0914 20:39

分からないように少しずつ部屋の荷物をまとめて、お兄さんが引っ越しの準備を進めて、いよいよ当日。半日オフだった俺と音也は引っ越しを見届けようとレンの部屋に向かった。来たのは業者ではなくどうやら神宮寺家の人間のようで、黒服に黒サングラスの男達が俺達のまとめた段ボールを次々に運び出していく。レンはその間ずっと興味無さそうにベッドの上にいた。レンがこの場所に執着していることを知っているお兄さんは、ベッドはレンが部屋を出てから運び出すように指示していたらしい。音也はあの日の那月みたいにレンの手を握って寄り添っていた。


異変が起きたのは、聖川が遺した電子ピアノが運び出されようとしたとき。

「………めて…」
「レン?」

ゆっくりと立ち上がったレンが、ふらふらとピアノの方に向かっていく。ずっと無言で作業していた黒服達はやはりその存在を無視して、仕事を続ける。

「やめて、触らないで」

随分と久しぶりに聞いたレンの声は、小さくて掠れているくせにいやにはっきりと響いた。それでも作業は止まらない。傷つけないようにそっと、持ち上げられるピアノ。床には埃の跡。聖川が死んだ後も、雑然とした部屋にあってピアノそのものだけは常にピカピカだった。きっとレンが定期的に掃除していたのだ。こんなにぼろぼろの精神状態の中で。

「触んなって言ってんだろッ!」

それは一瞬だった。
ピアノを持つ彼らを止めようとして、レンが飛びかかって。咄嗟に音也が背後から羽交い締めにして、反動でレンと二人まとめて尻餅をついた。

「やめて、持ってかないで、聖川の、聖川のピアノだからさわらないで、ひじりかわのっ…、いやだッ!持ってくな!!」

泣き叫んで暴れるレンを余所に、持ち主を失った黒い塊は遠ざかっていく。後に残るのはベッドと2、3の段ボール。解き放てばどこまでも追いかけて行きそうなレンを宥めようと抱き締めている、その音也の顔も泣くのを堪えるためにくしゃりと歪められていて。俺は何も出来ずに、ただレンの慟哭が反響する部屋で立ち尽くしていた。



それから約4年。
他のメンバーはちょくちょく訪ねていたらしいが、俺は直後に戦隊モノの主人公に抜擢されたり、日中共作のアクション映画のオーディションに受かってあちこち飛び回ったりと忙しく過ごしていたせいで、なかなか横浜まで足を伸ばせずにいた。だからメールは何回か交わしていても、直接顔を合わせるのはあの引っ越しの日以来。
――本当はずっと、敢えて避けようとしていたのかもしれない。箱庭を壊されたレンの叫びが耳奥に鳴り続けて、ふとしたときにいつまでも追いかけてくるから。



レンは慣れた動作で何本か薔薇を切り取ると、棘に気を付けながらガサガサと新聞紙で包んだ。ちゃんとしたラッピングではないのに、こいつが持つだけで花がますます輝くような気がするから相変わらず嫌味な奴。それから花弁を鼻に近付けて傾げ、うっとりと目を閉じて香りを楽しむ。手持ち無沙汰な俺は、どこまでも絵になるその光景を背後から眺めるだけ。なんとなくあの日と似てるな、と思った。

「さて、と……わざわざこっちまで来させちゃってごめんね。用は済んだから、屋敷の中に案内するよ」

振り向いて微笑んだレンに、黙ってついていく。やっぱり、随分と痩せた。元々細身な造りに程好い筋肉がのることで絶妙なバランスを保っていた肢体は、今はただひょろりと上背があるだけのように見える。肌も、健康的に焼けていたのが嘘のように白い。聖川みたいな天性の白さでもなく、トキヤみたいな整えられた白さでもない、病的な青白さ。
――それでも。
喋って、歩いて、動いているだけよっぽどいい。生きたまま腐っていく死体みたいだったあの頃よりはずっと。



