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「葉桜こそ美しけれ」(葉月様よりリクエスト)

 二月の気温はとことん冷える。特に、京都ともなれば底冷えは酷い。いつきは目の前で赤くかじかんだ手を摩る妹を眺め、息をついた。散らばっている道具類と緊迫した表情、染料のバケツを持つ彼女は到底小学生には見えない。
「舞那、そろそろ止めたらどうだ」
「やだ。好きな色が作れないの」
「明日でもできろだろう」
「どうせ明日も冷えるもん。同じだよ、早く染め上げたいんだからいいでしょ」
 いつきは居た堪れない顔で押し黙った。舞那は冷水に手を入れ、無言で染料を混ぜ始める。その努力する姿勢を咎めるわけにもいかなかった。
 きっと父が見たら、呆れた顔で良しとしたことだろう。舞那が染め上げている反物の柄をいつきが作ったと知れば鼻で笑うに違いないが。その父が今は出かけている事が幸いだ。
「程々にしろよ」
「うん」
 嬉しそうな声。工房室から出て、ふっと彼は歩きながら空を仰いだ。
 早朝ともあって白んでいた空。それが今では、徐々に青みを帯びつつある。日曜日ともあって咽かな空気だ。鳥の囀りに目を細めたところで、いつきはぴたりと足を止めた。
 静かで咽かな、この満ち足りた空気にそぐわない気配がする。
 本来。この阿苑家にはあってはならない気配だ。ばさりと、いつきの背中にどこからともなく白色の羽織が現れる。肩にかけて、いつきは目を鋭くさせた。
「結界の人間共の実力が知れるな……」
 幻術使いの名門と言われる家に、易々と敵を侵入させるとは。自然、次期当主――阿苑直系という肩書を持ついつきは舌打ちしたい気分になる。そうならないのは、目の前を艶やかな桜の花が流れていくせいだろう。雅なそれが、負の感情を押さえつける。
 まるで桃源郷にいるかのような、幻想的な桜。
 ……さく、ら?
「――は?」
 視界一面を覆う、桜の花びら。散って、散って。風に流れる光景は美しい。いつきは視線を庭にやった。縁側から吹き抜けになって覗いているその場所に、桜の樹が立っている。
 しかし仄かに鼻腔を掠めるのは、梅の香り。
 阿苑家の庭に、桜の樹は存在しない。どれも松や柳ばかりだ。つまりそこになかったはずものが――存在している。
 自然に、自然に。まるで日本の美を体現するように、いつの間にかそこにある。
 それは恐ろしく、見事に咲き誇っている。
 何故、今までこれに気がつかなかったのか?
「一体何が――っ!?」
 首筋がひやりとした。肩が跳ね上がり、いつきは息を呑む。視線をゆっくりと横にやれば、首筋に当てられている刀が目に入った。
 鋭利な刃は、いつきの目から見て相当使い込まれているのが分かる。
 落ち着けと、冷静な自分がサイレンを鳴らした。いつきは息を吸い込んで、毅然と表情を引き締めた。
「何の用だ」
「――聞きてぇ事がある」
 少年の声。凛とした声は若いが、しかし。落ち着いた声音は独特の重みがある。まるで長い時を生きた人間のような。
 江戸を彷彿とさせるような訛りのある言い方に、一瞬兄貴分の悪ふざけかと考えたいつき。だが、その考えはすぐに隅へと押しやった。
 息を吸い込む音が聞こえた。少年は続ける。刀が少し、首から離された。
「人に物を尋ねる時に、刃を向けるのは礼儀でもない。それを踏まえたうえで尋ねてぇ事がある」
「それはこの家が阿苑で、俺が阿苑いつきであるから尋ねるのか」
「いや。俺はただ、ここがどこか聞きたい」
 どこ?
 いつきは眉を顰め、ちらりと振り返った。ふきのとう色の瞳と目が合う。まっすぐな
 目は、いつきと目があった瞬間バツが悪そうに伏せられた。やはり、若い。白髪だが顔立ちは端整で、十五歳程度だろう。
 いつきは暫し考えて、口を開いた。
「ここは京都の阿苑家だ。幻生なら耳にした事ぐらいはあるだろう?」
 シャンッ
 藍色の袂(たもと)が揺れる。刀を鞘に戻し、少年はぱんっと手を叩いた。刹那、霞みがかったように桜の花びらや樹が消えていく。
 少年の表情が、打って変わって苦いものに変わった。
「俺は如月。阿苑いつき殿、貴家の跡継ぎとお見受けする。
 大変面倒事で申し訳ないが――世話になりたい」
 否定も、肯定もしなかった。幻生と言う言葉にまるで引っかかるような態度へ、いつきは尚の事目の前の相手を怪しむ。
「は。いきなり刀を向けてくる輩に世話をかける物好きがいるか?」
「目覚めたばかりで敵か判断つかなかったんだ。どうか頼みたい。別世界に飛んだのは初めてなんだ」
「べ――お前、何者だ?」
 少年は、白髪の髪の上に乗せられた青い鬼面を手で押さえた。笑みをたたえているようにも見える鬼面の不吉さは、禍々しいの一言に尽きる。
 この世のありとあらゆる負を溜め込んだような塊に見えて、少年の纏う空気とそれはかけ離れすぎていた。まるで、浮いている。
「ただの、神だよ」
 儚げな笑みは、この世のものにあらず――。



