幼馴染みであり姉のように慕っていた沖田ミツバの死から半年、武州を出た土方奏は真選組の勘定方兼雑用係として多忙極まれり日々を送っていた。朝から隊士全員分の給与算出に勤しんでいた奏は、残すところ役職者のみとなったところで眼鏡を外しながら目頭を押さえる。仕事でパソコンを使うようになり視力が落ちてしまった奏は、必要な時のみ眼鏡をかけるようになったのだった。まるでタイミングを見計らったかのように事務室を訪れた土方十四郎は、紫煙を燻らせながら一枚の書類を奏に差し出す。特別残業手当申請書──そう題された書類に目を通した奏は、確認印を押しながら口を開いた。

「これって、こないだの伊東さんの一件で発生したやつですか?」
「ああ。ギリギリになっちまって悪ィな」
「いえ、沖田隊長の分の算出はこれからだったんで大丈夫です」
「サンキュ。この後、ついてきてもらいてェとこがあるんだけど良いか?」
「はい。これ終わらせたら、副長室に伺いますね」
「おう、よろしくな」

 足早に去っていく土方の後ろ姿を見送った奏は、眼鏡をかけ直しながら残りの人員の給与算出に取り掛かった。兄妹とはいえ仕事上は上司と部下にあたるため敬語を遣わなくては、と思い立った奏が現状に慣れたのはつい最近の事。土方本人や他の隊士達は特に気にしていなかったものの、義理や礼節を重んじる奏は馴染みのなかった「兄に対する敬語」を少しずつ時間をかけながら会得していった。隊士全員分の給与の算出を終え、眼鏡を外しながら立ち上がる奏。上着を羽織りながら事務室を出た奏は、土方が待っている副長室を訪れた。

「失礼します。お疲れ様です」
「おう、お疲れ。行くか」
「はい」

 言葉少なに立ち上がった土方は、 用意しておいたパトカーの鍵を手に取りながら歩き出した。後に続くように歩き出した奏は、前を行く土方の背中を見つめながら遠い昔に思いを馳せる。武州の畦道で眺めていた少年時代の土方の後ろ姿と現在の彼の背中が重なって見え、無意識の内に頬を緩ませる奏。パトカーの運転席に乗り込んだ土方は、助手席に座った奏がシートベルトを締め終えるのを見届けながらアクセルを踏み込んだ。

「どこに行くんですか?」
「ああ、悪ィ。そういや言ってなかったな。私用みてェなもんだから、敬語で話す必要ねーよ」
「あ、そうなんだ。友達に会いに行くとか?」
「ダチなんて生易しいもんじゃねェよ。万事屋だ」
「万事屋って、何回か話聞かせてくれたよね。何か依頼しに行くの?」
「いや、報酬渡しにな。ただ、奴と顔合わせるとぶん殴りたくなっちまうんだ」
「あー、ストッパー役が必要って事か」
「情けねーが、そういう事だな。仮にも野郎は一般市民で、尚且つ奴の悪知恵たるや天下一だ。もし殴っちまったら、恐らく懲戒免職じゃ済まされねェ」

 苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた土方は、溜め息をつきながらかぶき町方面へ向かってハンドルを切った。万事屋付近のコインパーキングにパトカーを停め、軽く打ち合わせをしながら歩き出す土方兄妹。早くも苛立ちを隠せずにいる土方をなだめながら階段を上った奏は、引き戸の隣に設置されているチャイムを人差し指で押した。程なくして姿を現した志村新八は、目を丸くしながら土方と奏を交互に見やる。新八に対してはさほど敵対心を抱いておらず、落ち着いた声色で訪問の理由を明かす土方。奏を連れ立った理由も何となく悟った新八は、にこやかに微笑みながら土方達を迎え入れた。

「銀さーん、土方さんがお見えですよ」
「はあ!?」
「邪魔するぞ」
「お邪魔します」

 本当に邪魔なんだけど──そう言いかけた坂田銀時は、土方に続いて姿を見せた奏に気付くとばつが悪そうに口を閉ざした。ソファの上で寝転がりながら週間少年ジャンプを読んでいた坂田の向かい側に土方兄妹を促し、台所へ向かう新八。新八に礼を述べた奏は、面倒臭そうに上体を起こす坂田に頭を下げながら名刺を差し出した。

