珍しく、サクは余裕をもって家を出ていた。

精々家を出てから5分かかるかかからないかというと距離のバス停へ向かうため、友人との待ち合わせ時間に大分余裕をもってマンションのエントランスを歩いていた。
かつかつとあって無いようなパンプスのヒールが鳴る。

サクの家からバス停まで行くには階段を登らなくてはならなかった。
100段弱ある、長い長い階段だ。

5分の1も登りきらないうちに息が切れ始める。
ふと上を眺めてみた。

男が先を歩いていた。
軽く束ねられた、女みたいにゆるくカールした長い黒髪。けれど、服装等を抜きにしても分かる、"細めの男性"な背中。
そしてその少しだけ前を茶色の毛をした小さな生き物が歩いている。
はじめ、犬を散歩させているのかと思った。
茶色がぴたりと止まる。

にゃーお。

違うよ。
そう否定でもするようにその茶色は振り返ってサクを見た。
登る足を休めない彼女は自然とそれと近づく。

―――猫か。

視界にぴんと立った耳が見えた。
その茶色は猫だったのだ。首輪をしていない、人懐っこいと近所の子供達ネットワークで人気の、おそらく"彼"という代名詞のつく、癒し系。
猫はとてとてと階段の端へ寄る。
それはまるでサクの行く手を阻むかのように。
そしてまた、ひと鳴き。
撫でろアピールなのだな、とサクも察する。しかしなにぶんこれから学校だ。多分一度構ってしまえば、しばらくは足止めを喰らう。
余裕があるとはいえ、そこまでの時間はない。

「んー、ごめんね?」

困った様に笑ってばいばい、と手を降る。この時点で完全にもう一人人がいた事を彼女は忘れている。

「猫、可愛いよね。」

びくっ、
本当に地面から浮いたのでは無いかというほどの勢いで彼女が飛び上がる。そして、反射的に声の方を見た。

そこには、そう。思い出す。犬を散歩しているように見えたあの男。
内心至極驚きながらも、そうね、とにっこり笑う。

「猫すきなの?」

なんとなく、話しかけてもくるし2人で連れ立って歩く形になる。
登りきるまであとすこし、になると流石に諦めたらしい。隣に縋るように歩いていた猫はぴたり止まり招き猫のように顔を洗い始める。

「ええ、好きよ。可愛いもの。」

あいにく今年から大学生。
知らない人と話せない、とかそんなこと言っている場合では無かった。彼女はしっかりとは程遠い。だから、誰彼構わず助けて貰っている。
そのお陰か所為か知らない人、というのに対する何かが麻痺しているのだ。まあ、元々彼女は人見知り、という程でも無いのだが。

「可愛いよね、猫。猫派なの?」

或いは。
男の無邪気で無害そうな、庇護する側の笑顔、とでも言おうか、そんな優しげな表情が安心感を与えたのだろうか。

「ううん、犬派よ」
「犬飼ってるんだ?」
「友達がね。」
「羨ましい。俺はどっち派でもあるから。小さい生き物とかって好きなんだ」
「可愛いものね」

バス停が見えてきた。
男もバスなのだろうか。見たところ私服。大学生だろうか。意外と近所にも知らない人もいるものだな。
そんなことも考えながらにこにこと会話を続ける。

「なんていうかさ、人間なんかより全然小さいのにさ、生きてるっていうのが不思議な感じなんだよね。
ふわふわしてて、あったかいし。人間でもぬいぐるみでもないって、凄く、変な感じがする」

―――素敵だな。

サクはとても素直にそう思った。
見た目は優男風でちゃらそう、と言うのもなんだが。恐らく女には人気がある方だろう。
だから、そんな事はなんとなく言わないんじゃないかと思っていた。

文学は笑うし、大人しい女の子は暗いと言うタイプだと思ったのだ。

けれど、あの発言。
すこし違ったのかなあ、と反省する。

「素敵ね、」
「…!」

サクが笑いかければ、男は驚いたような、それでいて嬉しいような顔をする。

ふたり、バス停の前で立ち止まった。

「笑わ、無いんだね……?」

戸惑うように、男がサクを見る。

「詩的ないい表現じゃない。あたしは好きよ。」

それに、すこし分かるから。
サクがそう言ったあたりでバスはすぐに来た。
2人でバスに乗り込む。
相変わらずがら空きの車内、空いた座席。ごく自然に男の隣に座ることになった。

「…君がそう思うのは、なんでだろう?俺が動物好きって分かったからな?」
「なんで、って難しいわね……でも初対面だから普段を知らない、っていうのもあるんじゃない?」

きっとキャラじゃないこと言っているんだな、だから笑われるんだ。
サクは特に勘ぐることもなくそう思った。或いは、つるんでいるのが、さっき言ったような、真面目だとか詩的だとかをわらう人間かこか、だ。