「Humpty Dumpty sat on a wall,
 Humpty Dumpty had a great fall.」
 縁側に寝転んで、翅は天井を見上げながら歌っていた。不思議の国のアリスに出てくる有名な歌だ。ハンプティ・ダンプティの歌。
 そのハンプティ・ダンプティが、ある意味で翅が最初に見た他人が作った幻≠セろう。
 懐かしんで目を細めては、つきりと胸が痛んだ気がした。黙って、翅の隣で歌を聞いていた響基が顔を上げる。
「翅は英語の発音がいいなあ」
「どうもー」
「塾とか、行ってたのか?」
「いや。面倒だから行かなかった。英会話とか何それ美味しいのだった」
「そっか……勿体無いな。奏明院に産まれてたらもっと伸びたのに」
「それはちょっと」
 ごろん。むくっ。起き上がって、ふわりと欠伸をしてから伸びをした。首を回せば、親友である響基が楽譜と睨めっこをしているのに気づく。
 つつ、と近寄った翅は楽譜を見て目を点にした。
「細か……え、ていうかこれなんの楽器の?」
「ヴァイオリン」
「うわ」
「うわってなんだよ。ひどいなぁ」
 だって、どう考えても似合ってない。らしいと言えばらしいのだが、そもそもお前の視力で読めるの――そういった言葉の数々をあえて口には出さず(音楽家の親友の逆鱗に触れる勇気はなかった)、翅は視線を逸らした。逸らした先で、ピタリと固まる。
 黒い、髪。
 少女が、座っている。つい先ほど自分が座っていた場所に、いるのだ。黒い髪を二つに括って、紫水晶に似た目をしている――袴の少女。
 猫じみたアーモンド形の瞳と、目が合った。
 数度瞬いて、それは音もなく笑った……ように見える。翅は無意識のうちに響基の服の裾をぎゅっと掴んでいた。響基が怪訝な顔で振り返る。
「どうし――え?」
 やっと気づいたのか。少女を目にした響基も、翅同様に固まった。だがしかし、すぐに体勢を正して響基は白い羽織を纏った。ふわりと肩にかかったそれから、白い光が溢れ、琴の形に成る。
 すぐに、戦えるように。
 弦に触れている指が、緊張で汗ばむ。そうさせているのは、響基が絶対的自信を持つ耳≠ェ少女の出現に全く反応できていなかったから。
 少女が、立ち上がる。にっと釣り上がった唇。開いた口から妖しく赤い舌が覗く。
「美味そうな臭いがしやすねぇ。あんたら、ここにいるのがあっしじゃなきゃ、今頃喰われててもおかしくねぇや」
「――て、事は喰う気ないんだ?」
 冷や汗を浮かべながら、翅は黒い羽織を羽織る。少女はこてんと首を傾げた後、また笑った。それは、余裕と言うよりも鼠を眺める猫だ。いつでもとって喰えるという、獲物を見る目。
「はてさて。それはどうでしょう。なんせあっしは化け物の中の化け物。猫又ですからねぃ」
「妖怪――なら」
 響基の手が、動く。弦を弾いた指は滑らかにうご――かなかった。唖然として、響基はばっと手元を見る。
 弦が、切れている。
「半殺しにされてもたまんねぇ。すいやせん、ぷっつりやっちまって。あんたら、妖怪とかそういう類を退治する人間だろい?」
「っ翅」
「分かってるって」
 衣から溢れる水が、少女を取り巻く。高笑いを振り撒く水に、少女は鬱陶しそうに眉間に皺を寄せて――触れた。
 ばちん。弾かれる音と、刹那水が掻き消える。
 翅の口から「うっそー……」という冗談抜きの、驚愕の言葉が漏れた。
「何? なんなの? もしかして超ピンチ? アヤカリ強制的に還されたよね今の」
「神に逆らうんじゃねぇやい」
「か――やだよこんな理不尽な神。俺絶対やだ。そんな中二嫌」
「その首落としてやりやしょうか」
