に階段を駆け下りた。



続く






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