連れてこられたレンの部屋は、やっぱり馬鹿みたいにでかかった。応接間だけで俺の住むマンション(そこそこいいところに住ませて貰っているという自覚はある)のリビングより一回り分は広いし、奥の白い扉の向こう側にはさらに寝室があるのだろう。灯りは、やはりというかシャンデリア。早乙女学園の校舎や事務所の寮もかなり豪華だったが、この神宮寺邸は個人の邸宅であり、全国にはもう何個か同規模の別荘があるというからもう余りに世界が違いすぎて絶句するしかない。
給仕さんが淹れてくれたオレンジ・ペコを啜りながら、向かいのソファに座るレンをちらっと見る。レンは持ってきた薔薇を脇に置いて、何やらラッピング紙とリボンを準備していた。時折上機嫌に鼻歌が混じる。聞いたことのないメロディー。でも優しくて、レンによく似合う旋律。

「……なんか、安心した」
「ん?」
「元気そうで」
「…ああ」

4年前の惨状について自覚があるのか、レンは唇を歪めてバツの悪そうな笑い方をした。それからまた手元に視線を落として、作業を続ける。慣れた手つき。

「ここに来た頃は、常に死ぬ方へ死ぬ方へとふらふらしてたらしい。……よく、覚えてないんだけど」

何も口にせず、部屋に籠って物を壊して、割れた陶器の置物の破片で体を傷つけて。こっそり手に入れた睡眠薬を大量に服用して。あるいは、屋敷にあるアルコール度数の高い酒を片っ端かららっぱ飲みして。兄の泣いてるとこなんて初めて見たよ、と苦笑するレンは、とんでもないことを何でもないように言う。そして立ち上がったその手には、完成した花束。艶やかな深紅の薔薇が瑞々しい。

「でも気付いたんだ。俺にはまだ、希望があるって」
「希望?」
「そう、取って置きの希望。俺の生きる理由、かな」

言いながら向かった先は、部屋の片隅に置かれたあの電子ピアノ。相変わらず塵一つなく掃除されていて、レンはその前に立って微笑むと、捧げるように花束を黒革の椅子に置いた。やっぱり一つ一つの所作が優雅で、格好いい。恭しく、姫をかしずく王子様のように。伏せた瞼の、思いの外長い睫毛のカーブが、窓越しの陽に輝く。

「……そっか。何にせよ、前向きになのは良いことだよな!」
「ふふ、ありがとう、おチビちゃん」


あ、そういえば例の映画観たよ。出歩けなかったからDVDでだけど。

それから、俺やメンバーの最近の仕事についてに話題が変わる。もともとキャリアのあったトキヤだけじゃなく、今ではみんなそれぞれの方面で名前を上げて、那月なんか今ではアイドル的な仕事の他にヴィオラ奏者としてクラシック業界でも注目されてるぐらいだ。

その後もいろいろ話しこんだり、本社から帰ってきたレンのお兄さんに挨拶したりして。最後には神宮寺家お抱えシェフによるコースディナーまでご馳走になり、屋敷を出る。夜の湿気に庭園から溢れだしてきた薔薇の香りが混じって、むせ帰りそうなほどだ。エントランス前のロータリーには当たり前のように用意されたリムジン。運転手さんに恭しくドアを開けて貰って恐縮しつつ、見送りに来てくれたレンを振り返った。

「今日はありがとな。久々に会えて良かったぜ」
「こちらこそ楽しかったよ。またいつでも遊びにおいで」

――自立するにはもう少しかかると、レンのお兄さんは言っていた。本人は気づいていないけど、目を離せない瞬間がまだあるらしい。
でも、レンのいう希望があれば――それが具体的にどんなものかは分からないけれど、前さえ向いていればいつか必ず歩みだしていけると思うのだ。そうして、またもとの華やかで気障ったらしくて自信家で、愛の伝道師なんて恥ずかしい二つ名が似合う神宮寺レンに戻っていけばいい。聖川は、そんなレンを愛していたのだから。

乗り込むと同時にバタンと閉まるドア。薔薇の香りが、突然に途絶えた。
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