ハジメテ(三日月宗近)
これほど柔らかなぬくもりに触れたのはいつぶりだろうか。
いや、実際にその身に触れてはいないが、
柔らかな声と優しき空気が、訳も分からず目覚めたこの身体を包み込む。
「…………」
刀ではない、ヒトの肉体。
息を吸い、吐いてみる。
胸の奥に新鮮な空気が入り、思考を動かす手助けをしてくれるのを感じる。
手……を、見つめ、ゆっくりと指を動かしてみる。
なるほど、こういう感覚か。
全てが新しい。
だが、難しくはない。
すぐに慣れそうだ。
「三日月宗近さん……ですよね?」
鈴のような声が耳を擽る。
刀の身であった頃よりも人の声というものが心地よく、そして身体中に響き渡るのを感じる。
口元が自然と綻んでいた。
悪くない。
「いかにも」
「本当に居らしたのですね!」
目の前に居るおなごは俺を見て、心の底から嬉しそうに笑っていた。
心なしか興奮しているように見え、不思議に思う。
辺りを見渡せば鍛刀場でふたりきり。
さっきまでいた男は出て行ったらしい。
「本当に、というと?」
「とっても珍しい方なのでなかなか巡り会えなくて……都市伝説かと思っていたんです!
他の皆はもうほぼ揃ってるんですよ!おじい……えっと、三日月さんを待ってたんです!」
としでんせつ。
聴き慣れない言葉だ。
「おじい……と言いかけたか?」
「あ、すみません、皆さんがそう呼ぶものですから……」
「ははは。俺は古い。それは偽りではないからな、仕方あるまい。好きに呼ぶといい」
「い、いえっ、三日月さんで……そ、それでですね、あの、お願いがありまして……」
それから彼女に今までの経緯を聞かされた。
俺は審神者としての務めを果たす彼女に協力せねばならぬらしい。
目覚めてすぐのこの身には、なかなか重い仕事のようだ。
いや、この仕事を遂行する為に目覚めることを許されたのであろうから、
文句を言える立場ではない、か。
「……なるほどな」
「嫌……ですか?」
「嫌とは言っておらん」
質素な着物に身を包んだ彼女は不安げに瞳を揺らす。
頭ひとつ……いや、3つ分くらいは背丈の小さな彼女は俺が両手を広げ、
折りたためば、すっぽりと収まってしまいそうだった。
白い肌がほんのり紅く染まっている。
緊張しているのだろう。
歳はわからぬが、古き自分に比べれば赤子のようなものだ。
小さいだけで、
赤子のようだと感じるだけで……
ただそれだけで愛しく感じてしまうのも、じじいと呼ばれる所以か。
「ははは。じじいも悪くないな」
「えっ……あ、あの、それは協力していただけるということでしょうか!?」
白くて細い喉がこくりと鳴る。
俺の返事に期待している。
期待されるのは心地よいものだ。
ほどよい緊張感が場を包み込む。
俺の返事次第で、彼女の未来は如何様にも転ぶのだ。
おもしろい。
「じじい……そうだな、俺は古きものだ。そなた……そう、主の知らないことをたくさん知っているだろう」
「はい。勉強させていただきたいです!」
主は胸の前で拳を握りしめる。
「うむ、良い心がけだ。ただ、歴史のことだけではない。俺はずっと刀の身であったがゆえに、知識としてはあっても実際に行動として体験したことが少ない」
「ええ、わかります!」
「そこでだ。共に学んではくれないか?」
「はい!喜んで!」
主はしっかりと頷く。
俺は再び笑みを零す。
きっと悪い顔をしているのだろうな、刀だった頃に見ていた数々の”悪人”のように。
「その言葉、忘れるなよ?」
瞬間、主の頬を両手で包み込む。
優しくしてやりたいとは思うのだが、加減がわからない。
「んっ」
彼女は呻きとも悲鳴ともつかぬ小さな声をあげた。
膝、を折って、少しかがむ。
息が掛かるほどの距離というのはこれくらいだな。
彼女のまあるく見開いた瞳に、俺だけが映し出されている。
主が何か言うのを遮って、その艶めかしい紅い唇に自分のそれを落とした。
「んっ」
「っ…」
ああ、こんなに柔らかなものに今まで触れたことはない。
いままで俺に触れたのは節くれだった男たちの手と、骨と肉。
