一日中小雨が降り続いた日の夜、夕食や湯浴みを済ませた奏はソファの上で膝を抱えながら物思いに耽っていた。湯浴みを終え居室へ戻ってきた桂は、机の上に置いてあった牛乳を一気飲みすると、首から下げた手拭いで汗を拭いながら奏の隣に腰を下ろした。

「どうした、元気ないな」
「うん、桂に牛乳奪われたから悲しくて」
「俺にはその前から元気がないように見えたが……奏がそう言うなら、戻す事も可能たぞ」
「桂の体内から出てきた牛乳飲むとかないわ……腐ってデロデロになった牛乳飲んだ方がマシ」
「俺が吐いた牛乳は、腐ってデロデロになったそれ以下なのか」
「だってもう桂の体内から出てきた時点で……ねぇ」

 物憂げな眼差しで蛍光灯を見上げた奏は、溜め息をつきながら桂に体重を預けた。ほのかに香るシャンプーの匂いや寝間着越しに伝わる奏の体温が、桂の理性を少しずつ蝕んでいく。黙り込む桂の横顔を一瞥した奏は、ほの暗い表情を浮かべながら言葉を紡いだ。

「……ごめんね」
「え、何が?」
「傷付けるような事言って、ごめん」
「単なる弄りだろ?いつもの事だし、お互い様ではないか」
「違うの、そうじゃないんだよ」
「まさか、本当に腐ってデロデロになった牛乳の方がいいのか?」
「違う、そうじゃなくて……ごめん、うまく言えない」
「奏、お前……」

 来客を知らせるチャイムの音が響き渡った瞬間、遠慮がちに伸ばされた桂の手は奏に触れる事なく名残惜しげに引っ込められた。予告なき訪問者にそこはかとない警戒心を抱いた奏は、息を殺しながら忍び足で玄関へ移動する。息を止めながらドアスコープを覗き込んだ奏の目に飛び込んできたのは、真選組の副長である土方十四郎だった。

 しんせんぐみ おに

 下駄箱の上に置いてあるメモ用紙にそう殴り書きをした奏は、くしゃくしゃに丸めたそれを物思いに耽っている桂めがけて渾身の力で投げつけた。目の前に落ちたメモ用紙を拾い上げ、空気が張り詰めていく様子を感じ取りつつ奏からの伝言を黙読する桂。玄関の扉が開けられると同時にソファの陰へ転がり込んだ桂は、聴覚を研ぎ澄ませながら刀を手に取った。

「はーい」

 何事もなかったかのような仕草で扉を開けた奏は、威圧的な雰囲気を醸し出している土方を見上げながら首を傾げた。

「おまわりさんが、こんな時間に何の用ですか?」
「三文芝居なんざ必要ねーよ。奥にいる桂をしょっ引きに来たんだ、こっちは。ついでにお前さんは犯人蔵匿罪で逮捕な」

 奏の身に危険が迫っている事を悟った桂は、反射的に立ち上がると刀を抜きながら二人に歩み寄った。いち早く桂に気付き、敵意を剥き出しにしながら刀に手を掛ける土方。土方が抜刀するよりも先に奏を羽交い締めにした桂は、不敵な笑みを浮かべながら彼女の首筋に刀をあてがった。舌打ちしながら動きを止めた土方は、刀を握り締めたまま桂を睨みつけた。

「殺んのか、その女。つーか、殺れんのか?」
「愚問だな」

 研ぎ澄まされた刃は軽く押し当てられただけで皮膚を裂き、奏の首筋に赤い血を滲ませた。氷のように冷たく、薔薇の棘のように鋭い痛みが奏を襲う。切り口から溢れ出した奏の血は、少量ながらも刀をゆっくりと伝い、やがて桂の手のひらを赤く染めていった。

「俺はこの女を脅してここに居座っているだけだ。このままいけば、貴様は「冤罪を吹っかけた一般市民が殺されていくのを何もできずには眺めていた脆弱な警察官」だ。さあ、どうする?」
「ペテン師が……表出ろ、桂。平和的に解決しようじゃねーか」
「いいだろう」

