深夜の市中見廻りから戻ってくると、早朝鍛錬に励む二番隊隊員・朝比奈奏の声が聞こえた。勇ましい声に惹き込まれるように辿り着いた剣道場では、道着姿の朝比奈が重りのついた竹刀を一心不乱に振っている。まだ夜明けを迎えてすらいないのに、ご苦労な事だ。それにしても、竹刀で空を斬る音や朝比奈の凛とした声が耳に心地好い。
 空が白み始めた頃、得物を鞘に収める仕草で鍛錬を終えた朝比奈は、拾い上げた手拭いで汗を拭きながら歩き出した。いつの間にか、半刻近くも朝比奈を眺めていたようだ。道場の隅で喉を潤し始めた朝比奈は、俺の存在に気付くなり慌ててペットボトルの蓋を慌てて閉めた。

「お疲れ」
「おっ、つ、お疲れ様です!いや、あの、これはですね、あのっ……」
「落ち着け」
「はい、落ち着きます。落ち着きました」
「よし、用件は手短にな」
「はい。えっと、本当すみませんでした」
「すみません?」
「え、ほら、その、午前中なのに午後の紅茶を飲んでしまって……」
「何言ってんの、お前」
「局中法度にあるじゃないですか、午後の紅茶を午前中に飲む事なかれって」
「んなふざけた局中法度ねーよ」
「マガジン以外の漫画局内で読む事なかれ、これだって充分ふざけてるじゃないですか」
「ふざけてねーから。つーか俺、知ってるからな。お前が隠れジャンプ党なの」
「だってワンピース面白いんですもん。ゾロかっこいいんですもん」
「確かにゾロはかっこいいな。紛う事なき漢の中の漢だよ、アイツは」
「はい土方さん切腹ー」
「テメっ」

 悪ガキのような憎たらしい笑みを浮かべながら構えた竹刀で斬りかかってきた朝比奈は、首根っこを捕まえようと伸ばした手を華麗に避けた。空を掴んだ手のひらには、感じ得ないはずの柔らかな温もりが。疲れてんのかな──そんな事を考えながら手のひらを見下ろしていると、背伸びをした朝比奈に首根っこを掴まれた。

「ご飯食べましょう、土方さん」
「普通、上司の首根っこ掴むか?」
「まあまあ、減るもんじゃなし。何食べよっかなー」

 鍛錬の時の凛々しさはどこへいったのか、食堂へ向かって歩き出した朝比奈の後ろ姿は見ているだけで気が抜ける。早朝故か人もまばらな食堂に辿り着くと、朝比奈は品書きを吟味しながらトレイを手に取った。

「すいませーん、鮭定食ひとつお願いしまーす!ご飯大盛りで!」
「すんませーん、同じのもうひとつお願いします」
「真似しないでくださいよ」
「うるせェ、副長侮辱罪で切腹させんぞ」
「職権乱用も甚だしいですね」
「権力は使ってナンボだろ」
「よーし、今日も元気にゴマすりまくろっと」

 適当な事を抜かしながら大量の漬物を小皿に乗せた朝比奈は、窓際の席に腰を下ろすと小さく手招きをした。凛々しさや間抜けさの狭間、不意をついて見せるあどけない部分に理性を失いかけた事が何度あっただろうか。
 ああ、そうか。俺はこいつの事が──。

 いただきます──両手を合わせながら食前の合図をした朝比奈は、さっきまでの駄弁のオンパレードはどこへやら、黙々と朝飯を食べ始めた。静寂に支配されていた鼓膜を時折くすぐるように刺激する、漬物を噛み砕く軽快な音が妙に心地好い。ほとんど無言で朝飯を食べ終えた朝比奈は、再び両手を合わせながら「ごちそうさまでした」と呟いた。

「朝比奈って飯食ってる時はおとなしいのな」
「まあな」
「おい上司への口の利き方に気ィ付けろ」
「冗談ですよ。ちなみに私がおとなしいのはいつもの事です」
「あんまふざけた事抜かしてると、いつか刺されるぞ」
「辛辣すぎません?どんだけ私の事嫌いなんですか、土方さん……あれ、そういえば近藤さんは?たしか夜勤一緒でしたよね」
「ああ、いつものとこに寄るっつって別れたよ。今頃、どっかのごみ捨て場で潰れてんだろ」
「ふーん」