自ら触れることを初めて許されたのが主の身体とは、人の身体もいいものだ。
「っ……んんっ…」
「ふふっ……」
こんなに柔らかいものがこの世にあるのだな。
吐息はふたりの唇の間に留まって熱を持つ。
彼女が抗議の声を上げる隙を狙って、舌をねじ込んだ。
「ふぁ……ぁっ…」
「ん……んん……ふふっ……」
唾液を纏った熱い舌が蛇のように絡み合う。
人の口内はこうなっているんだなと妙に感心しながら、
触れ合うことの快楽を深く追い求める。
「んっ……むね、っ……ちぁ……っ」
「ふ……む……ぁ……っ……ん……」
彼女の両手が俺の手を剥がそうと躍起になるが、何の意味もない。
むしろそれをねじ伏せたくて更に深く舌を進める。
鼻から抜ける主の声が甘くて甘くて、耳が蕩けそうだ。
彼女の声が耳を嬲るたびに、
腰から背に掛けて恐怖のような歓喜のような、複雑な感覚が駆けあがる。
思わず肩を震わせながら、なおも彼女の熱を貪る。
くちゅ、と二人を繋ぐ淫らな音は、
もっと別の行為まで連想させて、腰が震えた。
体内にとどめた酸素量が限界に近付き、
半ば夢見心地で彼女を解放すると、身体をぐいと押される。
「……みっ、三日月さん!何するんですか……、あっ!」
「よっ」
酸欠状態で声を上げた為によろけた主は倒れこみそうになる。
そこをしっかりと抱きとめ、胸に閉じ込める。
すっぽりと包まれた主の姿は周りから見えないだろう。
「さあ、罵声を浴びせてもよいぞ」
「こ、こんな服に囲まれちゃ、ちゃんと耳に届かないじゃないですか!」
「ほう、脱いでほしいということか?ははは、主は積極的だな」
「冗談はやめて下さい!」
俺と俺の着ものに四方を囲まれた状態で喚いても、声は中に留まりなんの迫力もない。
じたばたともがく子供を抱きしめている感覚だ。
「ははは。主は可愛いのう」
「かっ、可愛い!?」
「あーるじ、三日月じーさん出たって噂だけど、ほん……」
突然、鍛刀場の扉が開き、白き者が姿を現した。
「あー……早速やってんのかじーさん」
「お前は鶴丸か。久しいのう」
彼はあきれたように溜息を突くと、俺の腕を彼女からみるみるうちに解いてしまう。
「はい、脱出成功ー」
「つ、鶴丸さん……助かりました……」
主はその瞬間弾かれたように駆けだして俺から距離をとり、それから鶴丸の背に隠れた。
「なんだ鶴丸、無粋だな。俺は主と出会いの祝いをしていたところだ。気を利かせてはくれぬのか?」
「あんたのことだ、セクハラのひとつでも既にしたんだろ?」
鶴丸の背に隠れた主が彼の衣服をぎゅうと掴むのが見えた。
「あー、当たりね。よしよし、俺が守ってやるから」
「で、でも、三日月さんとも仲良くしなくては……みんなで力を合わせなくちゃ……」
鶴丸の背に隠れて、主は不安そうにつぶやく。
―――あの嗜虐心を煽る表情が悪い。
己の無礼を彼女のせいにしてしまう。
抑えきれない衝動が、俺をあの行動へと突き動かしたのは間違いではないのだから。
「そうだぞ。すきんしっぷ、というやつで絆を深めようではないか」
ははは、と口元を隠して笑ってみる。
鶴丸の表情は崩れない。いたわるよう優しく、背に隠した主に触れた。
俺から隠すように。
「あんたのは行きすぎたスキンシップなんじゃないのか?
まあ……今日は初めてだからな。主も大目に見てくれるだろうけど……」
背にいる彼女を気遣うようそちらを伺い、一旦言葉を切る。
そして改めてこちらに視線を寄越した。
「あんまり主が嫌がることしたら、俺が許さないよ」
「ほぉ……」
「鶴丸さん……」
白き前髪に少しだけ隠れた瞳は紅く揺れていて、真剣に俺を威嚇している。
久しぶりに再会したのに随分と手荒な歓迎ではないか。
どうやら、彼女のぬくもりに中てられたのは俺だけじゃないみたいだな。
「わかった。……以後、宜しく頼む、主」
「は、はい」
震える声に、
さっき感じた恐怖と歓喜が綯い交ぜになった感覚が再び腰を疼かせる。
さて、この衝動をどうしたものか。
*END*
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