武州から上京した沖田ミツバは、婚約者である蔵場当馬の自宅前でかつて想いを寄せ合っていた土方と鉢合わせし、彼の目の前で倒れてしまった。蔵場家で静養していたものの体調が回復に向かわないミツバは、大江戸病院への入院を余儀なくされた。ミツバの担当医に呼び出された沖田と奏は、慌てて大江戸病院へ駆け付けた。

「非常に申し上げづらいのですが、お姉さんの病状は非常に良くありません」
「……何とか助けてやれませんか」
「病の進行を遅らせられる薬はありますが、副作用による身体への負担がとてつもなく大きいです。ただでさえいつ容体が急変してもおかしくない状態ですので、投薬治療も難しいかと」
「血だろうが何だろうが、いくらだってくれてやりまさァ。先生、お願いします。どうか、姉上を助けてくだせェ」
「総悟」
「……申し訳ありません」
「あんた医者だろ?病人治すのが医者の役目じゃねェのかよ!」

 感情を露にしながら医師に掴み掛かる沖田の腕をそっと握り締めた奏は、瞳孔が開き切った目で沖田を見つめた。滅多に怒らない奏の静かな憤りを感じ取った沖田は大人しく椅子に座り直し、膝の上で拳を握り締めながら医師の話に耳を傾ける。ミツバの命の灯火がいつ消えてしまってもおかしくないという実情を知った沖田と奏は、放心しながら病院を後にした。奏の後ろを歩く沖田は、やり場のない鬱憤を彼女の背中にぶちまけた。

「姉貴、あんた変わったな。姉上が苦しんでるってのに顔色一つ変えねェなんてよ。いつからそんな冷てェ人間になっちまったんだよ」
「……ごめんね」

 おもむろに足を止め、振り向きながら沖田に謝った奏は、そこはかとなく寂しげな笑みを浮かべていた。夕方になり、雑務が一段落ついた奏は中庭で風にあたっていた。ぼんやりと夕焼けを眺めていた奏の耳に、どこからともなく竹刀を激しく打ち付け合う音が届く。音のする方へと近付いていった奏は、剣道場で竹刀を交えつつ会話する土方と沖田の話し声に耳を傾けながら膝を抱えた。ミツバの婚約者である蔵場の経営している転海屋が不逞浪士を相手に闇取引をしている疑いがあるという事、そしてその取り引きが明日にも行われるという事を知った奏は、音を立てないよう細心の注意を払いながら剣道場から走り去る。無意識の内に大江戸病院へ戻ってきていた奏は、恐る恐るミツバの病室を覗き込んだ。

「あら、奏じゃない。どうしたの?」
「足りないものがあったら、買ってこなきゃって思って」

 ベッドの上で座りながら窓の外を眺めていたミツバは、奏に気付くと嬉しそうに微笑んだ。当たり障りのない返答をしながら丸椅子に腰を下ろした奏は、何もかもを見透かしてしまいそうなほど澄んでいるミツバの眼差しから逃れるように作り笑いを浮かべた。

「ごめんなさいね、忙しいのに迷惑かけてしまって」
「忙しくないし、迷惑なんかじゃないから大丈夫」
「忙しくないなんて、うそ。山崎さんから聞いたわよ、奏はたまに心配になるくらい頑張ってるって。あなたのそういうところ、昔から変わってないのね。少しは甘えてくれたって、いいのに」

 返答に困り曖昧な笑みを浮かべた奏は、伏し目がちになりながらバツが悪そうに頭をかきむしった。本当に、ごめんなさい──声を詰まらせながら謝るミツバを、奏は驚いたような眼差しで見つめ返した。

「私ね、気付いてたの。奏が十四郎さんを好きだって」
「え、そ、そうなの?」
「ええ。だって奏、十四郎さんの話をする時とても可愛かったもの。すぐに気付いたわ。でも私は、あなたの気持ちを知っていながら十四郎さんを……」

 顔を伏せたミツバの目元に滲んだ涙を慌てて指先で拭った奏は、屈託のない笑みを浮かべながらおどけてみせた。

「私もお姉ちゃんの気持ちに気付いてたから、おあいこだね」
「ふふ……やっぱり似てるわね、奏と十四郎さん」
「いやー、それはないでしょ」
「そうかしら?本心を隠しているところとか、そっくりだと思うわ。あなたは笑顔に、十四郎さんは眉間の皺に隠しているけれど……今も、十四郎さんのこと好きなんでしょう?」
「……うん、好き」
「私はもう幸せを掴んだわ。だから今度は奏の番。十四郎さんの事、よろしくね」
「ありがとう、お姉ちゃん。ちょっと、お手洗い行ってくるね」

 込み上げる涙を堪えつつ足早に病室を飛び出した奏は、そっと閉めた扉に寄りかかりながら力無く座り込んだ。膝に顔を埋め、握り拳で向こう脛を殴打しながら気持ちを鎮ませる奏。やがて落ち着きを取り戻し、深呼吸を繰り返しながら顔を上げた奏は、いつの間にか目の前にしゃがみ込んでいた坂田と視線がぶつかり合うなり腰を抜かしてしまった。扉に寄りかかりながらイチゴ牛乳をラッパ飲みした坂田は、昨今の心労が見え隠れする奏の横顔を見やった。

「奏ちゃん、ちょっと無理しすぎなんじゃねーの」
「いえ、そんな事は……私達って、三人姉弟じゃないですか。お姉ちゃんは総悟にとっても私にとっても「お姉ちゃん」で、総悟はお姉ちゃんにとっても私にとっても「弟」で。でも、真ん中の私って、お姉ちゃんにとっては「妹」で、総悟にとっては「姉貴」なんですよね。昔から、その二つの肩書きを持てる事が何となく嬉しかったんです。それが誇りでもあるから、ここまで頑張ってこれたんです」
「そっか。奏ちゃんは、姉弟想いなんだな」

 何気なく発せられた一言が、坂田を見上げながら笑っていた奏の瞳から光を奪い去っていった。

「ねえ、旦那。死に行く姉を置いて、その旦那をしょっ引きに行こうとしてる私は薄情でしょうか」
「少なくとも、俺ァそうは思わねェな。ただ、少しでも迷ってんならやめとけ」

 ミツバの幸せを願う気持ち、法を破った蔵馬に対する憤り、真選組の一員としての義侠心と誇り──ありとあらゆる感情に押し潰されそうになりながらも、必死に自分と向き合う奏。そんな奏の頭を軽く撫でた坂田は、病室で待っていたミツバに激辛せんべいを差し入れする。しばらく坂田と談笑していたものの、急に容体が悪くなり、吐血しながら倒れ込むミツバ。異変に気付き慌てて病室に飛び込んだ奏は、血まみれになりながら気を失うミツバと、鬼気迫った様子でナースコールに呼び掛ける坂田を呆然と見つめた。すぐさま我に返った奏は、ストレッチャーに乗せられながら集中治療室へ運ばれるミツバの後を足早に追いかける。近藤と共に病院へ駆け付けた沖田は、集中治療室で医師や看護師達に囲まれているミツバを発見した刹那、絶望ともとれる表情を浮かべた。
 翌日、再び病院を訪れた近藤は、昨日と全く同じ位置から全く同じ姿勢でミツバを見守る沖田と奏に優しく声をかけた。

「総悟、奏、いい加減お前らも休め」
「……それじゃあ、お手洗い行ってきます」
「おう、ごゆっくりな」

 数十分後──集中治療室の前で近藤と沖田の間を通り抜けた奏は、厠ではなく、白バイにまたがりながら夜の埠頭を訪れていた。転海屋と不逞浪士の闇取引が行われている場所を詳しく知らない奏は、目撃情報を元に埠頭の倉庫街を虱潰しに捜索している。静まり返る波止場に銃声が響き渡った瞬間、白バイを乗り捨てた奏は死に物狂いで走り出した。
 何百も建ち並ぶ倉庫の合間を縫うように駆け抜けながら、絶え間なく聞こえてくる銃声や爆発音を頼りに土方を探し回る奏。足を撃ち抜かれ動けなくなってしまった土方を発見した奏は、彼に向かって武器を構えながらにじり寄る不逞浪士達めがけてロケットランチャーを見舞った。

「奏、お前っ……!」
「話は後にしてください。こっちです」

 二発目のロケットランチャーを撃ち込んだ奏は土方に肩を貸し、辺りに立ち込める白煙に紛れながら敵の包囲網から脱出した。しかし、怪我を負っている土方を連れての逃走はおろか、無数にある敵の目を欺く事も容易ではなく、すぐに追い付かれてしまう。土方の背中を押した奏は、迫りくる不逞浪士達と対峙しながら刀と短刀を抜いた。

「無茶すんな、奴らの中には飛び道具持ってるのもいるんだぞ」
「それが何だって言うんですか。共倒れになるより、よっぽどマシでしょ。手足もがれようが命が尽き果てようが、あなたを護り通すのが私の役目です。私は私の役割を全うします。だから土方さんも、あなたにしか出来ない事だけを考えて前に進んでください」
「万が一にも死にやがったら、切腹だからな。地獄だろうが何だろうが、必ず見つけ出して介錯してやる」
「……土方さん、大好きです」

