仕事から帰宅した奏は、険しい表情を浮かべながら自宅を飛び出した。周囲を見渡しながら住宅街を駆け抜ける奏の手には、一枚のメモ用紙。汗ばむ手で握り締められたメモ用紙には、桂の字で「野暮用につきしばらく留守にする、捜索は不要」と書かれている。夜闇を彩るネオンに誘わられるかのようにかぶき町へと足を踏み入れた奏は、前方から歩いてきた線の細い女性に肩をぶつけてしまった。

「すみません!」
「……いえ、こちらこそ」

 着物の袖口で顔の下半分を隠しつつ歩いていた女性──もとい女装をした桂は、声帯に力を入れながらか細い声を絞り出した。初めて出会った時と類似したシチュエーションの中、ただ一つ違ったのは奏の行動。ほぼ反射的に踵を返した奏は、大きな声で桂を呼び止めたい衝動をこらえながら駆け出した。必死で手を伸ばす奏の指先を、不意に振り向いた桂の袖がくすぐるように掠める。弾かれたように手を引っ込める奏と目が合った刹那、桂は驚いたような、それでいて悲しみを帯びたような表情を浮かべながら口を開いた。

「なぜ奏がここにいるんだ。捜索は不要だと伝えたはずだが」
「えっと、あの……あ、そうだ、星!星見ながら歩いてたんだけど、気付いたらここまで来ちゃってたんだ」
「……お前は本当に嘘をつくのが下手だな」
「う、嘘じゃないよ」

 引きつった笑みを浮かべながら必死で誤魔化す奏に対し、桂は彼女が嘘をつくのが下手な理由を淡々と語り始めた。普段使わないような間投詞を多用する事、吃音が生じる事、声のトーンが半音ほど高くなる事──思いつくまま、理由一つ一つを愛おしそうに紡いでいく桂。困ったように笑いながらうつむいた奏は、震える指先で桂の袖をつまんだ。

「一緒に帰ろう」
「それは出来ない」
「いやだ。どこにも行かないで、お願い」
「奏」
「ねぇ、帰ろう」
「……今の奏は、冷静さに欠けているな。これでも舐めて落ち着け」

 泣いている子供をなだめるような優しい声でそう言った桂は、巾着から取り出した飴玉のようなものを奏の口元へと運んだ。

「何これ」
「飴ちゃんだ」
「……怪しい」
「気のせいだ。ほら、舐めてみなさい。落ち着くから」

 訝しげな眼差しで桂を見上げていた奏は、唇に押し付けられた飴玉を渋々といった様子で口に含んだ。咥内に広がる甘味に思わず頬を緩ませた奏は、満足げな笑みを浮かべる桂に気付き照れくさそうに目を逸らす。しばらく無言で飴玉を舐め続けていた奏は、不意に襲ってきた強烈な眠気にふらつきながら桂を見上げた。

「ようやく効いてきたか」
「どういうこと……?」
「その飴には、健忘効果のある睡眠薬が練り込まれている」
「いやだ、」

 忘れたくない……──力の無い声でそう呟きながら前のめりに倒れ込む奏を抱きとめた桂は、不意に何者かの視線を感じると弾かれたように振り向いた。小さな溜め息をつきながら奏を抱き上げる桂の視線の先には、偶然にもすまいるから出てきた坂本辰馬の姿が。状況を把握しないまま桂達に歩み寄った坂本は、女装姿の彼とその腕の中で眠っている奏に驚きながら素っ頓狂な声を発した。

「こりゃまっことたまげたのう。何ちゅうプレイしゆうがか、おまんら」
「坂本……頼む、しばらく奏を預かってほしい」
「奏ちゃんを?ヅラは相変わらず突飛な事ば言いゆうのう」
「ヅラじゃない、桂だ。本当は気付いているのだろう、これが単なる思い付きの頼み事ではない事に。俺は知っている、お前がデカい網を張ったのは宇宙だけではない事を。この星にも張り巡らされているお前のデカい網にはかかっているはずだ、江戸の今までもこれからも」
「わしにとっちゃあ、この星も宇宙の一部ゆうだけの話ぜよ。奏ちゃん預かるんは構わんけど、おまん何を企んどるんじゃ?」
「何も企んでなどいないさ。俺はただ見たいだけだ。俺はただ、奏に見てほしいだけだ。江戸の夜明けを」

 言葉を紡ぎながら奏を坂本に託した桂は、「手ェ出したらもぐぞ」と物騒な言葉を残しつつすまいるへ向かって歩き出した。桂の背中を見送った坂本は、どこか困ったように笑いながら踵を返す。遠ざかる意識を必死に繋ぎ止めながら桂達の会話を聞いていた奏は、虚ろな目で坂本を見上げた。

「……桂、死んじゃうのかな」

 突如として声を発する奏に驚愕した坂本は、歩みを止めながら彼女を見下ろした。

「起きちょったがか」
「寝たら忘れちゃうらしいから、死んでも起きてなきゃ」
「何じゃ、ヅラに一服盛られよったか」
「桂、何でこんな事したのかな」
「察するに、奏ちゃんの幸せば願っちょるんじゃろう。彼奴なりにケジメをつけたっちゅう事ぜよ」
「なにそれ……あー、やだなぁ。忘れたくないな、桂の事」
「その気持ちがあるなら大丈夫ぜよ。何も心配いらん。何度忘れても、何度でも思い出せるきに」

 だから今は、安心して眠りんさい──坂本の言葉に小さく頷いた奏は、唇を噛み締めながら恐る恐る目を閉じた。寝息を立て始めた奏を抱え直した坂本は、今にも雨が降り出しそうな曇天を見上げながら歩き出す。かつて敵同士だった真選組を救うべくすまいるに乗り込んだ桂は、立ち込める白煙の中、奏の温もりを思い出しながら目を閉じた。



続く






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