刀剣乱舞 | ナノ

おおせのままに(へし切り長谷部)


「きゃっ!」
「ははは」
身支度を整えていた俺の耳に聞こえるいつもの音……いや、声。
「また、か……」
ひとつ溜息を吐いて、隣の部屋へ続く戸を開ける。
思いのほか力が入っていたらしく、勢い余った戸は強く壁際に打ち付けられた。

「は、長谷部……」
「ほう」

音に驚いたらしい主と三日月がこちらを見ている。
主は泣きそうな表情をしている。一方の三日月は随分と楽しそうだ。
俺は畳を踏みしめながらふたりの方へと歩み寄る。

「何度言ったらわかるんだ三日月。そういうことはやめろと言っているだろう」
「なにゆえだ?」
「なにゆえって……はぁ。主」
俺は三日月に抱きしめられたまま動けないでいる彼女へと向き直る。
後ろから抱きつかれ、両手首を掴まれている状態だ。
振りほどくのは難しいだろう。
三日月の美しい紺の着物が、彼女の身体をすっぽりと覆っている。
まるで俺のものだと言わんばかりに。


こういうふたりの姿を見るのは珍しいことではなかった。
主の悲鳴が聞こえた後、あいつの楽しそうな声が聞こえる。
主も主だ。
あれだけちょっかいを出されれば耐性がついてもいい。
それなのに毎度毎度、驚いたり、怒ったり、様々な反応をするからあの男は調子に乗るのだ。

無視すればいいではないか。

「主。命令して下さればなんでも斬って差し上げると言っているでしょう。刀であれ、例外では御座いません」
「おぬし、恐ろしいことを言うのう」
「は、長谷部……」
「主命とあらば」

俺は「さあ」と言わんばかりに頭を垂れる。
命令してくだされば、なんでも致しますよ。
主は優しいから「斬れ」とまでは言わないだろう。
それでも三日月を退いて欲しい、といった趣旨のことを言うに違いない。

「長谷部よ」
だが俺へと掛けられたのは主の声ではなかった。
「なんだ。命乞いか?」
顔を上げた俺は笑った。
その笑顔がおかしなことに歪んでいると自分でも気づいていた。
「斬りたいのはお前ではないのか?」
「……は?」
「俺を斬りたいと思うているのは主ではない。お前自身なのではないか?命を待つことはなかろう。」
三日月は口元に笑みを湛えながら金色の眼で俺を見つめる。
主の身体を離さずに、むしろ強く抱きしめる素振りを見せつけているようにも思えた。
訪れた重たい沈黙の中、衣擦れの音が響いた。

「馬鹿なことを言うな」
「馬鹿なことかどうか。よくわかっているのはおぬし自身なのではないか?のう、主よ」
「んっ……!」

目の前の男は主の首筋に唇を押しつけ、舌を這わせる。
「止めろ。今すぐ止めないと主命でなくとも斬ってやる……」
口から出たのは激昂の声色ではなかった。
むしろそれを通り越した恐ろしい程に冷たい声。

「ほら見ろ。俺を斬りたいのはお前だ……ふふっ」
「んっ……や、くすぐったい……!」
主は三日月の唇から逃れようと身をよじる。
「主よ。長谷部は主にただならぬ想いを抱いているのかもしれんな」
「……え……?」
「くっ……」
俺はたまらず刀身を鞘から抜く。
朝の澄んだ空気を刃が裂いた。

「主を離せ、変態」
「おお、怖い怖い」
三日月はさも楽しそうに言いながら彼女の身体を解放する。
自由になった主は俺の顔を一瞬見つめた後、走り去っていく。

「主の白い頬が朱に染まっているように見えたな。誰のせいであろうか?」
「次にあのような行為を見掛けたら斬るぞ、三日月」
「ははは。やはり俺を斬りたいのはお前のようだな、長谷部よ。ああ、腹が減ったな」

三日月はそう言い残すと俺に背を向ける。
主命がなければ、俺が奴を斬れないことを知っているかのように。

天下五剣のひとつ。美しき刀、三日月宗近。
奴を迎え入れる為に、主も同士たちも身を窶すほどに力を注いだのだから。
その性能は重要な戦力だということは確かだった。

俺は拳を握りしめる。
主が悲しむようなことはできない。
それでも、あの男が彼女に不必要に触れるのが許せなかった。

気に入らない、気に食わない、ではなく、許せない。
そう、許せない程に胸が軋み、頭に血が上る。
憎しみにも似た感情が身体を支配して行く。

「俺は……おかしくなってしまったのか」

三日月の言う通りだった。
あいつを斬りたいのは俺の気持ち。
残酷な主の元に在った刀である俺が抱いた、この奇妙な気持ちは……。

「俺も随分と俗物……いや、人間くさくなったものだな」

原因はわかっていた。
主のせいだ。
執着などしてはいけないのに。

「貴方の……せいですよ……」
彼女のことを想うと、身体から力が抜けて行く。
綺麗な人。

俺は再び空気を裂いた後、刀身を納める。

そのときだった。
三日月が出て行った開いたままの障子戸に影が映る。

「は、長谷部……」
「主……」
思い描いていたその人が帰ってきた。
俺が怒っていると思ってか、俯きながら恐る恐る近づいてくる。
「ご、ごめんなさい」
「なぜ謝るのです?」
「ちゃ、ちゃんとおじい……宗近を拒まないからあんなことに……甘やかしすぎた……から」
「はぁ……」
俺は額に手をあてる。
煮え滾った三日月への負の感情がまた噴出してきそうだった。
「いいですか。無視するのです。貴方が反応を示せば示すほどあいつは図に乗りますよ」
「……はい」
「本当はいつも傍に居て差し上げたいのですが、それは難しいのですから」
「いつも……傍に……?」
俯いていた顔がまっすぐ俺を見つめる。
彼女の白い肌は心なしか朱に染まっているようにも思えた。
「あっ、いや……これは言葉の綾です」
「……そう」
主は少し残念そうな顔をして、唇を尖らせた。
「こほん。……あ……だから。お気を付け下さい」
「……いつも傍にいてくれたらいいのに」
「……はい?」
小さく呟いた声に身体が反応する。
主はなんと……?

「そんなに怒るんだったらいつも傍にいてくれたらいいじゃない!」
「お、怒ってなどいませんよ!だいたい貴方は隙がありすぎる……だからっ」
「っ……!?」
たまらず伸ばした両の腕。
自分でもわからないうちに小さな身体を抱きしめていた。
「は、長谷部……!?」
「だから……こうやって……貴方を捕えることなんて容易いんですよ」

俺の腕の中で暴れると思っていたが、彼女は動かなかった。
「長谷部が傍にいてくれたら大丈夫だよ」
「だから……」
「これは主命だよ」
「!」

それは消え入りそうな声だったが確かにそう聞こえた。
そして主は両の腕を俺の背へと回す。
ぬくもりが服越しに伝わってくる。
「これは……主命だよ」
照れているのか語尾は消え入りそうだが、さっきよりも大きな声が耳を擽る。

胸に仄かな明りが燈ったように感じた。


俺は両の腕に力を込める。
愛しい者を全てのものから守るように。

彼女を傷つけるものすべてを斬る、
彼女だけの刀でありたい。

「おおせのままに」



2015.12.06

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