川岸に漂着した小舟の中、ゆっくりと目を開けた奏は、四方から覗き込んでいる子供達を鳩が豆鉄砲を食らったような顔で見上げた。小鳥のさえずりのような高い声を発しながら、散り散りに逃げ回る子供達。ここ、どこ?──そう言おうとしながら河原に降り立った奏は、声が出せなくなってしまっていた事を思い出す。しかし、まるで奏の声が聞こえたかのように振り向いた子供達は、母犬に群がる子犬の如く彼女の周りを取り囲んだ。

「ここはね、賽の河原っていうんだよ!」
「賽の河原って、あの賽の河原?」
「そう!」
「そっか、賽の河原……ていうか、お姉ちゃんの声聞こえるの?」
「聞こえなーい」
「でも、頭の中に伝わってくるんだ」
「へえ、そうなんだ」
「ねえねえ。遊ぼうよ、お姉ちゃん!」
「俺、鬼ごっこやりたい!」

 子供達の勢いに押され気味な奏の耳に、聞き覚えのある足音が聞こえてきた。

「ごめんなさい、そのお姉ちゃんは帰らなければならないところがあるの。後で、私と遊びましょう?」
「えー、そうなの?」
「お姉ちゃんと遊びたかったなぁ」
「ミツバ姉ちゃん、待ってるからねー!」

 河原に沿って自生している竹林の奥から姿を現したミツバは、花が咲いたような笑みを浮かべながら奏に歩み寄った。眼球が飛び出さんばかりに大きく見開いた目でミツバを見つめる奏の視界の片隅で、じゃんけんをした子供達は野原を飛び交う蝶々のように走り回り始めた。

「……それで、どうして奏がここにいるのかしら?」

 優しい口調でそう問うたミツバは、たおやかな笑みを口元にたたえながらも、何もかもを見透かされてしまいそうなほど真っ直ぐな眼差しで奏を見つめた。幼い頃、悪戯をして叱られた時のような緊張感に支配される奏。蛇に睨まれた蛙のように身体を強張らせた奏は、土方にの身に起きた異変から沖田と共闘するまでの一部始終を洗いざらい打ち明けた。

「そう、そんな事があったの……それで奏はここへ来てしまったのね」
「うん。でもお姉ちゃん、賽の河原って子供の魂が送られてくるところだよね?」
「ええ、そうよ。ただ、稀に大人も送られてくる事があるみたい。例えば、寿命に満たないのに亡くなってしまった大人とか。身体と魂が完全に切り離されてない状態のまま、こっちの世界に来てしまったとか。きっと、あなたは両方ね」
「うーん、そうなのかな……でも、戻ったとしても私の居場所なくなっちゃってるかもしれないし。土方さんに避けられるくらいなら、このままここにいたいな」
「こら。何、いつになく弱気になってるの」

 今にも泣き出しそうな顔で俯いた奏を力いっぱい抱き締めたミツバは、彼女の背中を撫でながら柔らかな笑みを浮かべた。

「大丈夫。あなたは私の妹なんだから。あなたは、総ちゃんのお姉ちゃんなんだから。奏までいなくなってしまったら、総ちゃんはどうなるの?」
「総悟なら何だかんだ上手くやってくよ」
「もう、どうしてあなた達は仲良く出来ないの。だめよ、戻らないと」
「うん、わかった……ていうか、お姉ちゃん元気そうだね」
「こっちの世界では病気も何もないから、生きてた頃より元気よ」
「そっか、会えて良かった。じゃあ、そろそろ行くね」
「すいませーん、成仏キャンセル入りましたー」

 身体を離しながら三途の川の上流に向かって声を張り上げたミツバは、右往左往している奏を船に乗るよう促した。言われるがまま、川岸に乗り上がっていた小舟を川の方へ押しつつ飛び乗った奏は、溢れんばかりの笑みを浮かべながら賽の河原に佇むミツバを見やった。

「総ちゃんと十四郎さんに、よろしくね。近藤さんにも、隊士の皆さんにもよ」
「うん、わかっ」

 別れの挨拶を交わし終わらない内に上流から流れてきた鉄砲水が、地響きのような音と共に奏を乗せた小舟を掻っ攫っていった。奏の姿が見えなくなるまで手を振り続けていたミツバは、そこはかとなく寂しげながらも穏やかな笑みを浮かべ、鬼ごっこをしている子供達に歩み寄る。奏を乗せた小舟は、絶え間なく押し寄せる鉄砲水に流されながら暗闇へと飲み込まれていった。
 病院の一室で意識を取り戻した奏の視界に飛び込んできたのは、三日三晩睡眠を取らず、目の下にクマを作りながら彼女を看病していた土方の顔だった。

「奏……!」

 厠や湯浴みで席を外す以外ほとんど片時も離れず奏の様子を見ながら過ごしていた土方は、すぐさま彼女の覚醒に気付き、ナースコールを連打した。ナースコール越しに奏が目覚めた事を報告し、不安げな表情を浮かべながら彼女の顔を覗き込む土方。元に戻ったんですね──奏の喉から絞り出されたのは、普段の朗らかな声ではなく隙間風のような吐息だった。

