潜伏先を真選組に突き止められてしまった桂小太郎は、笠を目深に被りながら江戸の街の一角をさまよい歩いていた。わけもなく駅へ向かう桂とすれ違うのは、背中を丸めながら帰路をひた歩く仕事帰りの者達ばかり。俯きがちにすれ違っていく者達を横目で見送り、溜め息をつきながら何気なく前方に目を向ける桂。顔を上げた反動で笠がせり上がった刹那、手元の紙に視線を落としながら歩く一人の女性が桂の視界に飛び込んだ。
 前を見て歩け、間抜けな女め──心の中で暴言を吐き捨てる桂だったものの、彼女の視線を引き付けているのが自身の指名手配書という事に気付くと、バツが悪そうに明後日の方角を見やった。刹那、桂と彼女の肩が軽くぶつかった。

「ごめんなさい」
「こちらこそ」

 平静を装いつつそう呟いた桂は、笠を被り直しながら歩調を速めた。鈴の音のように澄んだ彼女の声が、桂の記憶に名もなき花を植え付ける。おもむろに足を止めた桂は、ぶつかった感覚が残っている肩に触れながら振り向いた。
 指名手配書に視線を落としながらも真っ直ぐと背筋を伸ばしている彼女の後ろ姿が、桂の体温をじわりじわりと上げていく。無意識の内に踵を返していた桂は、彼女の自宅アパートの前へ辿り着くと我に返りながら辺りを見渡した。

「俺は一体……」

 まあ、いいか──途方もない時間と暇を持て余しており、なおかつ宿無しという窮地に立たされている桂は、深く考える事を放棄しながらそう呟いた。朝比奈家の前で座り込んだ桂は、冷たい鉄扉に背中を預けながら夜空を見上げる。視界に入り込む星の数を片っ端から数えながら暇を潰していた桂が朝比奈家のチャイムを鳴らした頃、奏はソファの上でくつろぎながら物思いに耽っていた。

「はいはーい」

 カチャリ、鍵を開ける音。
 ガチャリ、チェーンが引っかかる音。
 間髪入れずに突き出された桂の刀の切っ先が、奏の眉間の五ミリ先で静止した。大きく見開かれた瞳の上で微かに前髪が揺れ、腰を抜かした奏の体がゆっくりと傾いていく。そのまま刀を振り下ろした桂は、律儀にも分断されたチェーンの破片を拾い集めると、脱いだ笠を奏の頭に被せながら刀を鞘に収めた。あたかも朝比奈家の人間であるかのように玄関へ上がり込み、へたり込んだまま動けずにいる奏の横を通り抜けながら居室へと向かう桂。ふと我に返った奏は、立ち上がる事さえままならない事態を悲観しながら這いずり始めた。

「小綺麗だな」
「あ、どうも……いや、じゃなくて、ちょっと待って」

 青天の霹靂に戸惑う奏がやっとの思いで居室へ辿り着いた頃、桂はソファの前で正座をしながら自身の指名手配書を見つめていた。指名手配書と鏡に映した自信を何度か見比べた桂は、裏返した紙を奏の眼前に差し出しながら口を開いた。

「これ、実物と違くない?この絵ちょっと実物よりのっぺりしてる気がするんだが、どこに苦情言えばいいんだろうか」

 指名手配書を顔の横まで引き寄せた桂は、一点の曇りもない眼差しで奏を見つめながらそう問い掛けた。さながら携帯電話のバイブ機能のように震える手で指名手配書をかっさらい、目玉がこぼれ落ちてしまいそうなほど大きく目を見開きながら本人と似顔絵を見比べる奏。取り出した携帯電話を当たり前のように真っ二つに斬られた奏は、次から次へと降りかかる異常事態に恐れおののきながらじりじりと後退した。
 どうしたものか──そう考えながら鞘に刀を収めた桂は、おもむろに立ち上がるなり台所へ向かって歩き出した。まるで、どこに何が収納されているかが分かっているかのように、コーヒーを淹れていく桂。すなわち、それは桂と奏の行動パターンが酷似していることを暗に表していた。

 翌朝、日の出とともに目を覚ました桂はあくびを噛み殺しながら起き上がった。寝起き特有のゆったりとした歩調で洗面所へ向かう桂の視界に、廊下で眠っている奏の姿が飛び込む。洗顔や歯磨きを済ませ、改めて奏の寝顔を覗き込む桂。寝袋での睡眠でありながらも、奏の寝顔は母の腕の中で眠る赤ん坊のように無防備である。寝袋のジッパーをそっと引き下ろした桂は、割れ物を扱うかのように優しい手つきで奏を抱き上げた。
 ベッドに寝かせた奏の無垢な寝顔をしばらく眺めていた桂は、穏やかな笑みを浮かべながら立ち上がり、鼻歌交じりに朝食の準備をし始めた。










back/Top
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -