ときレス | ナノ


I'm not a Doll. I am Me.(霧島/微裏)

もうこの部屋で起こること以外のことには興味がない。
私がいて、彼がいて、真っ白いこの静かな部屋で、
優しい時間が過ごせたらそれでいい。

昔会った人とか、
昔起きたこととか、
もうぼんやりとしか思い出せないし、
思い出すことに意味があると思えなかった。

私にとってただひとつの真実は、
感じる熱。
私の髪を梳く大きな手は相変わらず優しくて、あたたかくて、
この熱を喪うなんて考えられない。

とても自分じゃ買うことのできなかったような高級なシルクのドレスを纏った私は、
-いや、正確には着せられたというのが正しいのだけれど-
彼の熱い胸に背中を預けて行儀よく膝の上で手を揃え、
正確なテンポで一定のリズムを刻む彼の手の動きに意識を集中させている。
胸元が大きく開いたそのドレスは、コルセットこそしていないものの、中世ヨーロッパの貴婦人の召していたドレスのよう。
窮屈でもなく、余裕が感じられるわけでもない、
ぴたりと体に沿った服たちは、一着一着、オーダーメイドで作られているのだろう。

少し前までは幾分傷んでいた髪も、
今じゃすっかり流れ星のようなきらめきと絹のような手触りで、
彼によって、そっと耳に掛られたそれは間髪入れずにすぐに滑り落ちてしまう。

それを残念がる素振りも見せず、
彼は後ろから私の頬に手を添えた。
少し冷たい彼の掌に、私の体温が伝わっていく。

「暖かいな、きみは」
「…………」
「前にきみは言ったな。これじゃ、まるで自分が人形みたいだって」
「…………うん」
「でもそれは違う。きみの身体は柔らかくて温かくて、ちゃんと生きてる。人形とは全く違う」
「…………うん」
「愛してる…名」
「わたしも、司さん…」

朝も夜もないこの部屋で、毎日、毎日。
呪文のように繰り返される愛の言葉。
でも決して軽々しくない、気持ちのこもった心地よい言葉に、
私の身体はすっかり毒されて。
彼の魅惑的な声が紡ぐ甘美な響きに不思議な痺れさえ覚えるようになった。
頬に添えられた手の上から自分の手を添える。
触れた場所から繋がっていくようで嬉しくなる。

「名…」
彼が、私を抱きしめる腕に力を入れると、ふたりの身体がぴったりくっついて、とても気持ちよい。

そのときだった。
部屋のドアがノックされる。

「食事の時間のようだ。立てるか?」
するりと解かれる腕に淋しさを覚えながらも、彼の言葉に頷く。

腰かけていたソファから共に立ち上がった私たち。
彼は私を支えながら、向かいのソファに私を座らせる。
上質なゴブラン織りのシートに、身は深く沈む。

彼は、ソファに腰掛けた私の額に、優しくキスをひとつ落とすと、
「少し待っていて」
とその場を離れる。

遠ざかる背中を見つめながら、
薄れていく彼の香りに不安を覚える。
少しも離れていたくないのに。

…でも食事の時間はとても好き。
彼と長く見つめ合っていられるし、彼の優しさを強く感じるから。

かちゃりと食器の揺れる音と共に、彼が帰ってくる。手には誰かから受け取った銀のトレイ。
細やかな細工の施されたトレイは美しく、一目見たときから気に入っていた。
上には2人分の食事が載っており、湯気が立ち上っている。

「お待たせ。さぁ、食事にしよう」
王子然たる笑みをたたえた彼はどんな姿も様になるから困る。
ちょっとの時間離れた不満も、その表情で消し飛んでしまい、訪れる時間に胸を弾ませる。
私は微笑みながら頷いた。

「はい、口をあけて」
「あ…………ん…」
ゆっくりと喉に流し込まれる滑らかなスープ。
丁寧に濾されたパンプキンスープだ。
ほどよく冷まされているので、火傷の心配なく飲むことができる。
柄に、鳥の装飾が据えられた木のスプーンは、私に火傷をさせたくないと、彼が自分で準備したと教えてくれた。