「お前、声どうした?」

 顔を曇らせながら首を横に振った奏は、病室に駆け込んできた担当医や看護師に目を向けた。触診や問診を行いながら、奏の容体を確認する担当医。背中の傷と声が出ない事を除けば概ね回復した奏の顔から、酸素マスクが外される。早期復帰を熱望する奏に対し、抜糸が済むまでは内勤でのみ働く事という条件を呑むのであれば明日にも退院してもいいという旨の診断を下した担当医は、看護師を引き連れながら病室を後にした。ベッド横のキャビネットに置かれていたメモ帳とペンを手に取った奏は、困惑の色を隠せずにいる土方のため筆談をし始める。時間を短縮するため、奏は普段使っている敬語を封印した。

『声、出ない』
「出ねェって、何でだよ」
『土方さんに避けられたのと、総悟が伊東さんと組んだのとで、たぶん精神的なアレだと思う』
「言い訳がましくなっちまうけど、好きで避けてた訳じゃねェんだ。新しく買った刀がたまたま妖刀で、一時的に魂食われちまってて……ごめんな」
『ちゃんとした理由がわかって良かった。土方さんが悪いわけじゃない。教えてくれて、ありがとう』

 どこか照れくさそうに心情を書き連ねた奏は、掲げたメモ帳で顔の下半分を隠しながら天真爛漫な笑みを浮かべた。七分咲きの笑顔を咲かせたままメモ帳にペンを走らせ、賽の河原でミツバと再会した事を打ち明ける奏。賽の河原での一部始終を把握した土方は、くつくつと笑いながら口を開いた。

「何なんだよ、成仏キャンセルって」
『黄泉の国も夢の国も、畑は違えど根は同じサービス業なのさ』
「くだらねェな」
『ハハッ』

 どちらからともなく噴き出した土方と奏は、顔を見合わせながら満開の笑顔を咲かせた。夕食を終え、退屈でありながらも心地好い空気が流れる中、『どうせ宿泊するならここで一緒に寝ればいい』と提案する奏。二つ返事で同意した土方は、病院から借りた宿泊者用のベッドを奏のベッドの隣に並べた。

「手、出せ」

 言われるがまま掛け布団の中から出された奏の手を土方が握り締めると同時に消灯時間が訪れ、病室は夜の闇に支配された。イエスなら一回、ノーなら二回握り返せ──そう言いながら、指を絡ませる土方。指示に倣って土方の手を握り返した奏は、背中の傷を優しく撫でられるような感覚に陥りながら、落ち着いた声で紡がれていく今回の騒動の一部始終を聞いていた。全てを話し終えた土方は、カーテンの隙間から射し込んだ青白い月光が夜の闇に浮かび上がらせる奏の横顔を真っ直ぐな眼差しで見つめた。

「幻滅したか?妖刀ごときに負けちまう弱っちい野郎だって」

 その問い掛けを真っ向から否定するように力強く土方の手を二回握り締めた奏は、身体ごと向きを変えながら一点の曇りもない瞳で彼を見つめ返した。暗がりでもわかるほど澄み渡った青空のような奏の瞳に見入っていた土方だったものの、手の平に伝わる彼女の温もりが寝不足だった彼を微睡みの中へと溺れさせていく。そのまま深い眠りに包み込まれていった土方が目を覚ましたのは、窓から射し込む朝日の洗い立てのような光が室内の空気を温め始めた頃だった。一足先に目を覚まし、看護師の手を借りながら湯浴みを済ませた奏は、外の景色を眺めながら髪の毛を梳かしている。寝起きでぼんやりとしている土方は、朝日に照らされた絹糸のような美しい髪の毛が揺れる下、奏の背中から大きな白い羽が生えているような錯覚に陥った。

「随分と早起きだな」

 土方の声が聞こえ反射的に振り向いた奏は、蕾が花開くような柔らかい笑みを浮かべながらぺこりと会釈した。朝の穏やかな空気が流れる中、朝食を食べ終えた二人は退院手続きを済ませ、病院を後にする。病院前のターミナル沿いに連立する木々の生み出す木漏れ日が、肩を並べながらタクシーを待つ二人に降り注いだ。

「奏」

 心地好い木漏れ日に頬を緩ませていた奏は、首を傾げながら土方を見上げた。

「好きだ」

 横目で奏を一瞥した土方は、照れくさそうに顔を背けながら後頭部を掻きむしった。突然の告白に目を白黒させた奏は、高鳴る心臓を落ち着かせるように胸をおさえながら土方の袖を握り締めた。

「まだ完全に取り憑かれてなかった時、何でか奏の前だと妖刀に呑み込まれちまってたんだ。俺自身が気付くよりも先に、奏が弱点になっちまってた事バレてたんだろうな。それでやっと気付いたよ、お前が好きなんだって。病室で目ェ覚ますの待ってる間も、何でお前の気持ちから逃げちまってたんだろうってずっと後悔してた」

 奏の手を握り締めながら言葉を紡いだ土方の瞳の奥には、憑物が落ちたかのように晴れやかな光が宿っていた。

「これからは、お前の気持ちからも自分の気持ちからも絶対に逃げねェ。奏、俺と付き合ってくれ」
「……はい!」

 感涙に咽びながら力強く頷いた奏は、やっと声が出せるようになり、涙を流したまま満面の笑みを浮かべた。涙で濡れた目元を拭い、大きな手を握り返しながら土方に寄り添う奏。目の前に停まったタクシーに乗り込んだ二人は、しっかりと手を繋いだまま取り留めもない話をしながら屯所へと向かっていった。










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