今はまだ、何も知らないままで



「こ、恋――むぐっ」
「ちょっと!声が大きいってば名前!」
「ごめん」
「おめでとうございます」
「・・・おめでとう、のんちゃん」

――恋人ができた、と。朝一番に柳生と名前にそう報告した栞乃は俯きがちに頬を染めてはにかんでいて、名前の知らない栞乃だった。相手は以前から名前たちに話してくれていた他校の生徒だ。幸せそうに「ありがとう」と言うさまがとても可愛くて、勿論、名前も自分のことのように嬉しかった。嬉しかった――けれど。

彼女は恋をしている。彼女は、私の知らない世界を知っている。うすい色をしたベールに包まれた、私には見透かせない未知なる世界の、向こう側にいる。このクラスにだって何人もいる恋を知っている女の子特有のみずみずしい魅力を、彼女もまた、同じように纏っている。のんちゃんはいつかそのまま、何も知らない私を置いてどこか遠くへ行ってしまうのかもしれない。

「のんちゃんは、また私と・・・遊んでくれるよね」

ぽつりと呟いた声は、思わず零れたような寂しげなものだった。その声を耳にした柳生と栞乃はきょとんとして名前を見、それから二人同時にふっと噴き出した。

「どうして笑うの!だって私、のんちゃんが離れていく気がして、それで――」

ぽろ、と涙が零れた。名前は自分で口走っておきながら、その言葉に泣いてしまったのだった。慌てて堪えようとしても、大粒の透明な雫はあとからあとから零れ落ちてゆく。「ご、ごめん名前!」「っすみません、宇佐見さん!」おろおろと顔を覗きこむ二人に、名前は情けない涙声で「ばか」と言うことしかできなかった。

「ごめんね、だって名前がすごくかわいくて」
「私も微笑ましくて、つい笑ってしまいました」

栞乃は止まらない名前の涙を柔らかいハンカチで脱ぐってから、赤くなった小さな鼻をちょんとつついた。

「あのね、私、ずっと名前の親友でいたいよ」
「本当?」
「ほんと。それに、名前もいつか、誰かと恋をする日がくる」

「でも、私は――」将来の相手は既に決まっている。この立海で唯一それを知っている栞乃は、名前の言葉を遮るようにして首を振った。

「誰を好きになるのかなんて誰にも、自分にだって決められないんだよ」

最初に許婚の話を打ち明けた時、志乃は驚きながらも、そんなものに囚われることはないと言っていた。その時は、名前は曖昧に笑っただけだった。

「それが分かる時は絶対にくるし、名前はいつか、誰よりも素敵な恋をすると思う」

誰を好きになるかなんて、誰にも決められない――自分にも、分かる時がくる。ピンとはこなくても、名前は、志乃の言葉に嘘がないことは分かった。そして思う。私にもいつか、恋をする時がくるのだろうか。いつだろう。誰とだろう。

「私もそう思います。宇佐見さんはこんなに純粋な心を持っているのですから」

「それに、友人に恋人ができて寂しくて泣いてしまう可愛らしい一面も」珍しく悪戯っぽい微笑みをした柳生の言葉に顔が赤くなった名前を二人がからかった頃にはもう、名前の涙は止まっていた。名前にはまだまだ分からない世界だったが、この二人が言うのなら、いつかきっと彼女たちのようにうすいベールをくぐって向こう側へゆく日がくるのだろうと思った。みずみずしさを纏って恋を知る日がくるのだろうと。焦ることはない。だから今はまだ、何も知らないままで。

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