また君が助けてくれた



夏休みに入る前に演劇の衣装の採寸をするというので、名前は普段より早めに登校して衣裳係の栞乃と共に被服室へ向かっていた。一学期終了までの残り数日で配役のある生徒全員の採寸をしなければならないので、効率よく行うために始業前・昼休み・放課後とそれぞれ割り振られており、名前は始業前となっていたのだ。

「のんちゃんが担当になってくれて安心したよ」
「私どうしても名前の衣装が作りたかったの」

家庭科部の栞乃の張り切った様子に朗笑した名前はふと前を向いて、被服室の扉に背を預けて腕組みをしている柳の姿を見つけた。「あ、」呟いた程度の声だったが、柳はつと顔を上げると腕組みを解いて「おはよう」と言いながら扉から背を離す。

「おはよう」
「おはよう、今朝は柳くんと名前だけね」

「柳くんの採寸は確か井上くんが担当だったはずだけど、まだ来てないみたいね」「恐らくあと五分ほどで到着する筈だ。俺は先に生徒会の方へ行くから先にやってくれ」ぼんやりと会話を聞いていた名前は、柳がテニスバッグを被服室の中に置いて歩き去るのを見送った。採寸が終わってから朝練に行く予定なのだろう。

「じゃあ名前、始めよっか」

被服室の扉の鍵を閉め、制服を脱ぐ。相手は栞乃なので今さら恥ずかしがることもない。教室内には他に誰もいないのでカーテンのある試着スペースを使わずに、脱いだものは適当に畳んで椅子の上に置いていった。この季節ではキャミソール姿になるまで脱いでも寒くはない。寧ろ半袖でもネクタイやベストのせいで暑くてたまらない立海の制服を脱ぐと涼しくて心地よかった――学校内で肩口や太ももを露出するというあられもない恰好でいることには少々抵抗があったが。

「あっ!」

メジャーを出して名前が脱ぎ終えるのを待っていた栞乃が、唐突に声を上げる。「どうしたの?」「ごめん名前、サイズ記録用紙準備室に置いたままだった」「待ってるよ」「ごめん、すぐ取ってくるから一応制服着てて!」名前はばたばたと被服室を出て行った。制服を着ておいてと言われても準備室は隣だ、すぐに戻ってくるだろう。もう一度脱ぐことを考えると再び着ることが億劫になった名前は、すぐ傍の試着スペースに入って待つことにした。下着姿を隠さずにいるのは流石に恥ずかしいので、そこでカーテンを閉めていようと思ったのだ――と、すぐに近付く足音が聞こえた。やはり制服を着るまでもなかった。栞乃が戻ってきたと思って疑わなかった名前はカーテンを閉めるのをやめたが、直後聞こえてきた声にぎょっとする。

「おーい柳、いるか?」

男子生徒の声だと理解した瞬間、さっと血の気が引くのが分かった。名前が咄嗟に試着室乃カーテンを閉めたのと同時に、がらりと扉が開く音がした。

「ん?もうそこにいるのか?」

なんで、誰だろう、どうしよう、こっちに来る、どうしよう――試着スペースにいるのは柳だと思っているらしい男子生徒の足音はだんだん近付いてきている。恐らく教室内に柳のテニスバッグが置いてあったことでそう思いこんだらしく、彼の位置からは名前の脱いだ制服が置かれた椅子が見えることはまずないだろう。言わずもがな、名前は下着姿である。制服はカーテンの外にあって、他に身を隠すものは何もなくて、足音は確実にこちらに向かっている――まさに大ピンチだった。早鐘を打つ鼓動の音が耳の中でドクドクと響いて、名前は息を詰めてそうっとしゃがみ込み、カーテンを握りしめてただ身を固くしていることしかできなかった。人間ふいに緊急事態になるとこうも固まってしまうのかといっそ感心してしまう程に体も思考も機能しておらず、ここにいるのは柳蓮二ではなく宇佐見名前であるということを”声”で伝えるという至極当然の方法すら思いつけなくなってしまっていた。「どうしよう」という全く使い物にならない言葉だけが頭の中でぐるぐると渦巻いている。どうしよう。どうしよう。そうこうしているうちに、足音はカーテンのすぐ向こうで停まった。「おーい開けるぞ、柳」どうしよう。向こう側からカーテンを掴まれて、名前はかたく目を瞑った――


