翌日、朝十時──よそ行きの小紋を身にまとった奏は、鼻歌交じりに新品の草履を見下ろした。美しい菖蒲が描かれた藤色の小紋に、深紅の鼻緒の草履が見事に調和している。屯所の玄関で着付けや帯を気に掛ける奏の元へやって来た近藤は、柔らかい笑みを浮かべながら口を開いた。

「よう」
「近藤さん、おはようございます。お休み、ありがとうございます」
「礼なんていらねェさ。むしろ、奏やトシは有休使わなさすぎなんだよ」
「タイミングが、なかなか掴めなくて」
「まあ、わからんでもないがな……それにしても、今日はやけにめかしこんでるな。お妙さんの次くらいに可愛いじゃねェか。なァ、トシ」
「え」

 目を白黒させながら振り向いた奏は、いつの間にか背後に立っていた土方を呆然と見上げた。奏を見下ろしながら煙草を咥えた土方は、無言でマヨネーズ型のライターを着火する。深緑色の着流しを身にまとう土方と藤色の小紋を着る奏は、肩を並べるだけで様になっていた。

「お前ら、デートにでも行くのか?」
「あ、バレちゃいました?」
「え、マジで!?」
「んな訳ねェだろ。誰が猿とデートなんかするかよ。散歩だ、散歩」
「よく見ろ、トシ。一生懸命可愛い格好して、限りなく人間に近付いてるじゃねェか」
「馬子にも衣装だな」
「腐れ上司共が……」

 近藤と土方を交互に睨み付けた奏は、舌打ちをしながら歩き出した。綺麗な着物姿で舌打ちをするというミスマッチさに噴き出した土方は、同じく笑っている近藤に別れを告げ、奏の後を追う。むくれながら土方の自家用車に乗り込む奏だったものの、目的地へ向け出発し、屯所が見えなくなる頃にはすっかり機嫌を直していた。
 一時間後──道中ほとんど喋り倒していた奏とほとんど相槌を打っていた土方は、海に面した水族館に辿り着いた。窓口で入場券を購入し、館内に足を踏み入れる二人。長く伸びる薄暗い通路の先に青い世界が広がった瞬間、奏は顔を輝かせながら息を呑んだ。

「ここが天国か」
「違うと思うぞ」
「つれないなぁ……ん?何これ」

 入り口の隣に設けられたカウンターに歩み寄った奏は、首を傾げながらチラシを手に取った。ラブラブな二人を逮捕しちゃうぞ☆どきっ、海の中の謎解きデート!クリアすれば、きっともっとラブラブに……☆──と題された企画に奏は噴き出し、土方は顔を引きつらせる。訳もわからず立ち尽くす土方の左手と奏の右手を手錠で繋いだ係員は、ハイテンションで企画の説明をした。

「おい、これ外せ」
「館内のどこかにある鍵を見つけ出せば、手錠は外せますよ」
「彼氏さん、照れちゃってますねー。ねっ、彼女さん」
「彼女さんじゃねェ、お猿さんだ」
「もー、やだなぁ彼氏さんったら。さっさと行って、さっさと鍵見つけましょ」

 鼻にかかった甘ったるい声でそう言った奏は、猟奇的な笑みで土方を睨み付けながら歩き出した。最初こそ抵抗していた土方も、水族館の至る所に散りばめられた謎を解き進めるにつれゲームの楽しさにのめり込んでいく。わずか三十分足らずで全ての謎を解き明かした二人は、イルカショーの客席の最前列の座席の下に置かれている宝箱を発見した。

「やりましたね、土方さん。じゃあ、開けますよ」
「ちょっと待て。俺がやる」
「開けたいんですか?」
「んな訳ねェだろ。聞き手が自由な俺の方が開けやすいと思ってな」
「お気遣い恐れ入ります、でも大丈夫です」
「待て待て待て。よし、せーので開けるのはどうだ?」
「何でそんなまどろっこしい事を……開けたいなら、開ければ良いじゃないですか」
「だから別に開けてェ訳じゃねェっつってんだろ」
「それじゃあ、開けますね。はい、どーん」
「あっ……あ?」

 半ば強引に宝箱の蓋を開けた奏と、物悲しげにその光景を見つめていた土方は、中から出てきた時限爆弾に目を瞬かせながら顔を見合わせた。常軌を逸した宝箱に視線を戻した奏は、蓋の裏に忍ばされていた紙切れを手に取る。救済措置にしては心許無い紙切れには、達筆な文字で「めぐり逢ひて 見しやそれとも わかぬ間に 雲がくれにし 夜半の月かな」と書かれていた。

「紫式部の短歌ですね」
「紫色の線を切れって事か?」

 そっと時限装置の蓋を外した土方は、赤い導線と青い導線のみという簡素な構造である事実を突き付けられ困惑を隠し切れなかった。まるで役に立たない紙切れを丸めた奏は、それを投げ捨てようと振りかぶった体勢のまま青ざめながら固まる。奏の異変に気付き、胸騒ぎを感じながら視線の先を辿る土方。二人の視線の先、もといイルカショーの観客席の至る所には、ダイナマイトと思わしき筒状の物体が仕掛けられていた。