 心ここにあらずといった様子で立ち尽くす奏を解放した桂は、鞘に刀を収めながら歩き出した。鞘と鍔が重なり合った瞬間、小気味良い金属音が張り詰めていた空気を震わせる。刹那、ふと我に返った奏は苦しげな表情を浮かべながら手を伸ばした。しかし、その手は桂に届かない。扉が閉まる直前、おもむろに振り向いた桂はかつて奏の事を護ると誓った時と同じ目をしていた。

「いったい、何考えてやがる?」

 アパートの前に停めてあるパトカーに寄りかかった土方は、紫煙をくゆらせながら空を仰ぎ見た。いつの間にか雨は止み、見渡す限り暗鬱な雲が広がっている。土方の数歩手前で立ち止まった桂は、先程までの悪党じみた表情はどこへやら、いつも通りの清廉とした眼差しで暗雲を見上げた。

「それはこっちの台詞だ。土方お前、端から俺を捕まえる気はなかっただろう。もちろん、奏もな」
「……わかってたなら、何で朝比奈奏にあんな仕打ちを?」
「戦場において、絶対はないからな。もし仮に俺をしょっ引くのが事実だったとして、ああする他に奏を護る方法はなかった」
「随分と入れ込んでるな、朝比奈奏に」
「まさか、そんな事を言いにわざわざここへ来たのか?」

 自嘲的な笑みを浮かべながら桂を一瞥した土方は、靴の底で煙草の火を揉み消すと懐から携帯灰皿を取り出した。煙草の吸い殻を携帯灰皿に押し込み、ぽつりぽつりと言葉を紡いでいく土方。徳川茂茂が暗殺された事により、江戸の中枢を担う幕府が機能しなくなり始めている事。それによって、派閥や組織同士の潰し合いが顕著になりつつある事。いずれ、真選組も潰し合いに巻き込まれるだろう──そう呟いた土方は、溜め息交じりに新しい煙草を取り出した。

「っつーわけで、テメーとは一時休戦だ」
「わざわざそんな事を言いに来たのか。暇な奴め」
「うるせー。女に布団買ってもらってるようなヒモ野郎に言われたかねーよ」
「ヒモ野郎じゃない、桂だ。ん?待てよ。布団買いに行った時、やたらと殺気を感じたような……貴様が尾行してたのか」
「ああ。そっからうちの山崎に見張らせて、テメーをしょっ引く機会を伺ってた」
「山崎って誰だ?」
「……さ、そろそろ帰るかな」
「待て、誰だ山崎って。俺こういう有耶無耶なままフェードアウトされんの苦手なんだけど。気になって眠れなくなるタチなんだけど」
「知るか。それより、さっさと戻ってやれよ」


 玄関の扉の横に設置された小窓から外の様子を伺っていた奏は、悪戯な笑みを浮かべる土方と目が合った刹那、光の速さで居室へと逃げ込んだ。機械的な動きでソファに座り込んだ奏は、空のコップを両手で握り締めながら思考を巡らせる。奏を傷付けてしまった罪悪感に駆り立てられながら戻ってきた桂もまた、ぎこちない仕草でソファに腰を下ろした。

「……すまない」
「うん、許す」
「俺が言うのもアレだが、簡単に許しすぎじゃないか?」
「そりゃあさ、確かに痛かったし怖かったよ?でも、私が知ってる桂は護ると決めた相手を殺すような人じゃないって気付いたの。だからもう怖くない」
「出会ったばかりの頃はヘタレだった奏が、こんなにも強くなっていたとはな。一緒に過ごしていても、気付かなかった」
「桂と一緒にいれば、嫌でも心臓に毛が生えるよ」

 くつくつと笑う奏を抱き寄せた桂は、妖艶な表情を浮かべながら首筋の傷に唇を寄せた。既に血は止まっており、ほのかな痛みが奏の理性を蝕んでいく。疼くような刺激と淡い快感に溺れていくような感覚に陥った奏は、桂の背中に腕を回しながら甘い吐息を漏らした。



続く






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