「初めまして。真選組で経理をしております、土方奏と申します」
「ご丁寧にどうも」

 さり気なく私用の携帯電話の番号を走り書きした名刺を差し出した坂田は、受け取った奏のそれをまじまじと見つめながら首を傾げた。人数分の緑茶と茶菓子を用意した新八は、張り詰めた空気を気に留める事なく各々の前に湯呑みを置いていく。名刺から奏へ、奏から土方へ、そして土方から再び奏へ──数秒間で視線を転々とさせた坂田は、訝しげな表情を浮かべながら口を開いた。

「で、今日は何の用で?」
「こないだの報酬、渡しに来ただけだ。用が済んだらすぐ帰る」

 報酬を包んだ封筒を貧乏揺すりしながら坂田に差し出す土方に、奏はそこはかとなく不安を押し殺したような眼差しを向けた。封筒を受け取るべく伸ばした手を引っ込ませた坂田は、何やら考え込むように小さく唸りながら奏に目をやった。

「あっ、その節は兄がお世話になりました」
「あ、何、お宅ら兄妹なの?」
「はい、兄や隊士達がいつもお世話になってます」
「どっちかっつーと、世話してんのこっちだけどな」
「んだと!?」
「兄ちゃん、トラブルは起こさないでね。坂田さん」
「んな他人行儀な呼び方すんなよ、奏ちゃん」
「奏ちゃん!?」
「はあ、じゃあ銀時さん。どうか報酬をお納めください」

 今にも殴り掛かりそうな雰囲気を醸し出しながら坂田の前に封筒を置いた土方は、用は済んだと言わんばかりに勢い良く立ち上がった。封筒を手に取りながら立ち上がった坂田は、不敵な笑みを浮かべつつ土方に報酬を突き返した。

「何やってるんですか、銀さん」
「どういう了見だ」
「金はいらねー。代わりに、奏ちゃんをもらう」
「ふざけんのも大概にしろ」
「ふざけてねーよ。テメーが兄貴って事以外、もろタイプなんだよ」
「テメーのタイプなんざ知るかよ。奏が欲しけりゃいっぺん死んで真人間に生まれ変わってこい」

 咥えた煙草に火をつけながら再び歩き出した土方の背中を困惑の眼差しで見つめていた奏は、頬に苦笑いをたたえつつ坂田の方に向き直った。

「今の、冗談ですよね?兄を怒らせるための」
「半分な。奏ちゃんがタイプってのは本当」
「正気ですか」
「ああ。一言で言えば、素直で仕込み甲斐のある子」
「何を仕込むんですか?」
「知りたい?」
「今は遠慮しときます。それじゃあ、そろそろお暇しますね。兄が色々とすみませんでした」
「おう、また来てな」

 ふわりと微笑みながら頭を下げた奏は、階段を下り始めた土方を足早に追いかけていった。コインパーキングへ向かう道すがら、おもむろに足を止めながら振り向き奏の姿を確認する土方の仕草は、二人が幼い頃から何一つ変わっていない。脳裏をよぎる幼い頃の記憶に頬を緩ませた奏は、助手席に乗り込むとシートベルトを締めながら彼の顔を覗き込んだ。

「銀時さん、兄ちゃんが思ってるほど悪い人じゃない気がする。ていうか、兄ちゃんもそれに気付いてるから報酬渡しに来たんでしょ」
「さあな。今日はついてきてもらっちまったけど、あんまりあいつと関わんなよ」
「自分が誰と仲良くするかは、自分で決めたいな」
「あー……そっか、奏ももう大人だもんな。野暮な事言って悪かった」
「ううん、心配してくれてありがとう」

 屈託のない笑みを浮かべる奏を一瞥した土方は、僅かに頬を緩ませながらハンドルを握り直した。久方振りとなる兄と過ごす時間に喜びを感じながら、窓の外を流れる景色を穏やかな眼差しで眺める奏。水面に反射した太陽の光のようにきらきらと輝いた眼差しで遠くを見据える奏の心は、土方の兄心と坂田の悪戯心で満たされていた。



続く






back/Top
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -