「おい、ヅラの妹」

 松下村塾の庭の片隅で泥団子作りに勤しんでいた桂奏は、眉間に皺を寄せながら顔を上げた。名前で呼ばれない事のもどかしさを知らない坂田銀時は、悪戯な笑みを浮かべながら奏を見下ろしている。

「何だよ、新品の金たわし」
「うおっ」

 ひとつかみの泥を豪速で投げ付けられた坂田は、小さな悲鳴を上げながらすれすれのところでそれを避けた。

「何すんだテメー!つーか何だよ、金たわしって」
「銀色のもじゃもじゃといえば、金たわしでしょ。「新品の」ってつけたんだから、文句言わないでよ」
「俺が物申してェのはそこじゃねーよ。俺のこれァおしゃれ天パだっつーの」
「おしゃれ天パねー。ふーん。へーえ。そうなんだー」
「お前ほんと生意気な。俺より年下のくせに」
「そっちこそ生意気じゃん、理科の実験でよく燃やされてるアレのくせに」
「誰がスチールウールだコラ」

 語尾を荒らげた坂田は、両手いっぱいにすくい上げた泥を奏へ向かって投げ付けた。既に駆け出していた奏は、足元に着弾する泥爆弾を見下ろしながら踵を返す。素早く元いた場所へ戻ってきた奏は、にやりと笑いながら泥だらけの手のひらで坂田の頬を挟み込んだ。同じく泥まみれの両手を伸ばし、負けじと奏の頬をつねり上げる坂田。地味な戦いを繰り広げる坂田達のそばを通り掛かった高杉晋助は、呆れたように溜め息をつきながら立ち止まった。

「何やってんの、お前ら」
「見りゃわかんだろうが」
「お前らが馬鹿って事しかわかんねーよ」
「あらあら、ご機嫌麗しゅう。背が低いのにプライドだけは「高すぎ」さん」
「相変わらず口だけは達者だな、「ヅラの妹」は」

 ヅラの妹──その呼称で呼ばれたくないという奏の心情を察している高杉は、あえてそこを強調しながら皮肉な笑みを浮かべた。盛大な舌打ちと共に坂田の攻撃を振り切り、高杉に向かって両手を伸ばす奏。迫りくる泥だらけの手のひらを華麗に避けた高杉は、いつの間にか背後に立っていた桂小太郎を巻き込みながら地面に倒れ込んだ。

「いってー」
「兄ちゃん!」
「いてて……」
「高杉貴様、兄ちゃんに何てことしてくれてんだコラァ!」
「うるせーブラコン」
「黙れフライング中二病、踏み潰すぞ」
「上等だコラ、やれるもんならやってみろクソアマ」
「お前ら落ち着けよ」
「すっこんでろ鳥の巣」
「バカ杉テメー、誰が鳥の巣だって?蜂の巣にすんぞコラ」
「負ける気がしねーな。かかってこいよ、アホの坂田」
「ぶっ殺す!」

 睨み合う坂田と高杉に挟まれてしまった奏は、呆れたような表情を浮かべながら彼らを交互に見やった。溜め息混じりに奏の手を引いた桂は、彼女と視線を合わせるように屈みながら口を開いた。

「奏、銀時達にあの事は伝えたのか?」
「や、い、今その話しなくていいから」
「あの事?何の話だ?」
「何でもない」
「何でもない事ァねーだろ。思いっ切り俺の名前出してたし」
「何でもないっつってんでしょ」
「こいつ……おいヅラ、テメー妹の教育くらいしっかりやれよ」
「ヅラじゃない桂だ。しかし、銀時の言う通り奏には素直さが少しばかり足りないな」
「少しどころじゃねーだろ」
「黙れ腐ったマリモ」
「ああ!?」
「いい加減にしろ、二人とも。奏、意地を張らずに伝えるんだ。名前で呼んでほしいと。特に、銀時には」
「わー!わー!わーー!!」
「どういう意味だ?」
「あー!あー!!あーーー!!!」

 さりげなく発せられた真実をかき消さんばかりに声を張り上げた奏は、言及する坂田の口を両手で塞ぎながら取り乱した。いち早く奏の本心に気付き、咳き込むふりをしながら盛大に噴き出す高杉。半ば強引に奏の手を押さえ込んだ坂田は、首を傾げながら口を開いた。

「お前、「ヅラの妹」って呼ばれんのやなの?」
「あ、う…………やだ」

 どう足掻いても逃げられない状況である事を悟った奏は、目を逸らすと赤面しながらそう呟いた。ふーん──締まりのない声で返事をした坂田は、したり顔の桂を見やりながら頭を掻きむしった。

「おい、ヅラ」
「ヅラじゃない桂だ」
「お前の妹、何て名前だったっけ」
「奏だ。しかと覚えておけ」
「へーへー」

 そう吐き捨てた坂田は、そこはかとなく照れくさそうな仕草を垣間見せながら奏の方に向き直ると意を決したように息を吸い込んだ。
 刹那──夢から覚めた坂田は、腕の中で健やかに眠る奏を反射的に抱きすくめた。松下村塾のワンシーンから十数年、二人は一つ屋根の下で寝食を共にしている。不意の息苦しさで目を覚ました奏は、寝ぼけ眼で坂田を見上げた。

「どしたの?」
「ガキの頃の夢見た」
「子供の頃の夢?」
「ああ。お前が「ヅラの妹」って呼ばれたくねー事が判明した時のな」
「あー、兄ちゃんが暴露しちゃったやつだっけ」
「それそれ。今思うと、あの頃から俺の事好きだったのな。お前」
「気付くの遅すぎでしょ」
「しゃーねーだろ。オスガキなんざ一日の大半はうんこか昆虫の事しか考えてねーもん」
「しょーもな」

 呆れたような声でそう呟いた奏は、坂田に寄り添いながらゆっくりと目を閉じた。

「……奏」

 まどろむ奏の耳元でそう囁き、次第に夢の中へと引き戻されていくのを感じながら目を閉じる坂田。坂田の囁きを時間差で感じ取った奏は、頬を緩ませながら意識を手放した。










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