 無数の銃声にかき消された奏の告白は、撃たれた足を引きずりながら走り出す土方の耳に確かに届いていた。互いに背中を向けながらも、まるで示しを合わせたかのように、死地に身を置いている者とは思えないほど豪気な笑みを浮かべる二人。土方の背中を護るべく、四方から降り注ぐ弾丸を両手で握り締めた刀でいなすように捌いていく奏は、全身の至る所を弾が掠めようとも腕の動きだけは止めなかった。土方達を援護するため戦闘に乱入した近藤は、奏を取り囲む不逞浪士達にロケットランチャーを撃ち込む。銃弾の雨から解放され、荒々しい呼吸を繰り返しながら膝からくずおれる奏。奏の隣にしゃがみ込んだ近藤は、戦闘を眺めながら彼女の身体を支えた。

「随分と遠くの厠まで来たもんだな」
「なかなかの大物だったもんで」
「全身血まみれになるくらいの大物って、どんだけだよ」
「流石に死を覚悟しました」
「馬鹿野郎、誰がお前を死なせるかよ」

 安心したような笑みを浮かべた近藤は、一人では立っている事さえままならない奏に肩を貸しながらパトカーに戻った。車内で応急処置を受けた奏は、合流した沖田や土方らと共に病院へ直行する。数時間前まで慌ただしかった集中治療室にはもう医者達の姿はなく、ミツバに繋がれていたチューブや呼吸器も取り外されていた。集中治療室に入ったところで立ち止まった奏は、ミツバに駆け寄る沖田の背中をただただ見つめている。幼い頃から、ミツバに駆け寄る沖田の後ろ姿を少し離れたところから眺める事が奏にとっての幸せだった。それが今は、奏の心をずたずたに切り裂いていく。ミツバの命が静かに燃え尽きた瞬間、生気を失った彼女の手を握り締めながら泣き崩れる沖田。歯を食いしばりながら涙を堪えた奏は、集中治療室の前で待機していた近藤達に深く頭を下げた。
 ミツバの葬儀は、話し合いの結果、故郷である武州で執り行われる事になった。近藤、土方、沖田、奏のたった四人で行った葬儀は、特に滞る事もなくしめやかに遂行された。こうして四人で集まれる事はなかなかないから、と異例ではあるものの納骨まで済ませた近藤達は、帰りの汽車の発車時刻まで思い思いの時を過ごしていた。

「やっぱりここにいたか」

 かつて近藤の父親が営んでいた剣術道場の跡地を訪れた土方は、昔のように大木の枝に座りながら景色を眺めている奏に声を掛けた。土方の声にぴくりと反応した奏の頬は大きなガーゼに覆われ、喪服の裾からちらりと覗く足にも生々しい傷が残っていた。

「何しに来たんですか」
「何だよ、いつになく冷てェな」
「一人になりたいんです。あっち行っててください」
「断る」
「何でですか」
「お前を一人にさせたくねェから」

 軽い身のこなしで木に登った土方は、枝の強度を確かめながら奏の隣に腰を下ろした。土方には目もくれず、無表情で故郷の景色を眺め続ける奏の目から、絶え間なく涙が溢れ出している。無意識の内に奏の肩を抱き寄せた土方は、故郷の景色を目に焼き付けるように眺めながら彼女の頭をそっと撫でた。

「セクハラですか」
「いくら無理すんなっつっても無理しやがる部下にヤキ入れてるだけだ」
「随分とまあ生易しいヤキだこと」

 語尾を震わせた奏は、とうとう声を上げながら泣き始めた。土方に身体を預け、肩を震わせながら嗚咽する奏。溜め込んでいた涙を一気に流し終えた奏は、土方の手を借りながら地面に降り立った。

「ありがとうございました」
「あー……こっちこそ、ありがとな」
「と、言いますと?」
「転海屋やら不逞浪士に手こずってた時、助けに来てくれただろ」
「あー……こんな事言うのもアレなんですけど、あの時の行動が正しかったのかどうか未だにわからなくて。お姉ちゃんが知ったらどう思ったんだろうって考えると、いたたまれなくなっちゃうんですよね」
「じゃあ考えなきゃいい。いつかわかる時がくるだろうよ。少なくとも、お前の選択で助かった奴がここにいる。それだけは忘れんな」
「へへ、もっと褒めてもらってもいいんですよ」
「あんま調子乗らせたくねーけど、事実は事実だしな。総悟みたいな天才肌もそうそういねェけど、お前みたいに骨の髄まで熱心な奴も珍しいよな」
「沖田ミツバの妹であり、沖田総悟の姉である世界で唯一の存在ですよ?ナメてもらっちゃ困るんでね」
「それでこそ、奏だな」

 計り知れない悲しみを背負いながらも前へ進まんとする奏に心を打たれた土方は、天国のミツバに彼女の意思を届けるかのように空高くめがけて紫煙を吐き出した。故郷の澄んだ空気を胸いっぱいに吸い込んだ奏は、土方と肩を並べながら歩き出す。土方と奏の背中を照らす夕日が生み出した長い影は、二人の絆の深さを表すかのようにピッタリと重なり合っていた。



続く






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