全国大会前



「ご注文は何になさいますか?」
「あー、ガトーショコラ...で...」

可愛らしいエプロンを身につけたケーキ屋の店員は、ショーケースを指差した格好のままでどこかを凝視して固まる名前に困った表情をして首を傾げた。

「あ゛?」

名前の視線の先にある窓際の席には、これまた可愛らしいテーブルと椅子にどかっと行儀悪く座ってモンブランをつつく亜久津仁の姿があった。





この世で一番スイーツの似合わなさそうな男がこんなドールハウスのようなケーキ屋で一人モンブランをつついている。しかも名前と目があっても全く恥じらう素振りなどなくメンチを切ってきた。本来ならば絶対に関わりたくない光景だが、名前は――

「お客様?」
「...やっぱ、モンブランで」

――暫く何かを考えた末、なんとすたすたと亜久津の向かい側の席へ向かったのだった。

「久しぶり」

返事代わりにギロリと睨む視線が返ってきた。しかし名前は全くひるむことなく、椅子に腰を下ろす。だからこそ凶暴な彼との試合にも怖気づかず挑めたのだが、見るからに悪そうなヤンキーといたいけな少女がテーブルを囲むさまは店内にいる他の客や店員からしてみれば冷や冷やものである。

「お待たせ致しました」

明らかに怯えている店員が名前の前にモンブランと紅茶を置き、それから亜久津の前にもモンブランの皿を置いた。おかわりである。「へえ、これ好きなんだ」舌打ちが返ってきたがすぐに二つ目に手をつけたところを見るにかなり好物らしい。さらに言えば、睨んだり無視したりしながらも名前を追い払わないところを見るに、名前のことを中々認めているようである。



「...で?」

名前が一つ目のモンブランを食べ終えた頃、そして亜久津も二つ目を食べ終えた頃になってようやく、先程まで睨んだり舌打ちしたりするだけだった彼が口を開いた。

「ん」
「何でテメェはそんなシケた面してんだよ」

紅茶のカップを傾けてやっぱりファンタが飲みたいなどと考えていた名前はぱちぱちと瞬きをする。最近はスランプのような状態でもやもやしたものを抱えてはいたが、別に今それについて考えていたわけでも、亜久津に落ち込んだ顔をしてみせていたわけでもなかった。のに、何も知らないはずの亜久津にすんなりと言い当てられて、面食らってしまった。この男はこの世の何にも興味がないように見えて、実は人の機微を鋭く見抜いてしまうような男なのだ。何だかんだ母を大事にしているような男なのだ。

「――・・・男に生まれたら、」

気付けばすんなりと、口を開いていた。実の父親にも手塚にも言わなかったことを、過去の対戦相手である亜久津に打ち明けようとしていた。きっと彼が身近すぎる人物ではなく名前を取り巻く輪から少し離れた人物だからだろう。それに、決して穏やかではない経緯があったのにもかかわらず、名前は何となくこの亜久津という男に居心地の良さのようなものを感じていた。部員を襲った一件以来亜久津はとんでもない男だと警戒する青学の中で亜久津に普通に接しているのは、河村と名前くらいだった。

「女じゃ男の力とか体格には敵わないんなら、男に生まれたら良かった、なんてね」

意味もなくフォークをいじりながら、亜久津相手に何を話しているのだろうと頭の隅で思いながら言葉を紡いだ。初めて声に出してしまってから、ああ結構参ってたんだなあと実感した。勝っておいて落ち込むなんて変な話だけれど、名前はそれだけ真田に見せつけられた圧倒的な力強さがショックだったのだ。

「はっ、下らねえ」
「え」

亜久津は亜久津だった。鼻で笑って一蹴した彼はだるそうに座ったままで呆れたような、けれどやはり鋭い眼差しをして名前を射抜いていた。

「それでもお前は俺に勝ったんだろうが。仕方のねえことを嘆く暇があるなら鍛えてろ」
「――・・・」
「自分で限界を決めるなんざテメェらしくもねえ。力の差を感じたんならその分強くなりゃあいいだけだ」

大袈裟に言えば、雷に打たれたようだった。普段の名前ならすぐに亜久津の言ったようなことを思ったはずなのに、どうしてすぐに切り替えられなかったのだろう。名前は僅かに口を開けたまま瞠目して亜久津を見ていた。それからしばらくすると、段々不敵な笑みになる。

「...当たり前、じゃん」

一見すれば機嫌の悪そうに見える表情だが、亜久津は確かに満足げな表情だった。何だかんだでいい奴なのである。今しがたの彼なりの叱咤激励も傍から見れば少女に怒鳴っているように見えるので、周囲の客がいい奴だと思うことは決してなかったのだが。それでも名前にだけは、伝わった。「ありがとう」棒読みだが笑みを浮かべてそう言うと、亜久津はフンと鼻を鳴らして立ちあがる。

「...俺に勝っといて全国で負けたら許さねえぞ、小娘」
「当然」

名前にはまだ、さらなる覚醒が秘められている。


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