前略、親愛なるキミへ

 キャリーバッグに詰め込んだ適当な荷物と、イタリアに来てから買ったものを、一度全て広げてから整理していく。服はクローゼットへしまったり、小物をテーブルに並べたり。アンティークなお洒落なドレッサーの上には、先程買ったばかりの小瓶を置いてある。昨日の夕食の時にXANXUSから貰った一輪の花を挿し、リオナはそれを指先でつついて微笑みを浮かべた。

「今どきの十七歳がケータイを持ってないってどうなんだあ!?」

 連絡をしてくるような親もいなければ、まともな友達もいないリオナにとって、携帯電話は必要なかった。それを聞いたスクアーロは、彼女が買った荷物を部屋に運び入れ終えると何かを取りに戻り、物を広げて床に座っているリオナの頭の上に携帯端末機を置いた。
 バランス感覚の無いリオナは、滑り落ちてくるそれを受け止められずに太腿の上へと落としてしまう。お前が持っていろと言われて、まじまじとその液晶画面を見た。

「最低限の連絡先は入れてあるし、言語の設定も日本語にしてある。何かあれば鳴らせえ!」

 自社で作っている端末機だろうか。リオナはそう思いながら慣れない手つきで画面を操作してみると、電話帳に知った名前がアルファベットで並んでいるのを見つけた。最下部にはXANXUSの文字。こういう綴りなんだ。電話番号と一緒にメールアドレスも登録されている。ただそれだけで、リオナはなんだか嬉しくなった。

「それと、今夜からしばらくXANXUSは仕事で帰らねえ。ディナーは部屋に運ばせるからひとりで食え」

「わかりました、残念」

 夫婦生活は始まったばかりなのに、多忙な夫を持つと妻は淋しい想いに耐えなくてはならないのね。などと言いながら肩を落とすリオナに、スクアーロは呆れた息を吐いた。

 日本で住んでいたマンションの、リオナが使っていた部屋の広さはたったの六畳。少し物足りないくらいの方が寂しさを感じなくて良かったのに、イタリアに来て彼女が与えられた部屋は寝室だけでもその何倍もあった。真っ白の大きなベットは何度か寝返りをうっても、両手両足を思い切り伸ばしても障害物に当たる事もない。昨晩は行き場の無い孤独感に苛まれながら、出来るだけベットの端、シーツの中で身を縮めて眠った。
 朝になると廊下を通り過ぎる気配や声がして、リオナが廊下に顔を覗かせるとルッスーリアがそれに気付き、「おはよう」と声を掛けてくれる。当たり前のこの挨拶も、何年振りにしただろう。リオナは胸の奥が暖かくなって、少しぎこちなく挨拶を返してから、改めて部屋の中を見回してみた。夜の間に感じた淋しさはどこにも見当たらなくて、日本を捨ててイタリアに来た後悔は、微塵も無かった。

 リオナがイタリアに滞在してから数日経った頃。彼女は時間の潰し方に困っていた。スクアーロには勝手に敷地外に出るなと言われているし、そもそもこの邸の中ですら広すぎてまだ全貌を把握し切れていない。案内して貰ったのも初日だけで、似たようなドアが並ばれると何がどうなっているのか一度では覚えられない。迷わないよう自室の扉にはカエルの人形をぶら下げていて、リオナはそこから少しずつ行動範囲を広げていった。
 この日は少し冒険して、ひとりで別棟から本館へ繋がる連絡通路を渡ってみる。その一番端で壁に背を預けて座っている人の影があった。片膝を曲げて、もう片足は前に伸ばしている。上物そうなストライプのスーツに派手なネクタイと、きんぴかのネクタイピン。綺麗な白髪は全て後方に流すように整っていて、手を加えられた鼻の下のおヒゲも全て上品なお爺さんだった。

「身体の具合でも悪いんですか?」

 そんな身なりを綺麗にしているお爺さんが廊下で座り込むなんて不自然だ。何よりここに勤めている人は皆黒づくめの制服だし、この人は外から来た人なんだろうと勝手に思った。XANXUSさんと出会った時も、こんな風に声を掛けたっけ。
 俯いた顔を上げたおじいさんの瞳の色を見て、リオナは大事なことに気付く。