「待て!」


――ガラ、と強く扉を開ける音や焦ったような声に、はっと目を開ける。

「な、何だよびっくりするじゃ・・・あれ、柳?俺てっきり――」
「三浦が呼んでいたぞ、井上」
「、ああ、ありがとな・・・?」

カーテンを掴む手が離れて足音が遠ざかってゆくと、呆然としていた名前は無意識のうちに詰めていた息をふっと吐き出す。ここでようやく指が白くなるまできつく握りしめていたことや背中にじっとりと汗をかいていることに気が付いて、今更ながら怖かったのだと理解する。

「宇佐見、大丈夫か」

柳の声がすぐ傍で聞こえて、半ば放心状態の名前の肩が大袈裟に跳ねた。

「?!あ――や、柳くん・・・ど、ど」
「どうして、と聞きたいのか?先程三浦とすれ違って、手違いがあってサイズ記録用紙を印刷しに行くから被服室に誰も入らないよう見ていてほしいと頼まれてな」
「そ、っか」
「遅くなってすまなかった。怖い思いをさせたな」

名前はこの時何となく、カーテンの向こうにいる柳がこの間のように眉を下げた顔をしているのを想像した。

「ううん――本当に助かった、!私びっくりして動けなくて」
「そうだろうな。ところで宇佐見、カーテンの間から手を出してもらえるか」
「え?」
「・・・今の恰好のままでは流石に風邪を引いてしまうだろう」

少々言いにくそうに告げられた言葉に制服をカーテンの外に置きっ放しにしていることを思い出した名前は、今自分がどんな恰好でいるかを改めて認識するとかあっと頬が熱くなった。顔から火が出そうとはこういうことなのだろう。カーテンで遮られているとはいえ半裸でいるのを柳に知られてしまっているのだ。

「で、でも寒く――」
「なくても、だ。制服を着るのが億劫だったのだろう?これを着ているといい。手を出してくれ」

顔どころか全身から火が出そうである。だらしないと思われただろうか。何故そうも見透かしてしまうのかと嘆きたくなったが、柳に有無を言わさない声で言われ、名前は少々戸惑いつつもその親切を有難く受け取ることにした。そうっと隙間に手を差し込むと、何か柔らかい生地のものが握らされる。引っ込めた名前の手が握っていたのはからし色のジャージで、柳生が着ているのを見たことがあったので、すぐに部活用のものだと分かった。

「柳くん、これ部活のジャージなんじゃ・・・」
「ああ。今日はまだ使っていないから安心してくれ」
「そうじゃなくて、これから使うのに――」
「気にするな。それより早く着てくれ」

「迷惑でなかったらだが」と付け加えられた言葉に、もう何も言い返せなくなる。

「あの・・・柳くん」
「何だ」
「ありがとう、」
「気にするな」

「では俺は廊下にいる」柳の足音が遠ざかってゆく。名前は腕の中のジャージをそっと握りしめた。かさりと柔らかな音がする。

――”待て!”

柳はいつでも冷静で落ちついている印象だが、あの時聞こえた声はひどく焦っていた。あんな声も出すんだ、と名前は思った。また助けてくれた。ジャージに腕を通すと袖も丈も、肩幅もぶかぶかで、体格の差を改めて実感する。ジッパーを上まで上げた時ふいにふわりと掠めた優しい匂いに、名前はああ、と思った。あの時――商店街で助けてもらった時に掠めたあの優しい匂いは、やはり、彼の匂いだったのだ。

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