慕情



二人きりの、静かな夜のことだ。
灯りを落とした寝所には、月の光が射し込んでいるばかりで、彼らの秘め事を盗み見るものはいない。
互いの熱を確かめ合う、いつもの宵―――しかし、この時は、少しばかり勝手が違った。



繰り返される、たどたどしい口付け。
千鶴から与えられる、官能的というには程遠いそれに、左之助は目を細めながら身を任せていた。
男は、娘の黒髪を緩やかに指先で梳き、その感触を楽しんでいる。

「あの……す…好きです。左之助さんが…好き…」

口付けの合間に囁かれる言葉は、睦言と呼ぶには余りに拙い。
しばらくそのまま、彼女のしたいようにさせていた左之助であったが、

「お、おい…千鶴。ちょっと待て」

彼女の柔らかい舌が、己の唇をぎこちなく擽ってくるのに驚いて、声を上げた。
そのうえ、千鶴が恐る恐るといった風に、左之助の口内に舌を忍ばせたので、より面食らうことになる。
常では考えられないような積極的な千鶴の行動に、左之助の頭を疑問がかすめた。
だが、黙って唇を受け入れていると、そのうちに千鶴の体の震えだの、真っ赤に染まった顔だのが感じ取れるようになり、そのあまりの物慣れなさに、思わず笑いが込み上げて来た。くすぐったい、というのも多分にあるが。

「くくっ、やめろって、はははっ…」
「な…わ、笑うなんてひどいですっ…」

至近距離で顔を見合わせると、千鶴は涙ぐんでさえいた。その子供っぽい表情は左之助の男心を刺激してやまないが、彼女にしてみたら必死だ。

「わ、わりいわりい。馬鹿にしたわけじゃないんだぜ」

慌てて笑みを引っ込めながら、左之助は興奮気味の娘をなだめる様に、身体を引き寄せた。こめかみにそっと唇を落とすと、やや拗ねた顔で、彼の視線から逃れようとする。

「……で、何だってこんな真似した?」
「………っ」

千鶴はもともと羞恥心の強い娘だ。
その彼女が、不自然に大胆な行動をとる理由。それは左之助に心当たりがないわけでもないが、出来れば彼女の口から聞きたい。

「千鶴?」

低く、静かな声色で問いかければ、千鶴は瞼をぎゅっと瞑る。
それほど饒舌ではない彼女の答えを、辛抱強く待っていると、やがておずおずと口を開いた。

「……その。屯所にいた頃のことを、急に思い出してしまって、」
「ん?なんだ、けっこう前の話だな」
「ええ、隊士さんたちが話していたことなんですが…えっと」
「いいから、言えよ」
「……寝転がっているだけの女は、つまらないって」

やっぱりな。
左之助の口に浮かんでいた苦笑が深くなった。千鶴は小さな身体をさらに縮こめるようにして、左之助の腕に掴まっている。

おそらく、もっと驚くような内容の台詞も聞いたことがあるのだろう。
女として最も成長するであろう時期を、男の血生臭い世界で過ごしてきた少女。それが千鶴だった。
左之助と添い遂げたのちは、男の姿をする必要もなくなり、本来の生活に戻ることは出来たけれど、千鶴は自身の女としての魅力に疑いを抱いているような節がある。
さらに、男所帯で何気なく交わされる、露骨で明け透けな会話が、初心な娘の心にどんな影響をもたらしたかは、想像に難くない。少々歪な形で記憶に留まっていたとしても、不思議はなかった。

けれども、それは彼女の中だけでの考えだ。
左之助は、千鶴に花街の女のような、閨で男を喜ばせる技術など求めていなかったし、それに―――夜毎、肌を重ねるたびに、艶やかに変化していく彼女を知るのが己だけだと思えば、これに勝る喜びはない。

さて、どう伝えたものか?

所在なく俯く千鶴の髪を、そっと梳いてやる。ぴくり、と反応する様が、妙に扇情的だった。

「……なぁ、無理なんざするもんじゃねえよ。千鶴」
「だっ、て」

千鶴は、なかなか顔を上げない。今になって、先ほどの行為を恥じているようだった。その彼女に、左之助は覗き込むようにして言葉を続ける。

「俺がお前を“つまらない”って思ってるなんて、本気で思ってんのか?」
「分かり…ません。私は、何も分からないし、綺麗じゃないから」
「おいおい、」

(……それが本当だったら、毎晩抱いたりしねえよ)

卑屈な事を言い出す千鶴に、口が尖りそうになる。けれど目の前の彼女が真剣な表情をしているので、強い言葉で刺激することは避けたかった。
ふぅ、と息を吐いて言葉を続ける。

「……俺がいつも言ってるだろ。お前は最高にいい女だって。まだ分かんねえのか」
「…………」
「そうかよ、」

仕方のねえ奴。
低められた声に、怯えたように千鶴が上を向く。その一瞬、力が抜けた身体を、男の逞しい腕が攫った。千鶴が何かいう暇もなく、さっさと寝床へと押し倒してしまう。彼女が息を飲む気配が伝わった。
千鶴のサラサラとした髪が揺れ、白い敷布に広がる。いい眺めだ、と頭の端で思った。

「さ、のすけさん…?」
「口でいくら言っても、信じそうにねえからな」

その場に組み敷かれ、呆然としている千鶴に、左之助は悪戯っぽく囁く。
千鶴が何をされるかを察したのと、左之助が彼女の唇を奪うのはほぼ同時だった。唐突に訪れた口付けに、戸惑った彼女が身を捩るが、男の強い腕が抵抗を許さない。
やがて息苦しくなった千鶴が、呼吸を求めて唇を開くと、すぐさま左之助の舌が潜り込んできた。

「……ん……っ…」

幾度も角度を変え、彼女の小さな唇を求める。
与えられる甘さに、千鶴の身体の強張りが溶けていく。あれだけ頑なだった態度が、己の接吻の一つで緩んでしまう、その無防備さが愛しい。

吐息が漏れるたびに、身を震わせるたびに、どうしようもなく左之助の欲を煽っている事など、千鶴は気付かない。
「つまらない」だなんて、冗談にもならない。
この背に走る焦燥のような感覚が、残らず彼女に伝わればいいとさえ思う。

小さな水音を立てて唇が離れると、切なく潤んだ瞳で見上げている千鶴に気付いた。この続きを望まれている、と思えば、左之助の体温も上がる。
耳元に唇を寄せて名前を囁けば、彼女の体が官能に慄いた。そのまま、想いを込めて掻き抱く。

「お前が、俺のために色々してくれるってのは嬉しいけどよ。今は俺の事だけ感じてくれりゃ、それでいい」
「左之助、さん、」
「俺の事だけ見てろよ、千鶴―――」

熱の篭った声を受けて、千鶴もまた、何かを覚悟したかのように、男の体を強く抱き返した。




2010/12/23

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