「あ、日本語わからないですよね! 誰か他の人呼んで来ます!」

 屈めていた身体を振り返らせて、その場を離れようとしたリオナの行為は掴まれた腕に制止させられた。

「気遣いありがとう、私なら大丈夫だよ。」

 随分と発音の良い日本語。失礼、といって掴まれた腕を解放したおじいさんは、どこか物寂しそうな影をその表情に浮かべていた。歳を取ると不意に足が痛くなって困ると、上品に笑っていても。
 なんだか放って置けなくなったリオナは、そのお爺さんの横に正座して座ると、両手を自身の膝の上に添える。

「……おじいさん、一人なんですか? ここのセキュリティはかなり原始的なので、危ないですよ?」

「ああ、身内に会いに来るのに付き添いはいらないと思ったんだがね。肝心の息子にも会えんかったし、帰ることにするよ」

 思った通り、その人は外から来た客人だった。VARIAって言ったっけ。ここの人達は色んな国の言葉を流暢に話したりするので、時に錯覚する時がある。街へ出た時は日本語を使っている人は見掛けなかったし、当然、当たり前に通じないと思っている自分の言葉で会話が出来ていることに、リオナは少なからず嬉しく思う。

「すごい、さすがは息子さんがインターナショナルな会社にお勤めなだけ有りますね、日本語がお上手」

「ほっほっ、これでも私は日本に若い親友がいてね、何度か訪れた事もあるよ」

「そうなんですね! なんだか武勇伝とかいろいろ出てきそう! 顔立ちも綺麗だし、やっぱり女の人にモテモテだったとか?」

「そりゃあ勿論」

 お爺さんが優しい性格をしているのは見て取れる。リオナは、ふんわりと笑う人だなあと思った。興味津々に覗き込んでいる顔、不意にこちらを向いたその視線と目が合って、自然と前のめりになっていた身体を照れながら元の位置に戻した。

「君は日本人……? 見たところまだお若く見えるが、なぜこんなところに?」

「それがですね、数日前にここの社長さんに見初められて嫁いで来たんです。あ、イタリアでは社長じゃなくてボスって言うんだっけ」

 そう言うとお爺さんは目を丸くして、しばらく何かを考えている様子だった。そうして少しの間を置いてから、確かめるように口を開いた。

「……XANXUS?」

「そうですそうです! でも忙しいみたいで、思ってた程のランデブーは無いんですけど」

 お爺さんは意外そうに驚いていて、まあいきなりあった人がまさかの社長夫人と知れば誰でもそうなるかと、リオナはこの時浅はかにそう思っていた。そして何がおかしいのか、おじいさんからは笑い声が止まらない。

「さては信じてないですねー? ほんとなんですよ? この前はね、お花もくれましたっ」

「いやいや疑っている訳ではないよ、ただ、こんな可愛らしい奥さんがいたとは知らなくて。馴れ初めなんかを詳しく聞きたいところだよ」

「可愛らしいなんて、あ、じゃあお時間良ければ休憩ついでに一緒にティーでもどうですか? 知り合いが作ってくれたケーキがあるんですけど、すごく美味しいんですよ! 私もおじいさんの昔の話とか興味有ります!」

「ははは、では、招かれようかな」

「是非っ!」

 杖を着いて立ち上がるおじいさんに手を貸して、リオナは渡って来た道を引き返す。別棟でしか道を把握していないし、そこしか案内出来ないのだ。
 自己紹介をすると、お爺さんはティモッテオと名乗った。リオナは自分に特別なチカラがある事は伏せ、ティモッテオさんも結局のところ何をしている人なのか素性はわからないまま、リオナはモテモテだった彼の昔話に耳を傾けた。そうして異国の地で出来た年の離れた友人が帰ってから更に数日後、事件は起きたのである。

「う''おおおおい! これはどういう事だあ!?」

 海外出張から帰って来たばかりのXANXUSの部屋に、血相を変えて飛び込んで来たスクアーロ。帰還して早々着替える暇すら与えないその所業に、何か投げ付けてやる物はないかとネクタイを解きながら辺りを見回すXANXUS。しかしその間に発せられたスクアーロの言葉で、思わずその手が止まる。

「九代目からボンゴレ主催のパーティーの招待状が来てる! お前と、リオナにだ!!」

 いつどこでリオナの存在が露見したのかとスクアーロに問いただされても、XANXUSにも覚えはなかった。