定休日の、早朝六時──スナックお登勢の前に停めたワゴン車を降りた奏は、軽快な音を立てながら金属製の階段を駆け上った。 チャイムを押した奏は、朝の澄んだ空気を吸い込みながら坂田が出てくるのを待つ。十分間に渡り何度かチャイムを鳴らした奏の前にようやく現れたパジャマ姿の坂田は、眉間に皺を寄せながら腫れぼったい目で彼女を睨み付けた。

「んだよ、奏かよ……朝っぱらから何の用だよ」
「これから食材仕入れに行くんだけど、手伝ってくれないかな」
「断る」
「そこを何とか。万事屋なら、これくらい朝飯前でしょ」
「リアル朝飯前はおねむの時間に決まってんだろうが。つーかお前、昨日あんだけ飲んどいて何でそんな元気なわけ?」

 昨日、朝十時──暴風雨のため急遽臨時休業を決意した奏に呼ばれ店を訪れた坂田は、それから約十二時間ぶっ通しでカクテルやビールを飲み続けていた。レパートリーを増やしたいという奏とただひたすら酒を飲みたい坂田の利害が一致した事で実行されたものの、帰る頃には二人共ぐでんぐでんに酔っ払ってしまっていたのだった。二日酔いで今にも死にそうな顔をしている坂田とは対照的に、雨上がりの朝日に負けないほど爽やかな眩しい笑顔を浮かべる奏。結局、奏の頼み事を無碍に出来ず同行する事と相成った坂田は、いつもの着流しを身に纏うと彼女が待っているワゴン車の助手席に乗り込んだ。

「私、二日酔いなった事ないんだよね」
「化け物かよ」
「そうかもね」

 悪どい目つきで坂田を一瞥した奏は、破顔一笑しながらアクセルを踏み込んだ。全身を包み込むような心地好い振動に身を任せながら目を瞑り、健やかな寝息を立て始める坂田。眠っている坂田に気が付いた奏は、頬を緩ませながらハンドルを握り直す。かぶき町から小一時間ほど車を走らせたところにある市場に辿り着くと、奏は坂田の肩を揺さぶりながら声を掛けた。

「銀時、起きて。着いたよ」
「ん?ああ……悪ィ、寝ちまった」

 くぐもった声でそう呟いた坂田は、大きなあくびをしながら背筋を伸ばした。促されるまま車を降り、軽やかな歩調で前を歩く奏に重い足取りでついて行く坂田。ずらりと並べられた色とりどりの青果や新鮮な魚介類を見渡しながら歩いている奏が、脇道から飛び出してきたターレットトラックに轢かれそうになった瞬間、坂田は慌てて彼女の腕を引き寄せた。

「危ねェな、前見て歩けよ」
「ごめんね、ありがとう」

 そのまま奏の手を握り締めた坂田は、肩を並べながら歩き出した。昔はほとんど同じだった二人の肩の位置が、今では坂田の方が遥かに高くなっている。行きつけの青果店の前で立ち止まり、真剣な眼差しで野菜や果物を吟味する奏。店の奥から出てきた店主は、いつもと違い男連れで来店した奏に好奇の表情を浮かべた。

「いらっしゃい、奏ちゃん」
「おはようございます、おやっさん」
「うっす」
「おう、いらっしゃい!彼氏連れなんて、初めてじゃねェか?」
「いやいや、ただの幼馴染みです」
「するってェと、アレかい?前に言ってた、ずーっと忘れらんねェっていう……」
「おやっさん、玉ねぎと人参とトマトとじゃがいもとイチゴくださいな」
「おっと、すまねェ。無粋な真似しちまったな。イチゴ、サービスしとくよ」
「いつもすみません、ありがとうございます」

 見ている者まで幸せな気分になってしまいそうなほど朗らかな笑顔を浮かべた奏は、会計を済ませると頭を下げながら商品を受け取った。奏の持っている荷物を手に取った坂田は、さり気なく指先を絡ませながら歩き出す。花屋の前で立ち止まった奏は、野原を駆け回る少女のような笑顔を咲かせながら店員に頭を下げた。

「おはようございます」
「おっ、奏ちゃん。いつもありがとな。今日は彼氏連れか?」
「いつも妻が世話んなってます」
「おい」
「奏ちゃん結婚してたの!?」
「まさか。ただの腐れ縁の幼馴染みです」
「手ェ繋いでんのに?」
「まあまあ、細かい事はいいじゃないですか。チューリップとかすみ草、くださいな」
「はいよっ」
「あ、かすみ草マシマシでお願いします」
「おう、任せときな」
「ありがとうございます」

 ふわりと微笑みながら会釈をした奏は、真っ白なかすみ草の中心に赤や黄色のチューリップが挿されていく様子を愛おしそうな眼差しで見つめた。完成した可愛らしい花束を受け取り、四方山話をしながら会計を済ませる奏。いくつかの店を周り、大量の荷物と共にワゴン車へ戻ってきた二人は、そこはかとなく名残惜しげに繋いでいた手を放した。奏が持っていたキーケースを横取りし運転席に乗り込んだ坂田は、エンジンをかけながらシートベルトを締める。帰路も運転するつもりだった奏は、慌てて助手席に乗り込みながら口を開いた。

「運転してくれるの?」
「ああ」
「ありがとう、よろしくね」

 穏やかな笑みを浮かべた奏は、窓の外を流れる景色を眺めながら更に目を細めた。幼い頃の面影を残しつつ大人の色香も兼ね備えた奏の横顔を一瞥した坂田は、進行方向に視線を戻しながら口を開いた。

「さっき八百屋のおっちゃんが言ってた「ずーっと忘れらんねェ」って、何の事だ?」
「言ってたっけ、そんな事」
「忘れた振りすんなよ」
「……何年か前にね、お見合い勧められた事があってさ。その時に、「忘れられない人がいるから」って断ったの」
「それが俺ってわけか」
「うん、そういうこと。あ、でも別にどうこうなりたいとかじゃなくて、銀時が笑っててくれるなら私はそれで……」

 満足だから──そう紡がれるはずだった奏の言葉は、赤信号で停車したワゴン車の中、おもむろに身を乗り出した坂田の唇に遮られた。宙を彷徨っていた奏の手が、おずおずと坂田の背中に回される。短いクラクションの音で我に返り、どちらからともなく離れながら至近距離で見つめ合う二人。無言で座り直した奏は、無意識の内に指先で唇をなぞりながら外の景色に目をやった。



続く

チューリップ【永遠の愛】
かすみ草【夢見心地、清らかな心】






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