「美味しい?」
「うん、とっても」
頷くと、不安げだった彼の顔も晴れる。
「よかった」
そしてもう一口、スープを掬うと私の口へと運ぶ。

ごくり。

彼の手から与えられたものが体に入ってくことに、
こんな風に喜びを覚えるようになったのはいつからだったろうか。
ここへ来て、長いような気がするし、もしかしたら3日と経っていないのかもしれない。
外界と切り離されたここは、彼の作りあげる静かな箱庭。
私の為だけの楽園。

目の前に跪いた彼は、次に、私の口へと小さくちぎったパンを運んでくれる。
小鳥が啄ばむように、パンを口で摘んで受け取り、
ちょうど良い大きさのそれをゆっくりゆっくりと咀嚼して飲み込む。
その動作を、目の前の彼は満足げに見つめているからちょっと恥ずかしくなった。

「司さん…そんなに見られたら恥ずかしい」
「ああ、すまない…つい。可愛くて……」
「…………もぉ…」
「さぁ、もう一度」
「うん…」
パンを千切って運んでくれた指に、今度は背をソファから離し、仕返しだとばかりに自分から食らいついた。
パンを舌で掬いとり、それを持っていた彼の指を唇でやわく食む。

瞬間、青い瞳がまぁるく開く。
驚く素振りをあまり見せない彼には珍しい表情で、大きい満足感を覚える。
音を立てて指に吸いつき、舌で軽く撫で上げてから、元の位置に戻った。
指から唇が離れるときに鳴る音が妙に卑猥に響き、私は自分の行動を早々に後悔した。

「……いけない子だ」
一瞬くすりと笑った後に、響いた彼の声にびくりと体を震わせたけれど、特に何をしてくるでもなく、
今度は再びスープの器を手に取り、スプーンをその中へと滑りこませる。

「もうひとくち、スープをどうぞ?」
「…う、うん……」
特に変わりない様子の彼に安心しつつも、どこか残念な気持ちを覚えながら、おずおずと口を開く。

すると次の瞬間、

「あっ…」

木のスプーンは私の口の中へ完全に滑りこむ前に角度を変え、中身が首筋から胸元へと飛び散った。
スープは決して熱くはなかったけれど、濡れたことに驚く。

司さんを見ると、青い瞳は微かに見開かれ、驚いた表情を”作って”いた。
目は見開かれていても、口元には笑みをたたえていたから。
いつもは冷静な白い頬は微かに上気し、それは彼が僅かに欲情している表情だと私は知っていた。
彼はわざとスープを零したのだ。

「司、さん…あの…」
「すまない。零してしまったようだ。いま拭くから」
「だ、大丈夫、私、自分で…」
言いながら、首に付いたスープに手を伸ばすと、その手がぐっと掴まれる。
「きゃっ…」
「ダメだ。きみは自分で自分のことをしてはいけないと教えただろ?」
「………」
「食事も、着替えも、シャワーも。自分でする必要はない。その為に俺がいるのだから」
わずかに指先についた液体を舐め取って、彼はにっこりと笑う。
「きみにずっと支えてもらっていたから…今度は俺がきみを支える番だ。痛みも苦しみも辛いことも何もないこの場所で、俺の手で生きて欲しい…」
「…つかさ…さん…」
「わかったな?」
「………」
返事の代わりにうなずいて見せる。
すると彼はにっこりと笑って頭を優しく撫でてくれた。

「ああ、すっかり濡れてしまったな」
どこか芝居めいた台詞を吐きながら、獣のような光を瞳に宿した彼は、私の胸元へと唇を寄せる。
熱い舌で飛び散ったスープを掬い、味わうように肌へ吸いつく。
最初は遠慮がちだったその行為が、やがて肌をきつく吸い上げるようになり、思わず声が漏れる。
「んっ……!」
「どうした?」
「っ……だって、司さん、が…っ」
「俺はただ、スープを拭っているだけだが?」