 適当な相槌をうった朝比奈は、背もたれに寄りかかりながら水を飲んだ。

「もったいないなぁ」
「もったいない?」
「だって近藤さんって、一応公的組織のトップだし男らしいし優しいじゃないですか。結婚相手には最適だと思うんですよね」
「じゃ、お前が彼女になりゃいいんじゃねーの」

 しまった──と我に返るも時既に遅し、自分以外の男の話をする朝比奈に苛立った挙げ句くだらない八つ当たりをしてしまった事実は、もう消えない。

「は?嫌ですよ。私が好きなのは土方さんですもん」
「素で「は?」っつーのやめろよ」
「は?はァ?」
「うっわ、うぜー」
「はァァァ?」
「はい切腹ー。副長うざがらせた罪で切腹ー」
「そんなふざけた局中法度、聞いた事ありませんー」

 唇を尖らせながらおどけた口調でそう言った朝比奈は、見ているこっちまで笑顔になってしまいそうなほど楽しそうに笑い出した。私が好きなのは土方さんですもん──不意に蘇った朝比奈の言葉が、数多の虚勢に埋もれていた理性を引きずり出していく。

「なあ、訊いてもいいか?」
「まったく、私のスリーサイズ訊きたいだなんて……土方さんも隅に置けませんね」
「お前のアホさも隅に置けねーけどな」
「はは、こりゃ一本取られたぜ。で、訊きたい事とは?」
「お前の好きな土方さんって、どこの土方さんだ?」
「え、今更?私と土方さんの間に時差ありましたっけ」
「とぼけんな、どこの土方さんか言え」
「……あなたの事ですよ」

 頬を赤く染めながらうつむいた朝比奈は、いじけた子供のような口調でそう呟いた。

「あーあ、こんなはずじゃなかったのになぁ」
「なあ」
「わかってます、切腹ですよね」
「そうじゃなくてだな」
「あ、介錯はいりませんよ」
「いや、だから」
「みなまで言わなくていいんです。わかってますから、土方さんが私の事嫌いなの」
「人の話を聞きなさい」

 ふつふつと込み上げる熱情に駆り立てられるまま、今にも泣き出しそうな顔をしながら無理くり笑っている朝比奈へ向かって手を伸ばした。無防備な頭に触れた瞬間、大きく見開かれた朝比奈の目から堰を切ったように涙が溢れ出した。

「「局中恋愛禁止、これを破った者は切腹」なんて局中法度、ねーだろ……あったら俺も切腹しなくちゃなんねーし」
「土方さん好きな人いるんですか?」
「っ……い、いちゃ悪ィかよ」
「いえ、別に悪かないですけど。誰かなぁって……あ、近藤さん?」
「何でそうなる?」
「じゃあ、沖田隊長?」
「だから何でそうなる?」
「えっ、じゃあ、じゃあ、まさかの原田隊長?」
「お前ほんと馬鹿な」
「馬鹿ですが何か?」
「違う、俺が言いてェのはアレだ。俺ァ野郎じゃなくて女が恋愛対象なんだよ」

 辛うじて会話のキャッチボールは出来るものの困惑の色を隠せずにいる朝比奈は、眉間に皺を寄せながら机を叩いた。

「真選組に女性なんかいるわけないじゃないですか!」
「いるわ。今、俺の目の前にいるだろうが。生物学上で言えば女として分類されるお前が」
「土方さんの好きな人って、私ですか?冗談は前髪だけにしてくださいよ」
「誰の前髪が冗談だって?つーか俺、冗談で告白とか出来ねータイプだからな」
「あの、ちょっと待って、いったん落ち着きましょう」
「お前がな」
「いや、はい、そうなんですけど……だってほら、土方さん私の事嫌いなんじゃ……?」
「それ、お前の勘違いだから。俺、一回もお前の事嫌いだとか言ってねーから」
「ほ、ほんとに私の事好きなんですか?」
「あー……まあ、はい、好きですよ」
「へへ、そっかぁ。土方さん、私の事好きなんだー」

 半ば上の空でそう呟いた朝比奈は、ふと我に返ると勢い良く机に突っ伏しながら両足をばたつかせた。疑り深い眼差し、不安げに歪んだへの字の唇、安堵の笑み──目まぐるしく変化する朝比奈の表情全てに愛おしさが込み上げた。










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