気がつくと、姫は見知らぬ部屋で寝かされていたんだ。姫がきょろきょろと辺りを見回していると、侍女らしき人物が部屋に入ってきて、途端に目を剥いてね。
叫んだと思ったら慌てて駆け出して部屋を出たのさ。ぽかんとしていると、間を置いて、また誰かが部屋に入ってきた。
黒く豊かに流れる髪に黒真珠のような瞳。
髪と対象的な白く滑らかな肌。
どことなく哀愁漂う美しさ。
なんと、あの王子だったんだ。
王子が浜辺に打ち上げられた姫を救ったんだよ。
ここは王子のお城で、姫の寝ている部屋はその城の一室だったんだ。
姫は声をあげようとしたのだけれど、掠れた息がもれただけだった。
声が出せないことを思い出して、身振り手振りで王子に感動を伝えようとしたんだ。
けれどね、王子は曖昧に笑顔を浮かべただけだったのさ。
ともかく、姫は王子の城で暮らすことになった。王子の慈悲もあり、姫は優遇された。新しい生活は新鮮で、何も不自由なことはなかったんだ。煌びやかな衣、ふかふかの寝床に、豪華なドレッサーやクローゼット。
王のように誰も怒る人なんていなかった。
好奇心溢れる姫はすぐにお城の生活に慣れてしまったのだが、王子はいつも忙しそうにしていてね、姫はその様子をそっと見守っていた。
王子のことでも、足の痛みなんて気にならないはずはなかったのに。全く健気な子だよ。
それ程王子を好いていたんだね。
あるとき、王子は悩ましげな様子で、長い睫毛を伏せて木陰で休んでいたのさ。
姫は居ても立っても居られずに、そばに寄った。
話すことは決してできなかったけれど、王子の悩みを聞くことぐらいはできたからね。
にこやかに笑みを投げかけた。
それを境に、王子と姫は頻繁ではないが、会うようになって、姫は王子の話をよく聞いた。
姫にとってそれは幸せひとときに違いなかっただろうね。
しかし、姫はある噂を聞きつけたのさ。
王子が結婚をする、とね。
しかも相手はあの、青い衣を纏っていた亜麻色の髪の娘だったのさ。
あの娘の介抱のおかげで王子は生き延びることが出来たと誰もが信じ込んでいたんだ。
嗚呼、哀れな姫様。
どれほど自分が、王子を浜辺まで運んで助けたのだと言いたかったことだろうか。
でも、声が出ないんじゃどうすることも出来なかった。
王子とあの娘が楽しげに歩く様子を姫は一体どんな思いで眺めていただろう。
きっと、胸が張り裂けるようだったに違いないね。
枕を濡らす日々だったんだ。
どうか、どうか私と王子を結びつけて下さいと姫は何度祈ったことだろう。
やがて、そんな姫の願いも虚しく、例の娘と王子の結婚が正式に決まったのさ。
姫は夜の砂浜を歩いていた。痛む足でね。
でも、もっと心が痛んでいたに違いない。
ぼんやりと海を眺めては涙を零していたのさ。
すると、なんと姫の姉様達が現れたんだ。
皆長かった髪はばっさりと切られて、肩で揺れていたのさ。
月明かりが照らし出した彼女達の表情は悲痛なものだった。
長女のイリエ様はきらりと光る金色の華奢な短剣を持っていたんだ。
姫は裾が濡れるのも気にせずに駆け寄ると「この短剣は私達の髪と引き換えに魔女に頂いたものです。これで王子を殺しなさい。王子の血で人魚に戻ることができます。」イリエ様は短剣を姫に握らせて言うんだ。
そうして、姉様達は去っていったのさ。
そのままどうやって戻ってきたのか姫は覚えていなかった。
姉様の言葉が頭で渦巻いてね。
その夜は眠れなかった。
次の日、王子と共に歩く娘をそっと垣間見ては、震える手で鈍く光る短剣を握りしめた。
王子を手にかける機会はあったはずだった。
王子は姫を信頼していたしね。
けれども、愛する男だ。
やっぱり出来なかったんだよ。
そして、王子とあの娘の結婚式の前日の、月が美しく煌めく真夜中、真っ黒に広がる海に身を投げたのさ。
みるみる姫は真っ白な泡になって、涙と共に海に消えた。
短剣だけが海の底へ沈んでいった。
そうして、姫は天の国に昇ったのさ。
でも、人間達は誰も姫が消えたことに気づかなかったんだよ。
これが人間に恋した愚かな人魚姫の末路さ。
悲しい話だろう。
え?どうしてこの話をこと細かに知っているのかって?
ふふ。私はね、ずっと見てきたんだよ。
この全てを映す水晶を通してね。
つまりね、私があの魔女なのさ。
アリア姫の声と引き換えに人間の足を与えたね。