鎖骨付近に留まっていた唇はやがて、下へと滑り下りていく。

「ここも濡れてしまったな」
「だって…」
「気持ち悪いだろ?」
胸元を濡らしたスープは肌だけでなくドレスにも飛び散っていて、それを見た司さんは何か面白いことを考えているかのように目を細めている。
「あのっ、だったら着替えを…!」
「せっかく誂えたものだ。もう少しそのドレスを着たきみを見ていたいと思っている…だから」
「でも…!」

私の制止に応えず、スープの付着したドレスに再び唇を寄せる。
胸元を覆った白い生地に歯を立て、それを剥がそうとする。

「んっ…!」
その過程で彼の唇が、下着を付けることを許されていない私の硬くなった赤い部分に触れて、思わず声が出る。

ソファの両サイドに据え付けられた金色の重厚な肘かけをぐっと掴み、その刺激に耐える。
ばたつく足は彼の体重で抑えつけられている。
彼は楽しそうに微笑んで、もう一方の膨らみへと唇を寄せる。

「つか、ささんっ…恥ずかしい…これっ」
「いけない子にはお仕置きが必要だろう?……んっ…」
「ひゃあっ…、っ」

同じように生地をずり下げ、私の反応を楽しむ。
胸元の生地をずり下げられた恥ずかしい格好。
硬くなった胸の先端が生地を押し上げ、その形を主張している。
なんとか、生地で隠せてはいるものの、これだと逆にその存在に目が行ってしまう。

「ふふっ…感じた?」
「うっ…」
「こんなに硬くして」
「やぁっ…!!」

ちゅ、
私が立てた濡れた音をまねて、彼がそこに吸いつく。
甘い痺れが腰から頭へと一気に駆け抜けていく。
背をしならせ、首元を無防備にさらけ出す。彼の舐めた箇所が空気に触れてひんやりと冷たい。

羞恥と快感で潤んだ瞳を向けると、彼は満足げに微笑んで立ち上がり、私を抱きしめた。

「続きを、ご所望かな?」
「…………はい」
「……いい子だ」

まるで人形のように体に力が入らない私を、彼は軽々と抱きあげ、
綺麗に整えられたベッドへと連れていく。

彼の歩くたびに揺れる視界。

目に入る全ての調度品は私にふさわしいものをと彼が選んだ。
ここは、私の為だけに作られた部屋。
ここは、ふたりの為だけに在る世界。

堅く閉ざされた窓には分厚いカーテンが掛かり、
外界とこの部屋を分断している。
この部屋から外見たことは一度もない。

外の世界なんて私には必要ない。
だって、司さんがいれば満足だから。

彼の手で生かされることに意味がある。
きっとそう。

彼の体温を感じながら、
ふと頭に浮かぶ誰かの影。私を呼んでいるけれど、もう誰の顔もはっきりと思い出せない。

「どうした?俺以外のこと考えてた?」
「ううん、司さんしかいないって思ってたの」
「……そうか」

ああ、司さんのこの表情が好き。
彼が不意に見せるどこか不安げ表情は、私の一言で明るく変えられるの。
私の言葉が彼を満足させ、悦ばせる。
この瞬間がとても幸せ。

私は自分の意志で此処に居る。
私は自分の意志で彼を愛している。

そうだね、私、お人形じゃないね。



そっと横たえられる身体。
シルクのシーツは冷たすぎる。
でも肌を滑る心地よい感触を指で楽しむ。

散らばる髪。
広がったスカート。
投げ出された足に恭しく口づけた彼が、覆いかぶさってくる。

濃くなる彼の香り。
至近距離で見つめ合うだけで、彼が欲しくてたまらなくなる。
焦らさないで、はやく…

「愛してる、名」
「私も…司さん」

呪文のような言葉をふたりで紡いで、
また物語の続きをするの。

永遠に、此処で、ふたりで。


2014.01.03





遠くで声がする。
聴いたことのあるような、ないような。
でもきっと私には必要のない声。

そう思うのに、
その声は私の名前を執拗に呼ぶ。

煩いなぁ。


ドンドンとドアを叩く音が聞こえる。
きっとこれは私と司さんの楽園を壊す音。


聴きたくない聴きたくない!


私はぎゅっと耳を塞いだ。



* 続く*



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