「あぁ、そうか、初対面だもんね」

対する男は妙に納得した様に数回頷く。
そうか、俺のことを知らないのだから笑うもくそもないのかあ。

「そっか……初対面、だもんね。名前、聞いてもいい?」
「えっ。えぇ。紗久(さひさ)
「さひさ、ちゃん」
「ええ。でもあだ名はサクよ。さひさ、って書くとサクに読めるの。」
「そう。じゃあ、サクちゃん?俺も質名(らん)なんだけど、あだ名はアイなんだ。改めて、よろしく。」

にっこりと、彼が笑う。

「ええ。べつにサクでいいわよ。よろしくね、アイ。」

そのままの流れで、連絡先を交換した。
と、言っても最近はアレだ。ラインなわけだが。
そして、名前を言ったのを皮切りに身の上話、というほどのことではないのだが、自身たちについて話始めた。
アイは最近越してきた大学生だとか。
サクの目的地は彼の大学の道中だとか。

となれば後は早かった。
アイの提案で時間が合う日だけだが、ともにバスと電車に乗るようになった。連絡を取り合ったり、定期圏内で遊ぶようになったり。

そんなわけで、歳が同じだった彼女たちが仲良くなるのに、そう時間はかからなかった。

猫をきっかけにした些細な出会いは、2人をありきたりな関係に変えた。

「ねえサク。」
「なに?」
「今日、何の日だかわかる?」
「彼女みたいね。猫の日でしょう」
「うっ、えっ、ちがっ……?否定していいのか肯定していいのかわからないよ??」
「落ち着きなさいよ」
「…うん、うんそうだね。彼女ではないけど猫の日だよ」

2人はいつしか"恋人"なんていうありきたりな関係になった。
けれど、始まりが少し変な2人は、やはりどこかが変なままだった。
2人は付き合った日を記念日としていない。
アイの方はちゃんと覚えているのだろうが、本当にサクは認識していないだろう。変な所で豪胆マイペースなのだ、
それだけ、2人にとっては"始まり"はこの"猫の日"だった。

「……ねえ、アイ?」
「なあに?」
「……さすがに、こんな日にプロポーズとかって、痛いかしら」
「……?!」
「べたすぎる?」
「……」
「ちょ、黙るのいくないわ……恥ずかしくなるじゃない」
「…却下!!却下だよ!!!?」
「!?」
「そういうのは俺に言わせてよ?!却下ですよそんなもん!!!!」
「そこ…だと…?!」
「そこしかねえだろ!?」
「口調」
「おっ…と…。ごめん取り乱した…」

とにかく、プロポーズは俺がするからね!サクが忘れたころに!驚かせたいんだから!!

同じようなことをまた繰り返してアイはサクの頭を彼にしては乱暴に、撫でる。
それにサクは、そっかぁ、じゃあ今日も何もなくおうちでぐだぐだしようか。そう笑って応える。

変な始まりの、ありきたりな関係の2人。
これからは、もっとありきたりになるのかもしれない。
アイは、そう、想いかけて、いやないか、と内心で首を振った。

まさか自分がこの少し可笑しな自分を受け入れた、少し可笑しな人間と一緒になったとして、普通になるはずなんてないのだろう。

一見普通で、探してもなにも違和感もない、そんな2人。
だけど、そんななのになぜかどこかが可笑しい。

そんな、よくわからない関係になるのだ。

アイは根拠もなく確信していた。

とても不思議で、だけどなんでか酷く容易に想像できて。
とっても"普通"の恩恵を享受した、"普通"モドキ。

それは、不思議と酷く幸せなものに思えた。

そうして、その"普通"の幸せをかみしめながら笑ったアイを優しげにサクは見ていた。
彼が"普通"を幸福に感じてくれることが、彼女はなぜかずっとうれしかった。
だから、2人で探していければいいな、と。そう思ったんだったなと思い出す。

「とっても、素敵ね!」
「うん、本当に。」

"素敵"。
自分の周りでは聞くことの無かったその言の葉をなんの臆面もなく言ってしまえる彼女が、彼にとってはこの上なく素敵で。
だからそんな素敵な人に惹かれるのは、当たり前のことだった。
彼は今だってそう思っている。

"普通"な筈なのにどこか可笑しい。そんな"素敵"な自分と彼女の関係。

それは、きっととっても珍しく手に入れにくいものなんだろう。
そのありがたみに、何をしたって慣れたりなんかしない。いつまでも、新鮮な"素敵さ"を感じていてやる。

そんなことを思いながら、アイはサクをみる。
気付いたサクも、応えるようににかっと笑う。

やはり彼女は、どこまでも素敵な"普通"の俺の恋人なのだ。



End.





――――


そしてやはりオトそうと思ったところから異様に伸びる。オチてると思ってあげて…


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