 しゃきんと少女の指から鋭利な爪が伸びる。翅はぶんぶんと首を横に振って、青い顔で目の前に衣から銅製の剣を生み出した。それが挑発にならないか響基は冷や冷やとしたが、愉快そうに少女は笑っている。
 なんなんだ、この猫又――!
「まだやりやすかい」
「一応、この家に不審者入れたくないんで。それに、楽器使えない響基守れるの俺しかいないし」
「勝てると思ってんですかい」
「政和さんの結界掻い潜ってくるぐらい強い奴なんだから、勝ち目ないのは分かりきってるよ」
「へえ――いい根性だ」
 すっと、少女は体を折り曲げる。翅の目と鼻の先に顔を近づけて、にんまりと笑った。後ずさる少年の肩を掴んで、舌なめずりをする。
「葉月」
「は?」
「あっしの名前でえ。時神の葉月――異世界の神様とでも覚えておきなせ」
「いせか――えええええええええええええっ!?」
 翅が身を乗り出したと同時にごろりと畳の上を転がり、少女は「あー異世界なんて来るもんじゃねえやー」と愚痴を溢している。ぽかんとして響基は、はっとして少女をもう一度見つめて――目が合った途端さっと逸らした。
 見てはいけない気がする。
「ちょいと、そこの楽器少年」
「え、あ、はい?」
「如月ってぇ馬鹿は、見てないですよねぇ?」
「見てないけど――え、というか異世界からって、まさか本当に」
「どうもこうもあっしは時を操る神で。巫女さん担いで山に帰る途中、開いた空間の繋げ先を手違いで間違えやして。同じ時神のあいつも巻き添えくらってる可能性が高いんでぇ」
「なんて迷惑な猫又」
「うるせえガキ」
「おいちょっと待てよふざけんな。何で響基にだけ対応よくて俺ガキなの」
「水差すんじゃねえすっとこどっこい。あんまりうるせえと釘刺しやすよ。それか江戸城の城壁にでもぶち込んでやろうか」
 押し黙る翅(憮然とした顔だ)。満足げに頷いて、葉月は続ける。
「知らないならそれでいいんで。あっしはこの近辺うろついて帰りまさあ」
「……あの、それならなんでレーデン家に?」
「別に来たくて来たんじゃねぇやい。着いた先がここだっただけで」
 道理で、響基が葉月の出現に気づかなかったわけだ。翅は納得し、それからふと嫌な考えに至ってげんなりした。
「あのさ、葉月さんとやら。その如月さんって神(?)は、どこにいるか分かんないんだよな」
「そうだねぇい」
「俺達みたいな人間に見つかってたら、アウトじぇね?」
 無言になった葉月は、暫し余裕の表情だった。まあ、本当に神なら早々幻術使いにやられたりしないだろうと響基は思う。思うが、途中で少女が発する音に焦りが出始めたのを聞き取って、居た堪れなくなった。
 もしかして。
 葉月は、ふっと笑みを浮かべる。
「ご両人、道案内を頼んでもいいですかい?」
「やだ」
「手伝いやがれ」
「それ女の子が出す声じゃねえって――あー分かりましたすいません俺が悪かったです!! 泣く振りするなよ!! 演技でも居た堪れなくなるだろこっちが!!」
「翅……」
 泣く振りをする猫又人間モドキと、それに必死になる親友の図。
 もう、ほとほと呆れた声を出すしかない響基であった。


いかがでしたでしょうか^^;
だいぶ期間が空いてしまってのリクエスト消化ですみませんorz やる気があれば短編のほうにでも続きを書きたいなあと思っています。
なんだか希望された通りのコラボになったようなならなかったような……! ともあれこの組み合わせだと響基が気苦労するだけというのがわかったので次はもっと彼が苦しまない方向で頑張ります(遠い目)

リクエストありがとうございました!!

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