天国より野蛮・前編




積み上げるには数年、叩き壊すのはほんの一瞬。



千鶴、とひと声その名を呼び、抱き寄せる。不意をつかれた千鶴は、目を白黒させながら、男の腕に収まった。

「あの、原田さん……?」

夜の屯所の静寂に、ためらいがちな少女の声が響く。酒精に緩んだ頭は、それさえも刺激として受け取った。

千鶴の困惑には気づかないふりをして、男はおもむろに彼女の唇に自分のそれを重ねる。

「………っ…!」

少女の躰が大きく跳ねた。
一方の原田は、千鶴の甘い口唇の感触に、より深く触れたいという衝動を抑えきれない。逃げを打つ娘の身体を捕まえ、その華奢な首筋を支えて、柔らかな唇を貪る。

「はら……さ、っ」

抵抗する身体を押さえこみ、ひたすら一方的に。
少女の苦しげな吐息が耳に届く度に、ぞくぞくとした感覚が駆け上り、男はいつしか唇に薄い笑みを浮かべていた。
やがて、抵抗することに疲れたのか、千鶴の全身がゆっくりと力を失う。
一旦口付けを解いて、彼女の身体を畳へと横たえた。
ぼんやりとした彼女の視線は、酔いの回った頭には誘っているようにさえ見え、その先の行為を阻む効果などない。
彼女を男として装っている結紐を、するりと解けば、娘の頼りない輪郭がひときわ鮮やかになる。原田は喉を鳴らした。

この女を、手に入れたい。自分のものにしてしまいたい。

膨れ上がった黒い情動は、平素に抱いている思いやりや淡い恋慕を、押しのけるほどに激しいものだった。
綺麗な喉首に唇を這わせ、彼女の体温を確かめる。化粧もしていないというのに甘い香りがして、原田の頭を痺れさせた。そのまま、何もかもを暴いてしまおうと、彼女の付けている袴の腰紐を引き、同時に着物の袷に手をかけた。
しかし、その瞬間―――

「……ゃ……ぁ、っ」

悲鳴じみた音が、千鶴の唇から漏れる。それきり、少女は呼吸さえも止めてしまい、ただかたかたと身を震わせ続けていた。

組み敷いた小さな肢体が、闇雲な愛撫に怯えたのは明らかで、原田の顔から一気に血の気がひく。ついでに今までの高揚感にも冷水を浴びせられた気になり、あわてて彼女の上から退く。頬に触れて名前を呼んだ。

「おい、千鶴。……千鶴っ」

焦った声に、我に返ったらしい千鶴は、やがて呆然とした表情で原田を見上げて―――少女の瞳からぽろぽろと涙が零れ出すのを、男はかける言葉もなく、見つめていた。

「……っ…!」

しばらく無言でいると、千鶴はふらりと立ち上がって、そのまま部屋を飛び出していった。

「ちづっ……」

強張った喉から絞り出した声は、彼女には届かなかったようで―――原田は千鶴が走り去る姿を呆然と見つめていた。
しばらくして、少し離れた場所で派手に蹴つまづく音。また走る音。それらも遠ざかり、今度こそ、何も聞こえなくなる。
完全に沈黙した室内で、原田は苦りきった溜め息を付いた。
男の掌の中には、彼女が身につけていた結紐のみが収まっている。






夜明けが訪れ、原田は深酒のあとの特有の不快感と共に身を起こした。

「………滅茶苦茶だな」

最悪なのは気分だけではない。昨晩の己の所業を思い起こし、男の頭は罪悪感で埋め尽くされていた。

よりにもよって、千鶴に―――好いた女になんという真似をしたのか。

あの時、泣きながら己を見上げた千鶴の瞳を思い出す。あんなにも傷付いた表情を向けられた事は、一度として無い。
当然の話だ。これまでは表向き面倒見のいい兄のような態度で、彼女と向き合ってきた。素直な彼女は疑う事もなく信頼を返してくれて、それは存外に心地よく、二人の関係は穏やかに保たれたままだった。

それを壊したのは、他ならぬ自分。
酒の勢いだったなんて、言い訳にもならない。優しくしたいなどと思うかたわら、どうしようもなく求めているのも事実で。
昨日の出来事は、肌の下に隠した自分の本性が、表面に晒されただけにすぎなかったのだ。

「……千鶴、」

唇にその名を乗せる。それだけで、胸に鋭い痛みが走った。
どれほどの傷をつけたのだろうか。男の劣情など何も知らないその心を脅かして、手酷い裏切りをした。
食いしばった歯から呻きが漏れる。
この先、どの面を下げて顔を合わせたらいい。
無為な思考は、かつてないまでに原田の頭を悩ませ、掻き回していた。


To be continued…

2010/12/02

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