「まいったなぁ……まずは、お客さんと従業員の避難が最優先ですかね」
「そうだな。行くか」

 混乱を通り越し無の境地に達した二人は、打ち合わせをしながら階段を駆け上がった。案内役の係員を発見した二人は、懐から警察手帳を取り出しながら歩み寄る。不可抗力とは言え奏の胸に触れてしまい、動揺しながら明後日の方向に目を逸らす土方。そんな土方を肘で小突いた奏は、警察手帳を開きながら係員に話し掛けた。手錠で繋がれた私服姿の警察官二人組に半信半疑だった係員は、イルカショーの客席に仕掛けられた爆発物を確認すると血相を変えながら無線で緊急事態を呼び掛ける。係員からペンチを借りた二人は、イルカショーの観客席に戻ってきた。

「どうするつもりだ?俺達、爆発物処理は専門外だろ」
「言ってる場合ですか。爆弾処理班の到着を待ってる時間なんか、もうありませんよ」

しゃがみ込んだ奏が覗き込んだディスプレイには、「3:30」と表示されていた。手錠の鎖を切断しようとした奏の手を押さえた土方は、彼女の意図を汲み取りながらも無言で隣にしゃがみ込んだ。

「お前だけに良い格好させてたまるか」
「とか言いつつ心配してくれてるのが土方さんですよね。ありがとうございまーす」
「勝手に言ってろ。で、どっちを切るんだ?」
「どっちもです。二本同時に」
「正気かよ」
「だって、青と赤混ぜたら紫になるじゃないですか」
「アホとバカが混ざったような考えだが、奏らしくて良いじゃねェか」
「それじゃ、まるで私がアホとバカが入り混じった人間みたいじゃないですか」
「違ったっけか?」
「いや、違いありません」

 同時に噴き出した土方と奏は、声高らかに笑いながらどちらからともなく手を握り合った。残り時間は一分を切っている。意を決したように深呼吸をした奏は、左手に持っているペンチを土方に差し出した。

「さっきは私が宝箱の蓋開けちゃったんで、今回は土方さんに譲ります」
「んな気遣いなんざ、いらねェよ。思う存分ぶちかませ、奏」
「けっ……ヘタレが」
「上等だ、こら。目ん玉ひんむいて、よーく見てやがれ」

 挑発に乗せられペンチを受け取った土方は、冷や汗をかきながら時限爆弾を見下ろした。指を絡ませた奏は、目を閉じながら土方の手の甲に唇を寄せた。

「十四郎」

 子供の頃のように土方を下の名前で呼んだ奏は、屈託のない笑みを浮かべながら導線に手を伸ばした。

「地獄でもデートしようね」
「猿と地獄巡りも、なかなか乙かもな」

 奏が導線をおさえると、土方は不敵な笑みを浮かべながら二本のそれを一思いに断ち切った。残り二十秒、カウントダウンは終わらない。

「何これ何で止まんねェの?今の止まるフラグじゃなかったの!?」
「あーあ。地獄行きの切符、手に入っちゃいましたね」
「奏テメェ、覚えてろよ。地獄で会ったら、ぶっ殺してやるからな」

 覆い被さるように奏を抱き締めた土方は、宝箱に背中を向けながら爆発の衝撃に備えた。目が眩むほどの閃光が、ぴったりと身体を寄せ合う二人を包み込む。数秒後、どちらからともなく離れ、呆然としながら宝箱に目を向ける二人。二人が時限爆弾だと思い込んでいたそれは、閃光弾が仕込まれているだけの、びっくり箱と同じような仕組みのカラクリだった。

「えーっと……帰りますか」
「そうだな」

 手を離しながら立ち上がった二人は、そこはかとなく余所余所しい距離感で歩き出した。水族館を出た二人は、出入り口付近で待機していた警察官や従業員達に事の顛末を伝える。その場で事情聴取や実況見分が始まり、疲労困憊した二人が帰路に就いた頃には空が茜色に染まっていた。

「無駄に疲れたな」
「そうですね」
「日ィ暮れてきたな」
「そうですね」
「道、混んでるな」
「そうですね」
「着物、似合ってるな」
「そうです……そうですか?」

 テレフォンショッキング並の相槌を打っていた奏は、目を見開きながら土方の横顔を見やった。困惑する奏を横目で一瞥した土方は、何事もなかったかのように前へ向き直った。

「何か変な事、言ったか?」
「変な事って言うと自分の存在を全否定するようで悲しいんですけど、正気を疑わざるを得ないくらい変です」
「酷ェ言い様だな」
「だって、馬子にも衣装とか言ってたじゃないですか」
「それは……あれだ。冗談だ」
「さっき胸触ったし」
「あれは不可抗力だろうが。どさくさ紛れにクレームつけんな」

 ああでもないこうでもないと言い合っていた土方と奏は、どちらからともなく噴き出し、声を上げながら笑った。窓から射し込む夕日に照らされた二人の笑顔は、武州にいた頃のそれとどこか重なり合っていた。


続く






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