将軍の元から姿を消した瑠璃丸(カブトムシ)を捕獲せよ──警察庁長官である松平片栗虎の命令は、いかなる場合も絶対的なものであり、真選組に拒否権はない。二日に渡り沖田と共にカブトムシのきぐるみを身にまといながら瑠璃丸を捜索していた奏は、尋常ではない暑さにやられてしまい、風通しの良い木陰で横たわっていた。どこからともなく吹きつけるそよ風が、襦袢姿で横たえる奏の頬を優しく撫でては森の奥へと吸い込まれていく。木立の隙間から顔を覗かせる青空をぼんやりと見上げる奏の脳裏に、故郷のだだっ広い空が蘇った。やがて二つの空の色が混ざり合い、奏の意識は十数年前へのらりくらりと旅立っていった。
 遡る事、十余年。かつて一匹狼だった土方が、近藤の父親が営んでいた剣術道場の門下生となってからしばらく経った頃。当時、好奇心旺盛かつ怖いもの知らずだった奏は、土方を取り囲むように築き上げられた見えない壁を打ち破る事に心血を注いでいた。誰よりも早く道場に来ていた奏にとって、門の脇にそびえ立つ大木の枝にまたがりながら朝日に包まれた里を眺める事が日課となっていた。

「十四郎ー!!」

 門をくぐった土方の前に勢い良く飛び降りた奏は、大量の砂塵が舞う中、屈託のない笑みを浮かべながら澄んだ瞳で彼を見上げた。積極的に絡んでくる奏に苦手意識を抱いていた土方は、無言で彼女の横を通り抜ける。めげずに土方の隣を歩き出した奏は、風に揺れるたんぽぽのように健やかな笑みを浮かべながら土方の顔を覗き込んだ。

「おはよう、十四郎」
「呼び捨てにすんな、チビ」
「チビって言うな」
「黙れチビ」

 そんな会話が何十回と繰り返されたある日、土方は何の気なしに、毎朝木に登っている理由を奏に問うた。初めての土方からの質問に喜びを抱いた奏は、目を輝かせながら声を弾ませた。

「木の上から見える里の景色が好きなんだ」
「飽きねェのか?」
「飽きない!だって毎日違って見えるもん」
「はあ?冗談だろ」
「ほんとだし!空の色とか風の匂いとか、毎日違うんだよ」
「ふーん」

 興味なさげな相槌を打つ土方だったものの、翌朝から奏よりも早く道場を訪れ、大木の枝に座りながら眼下に広がる里の風景を眺めていた。初めこそ驚いた奏だったが、それからというもの、武州を旅立つその日まで土方と肩を並べながら朝日に包み込まれた故郷を眺める事が日々の楽しみとなっていた。
 一方、夜は夜で、疲れ果てて寝入ってしまった奏を土方が背負って沖田家まで送るという日課もあった。門下生の中で紅一点である事を人知れず気に病んでいた奏は、周りに遅れを取らないよう人一倍厳しい鍛錬に励み、一日の稽古が終わると電池が切れてしまったかのように倒れる癖があったのだ。根っから明るい奏が抱え込んでいる一握の闇に薄々勘付いていた土方は、特に文句を言うでもなく彼女の送迎を買って出ていた。

「ごめんなさいね、十四郎さん。いつも本当にありがとう」
「……別に」

 奏を送り届けた土方と彼らを出迎えたミツバが沖田家の縁側で世間話をする事もまた、日々の風景となっていた。同世代である土方とミツバが互いを想い合うのに、そう時間はかからなかった。本人同士が互いに気付かないながらも日一日と育まれていく土方とミツバの淡い恋心を、一番近くで見つめていた奏が感じ取るのにもまた、そう時間はかからなかった。帰り道、土方の背中越しに伝わる揺れで目を覚ましていた奏は、二人の邪魔をしないようにと狸寝入りをしていたのだった。並んで座る土方とミツバの後ろ姿を盗み見る奏は、胸の奥から蝕むように広がる鈍痛に気付かない振りをしながらそっと目を閉じた。
 長い夢を見ていた奏は、虚ろな瞳で茜色に染まる空を見上げた。土方の前で稀に感じていた胸の疼きが恋心である事に気付いた奏は、複雑な表情を浮かべながら目を伏せる。刹那、上半身に隊服の上着が掛けられている事に気付き、目を瞬かせながら起き上がる奏。奏の目覚めを待っていた土方は、吸いかけの煙草を携帯灰皿に押し込んだ。

「大丈夫か?」
「はい……え、あれ、みんなは?」
「近藤さん以外帰らせた」
「何だっけ、えーっと……ラリ丸は?」
「瑠璃丸な。瑠璃丸は、あー……まあ、あれだ。色々あってお亡くなりになられた」
「大丈夫なんですか、それ」
「策は練ってある。まずは、もう一回それを着てくれ」

 カブトムシのきぐるみを指差した土方は、新たな煙草に火をつけながら奏に背中を向けた。言われるがままきぐるみを着た奏は、土方と共に駐車場へと向かって歩き出す。蜂蜜を全身に塗りたくったまま金色の兜を被った近藤と、カブトムシのきぐるみを身にまとった奏。そして唯一まともな格好をしている土方を乗せたパトカーは、松平が待つ警察庁へ向かって走り出した。

「腹切れ」

 あくまでも近藤を瑠璃丸と言い張る土方に、松平は切腹を命じた。扉越しにそのやり取りを聞いていた奏は、額に冷や汗を滲ませながら息を呑んだ。

「あ、ああ、すまねェ間違った。本物はこっちだ」

 極度の緊張により固まる奏を半ば強引に長官室へ連れ込んだ土方に、やはり切腹を命じる松平。タイミングよく長官室を訪れた徳川茂茂は、松平をなだめながら近藤達に礼を言った。切腹を免れた近藤達は、深い溜め息をつきながら警察庁を後にした。



続く






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