許婚との週末



「名前、これ好きだろ」
「ありがと、景吾」

ケーキスタンドからケーキを一つ名前の皿に取り分けた跡部は、少し肩を竦めて嬉しそうな顔をした名前に目を細めて頬杖をついた。その目からはコート上での冷たい鋭さは見受けられず、心なしか穏やかな眼差しをしているように見える。この彼こそが、名前の幼馴染であり、許婚であった。名前が跡部より数年遅れてイギリスから日本へ帰国してからは、月に一度、こうしてどちらかの家で週末を過ごしていた。

「景吾も食べる?」
「ああ」

名前の華奢な白い指が支える銀のフォークを、跡部は迷いなくぱくりと口に含む。昼下がり、使用人も屋敷から出て来ない二人きりの庭。こうして見ると恋人どうしのような二人だが、今はただの形式上の関係である。今日は跡部邸で昼食を取り、広大な庭で飼い犬マルガレーテとはしゃぎ回って、今はテラスでのんびりお茶を飲んでいる。

「そういえば私ね、今年の海原祭の演劇で主役になっちゃったんだ」
「あん?お前が自分から人前に出るとは随分珍しいじゃねえの」

経緯を話すと、少し呆れながらも「大丈夫かよ」と頬を撫でられた。俺様な物言いや振舞いの多い跡部だが、その裏側ではいつでも優しく、いつでも名前だけを見ていた。それは名前にとってとても嬉しいことで、親に決められただけの相手とこれほどまでに仲良くいられることなど滅多にないことも分かっている。しかしどうしても、跡部を大好きである気持ちが恋愛感情とは結びつかないように感じてしまうのだ。まだ恋を知らないだけでいつかはそうなるのだと自分に言い聞かせたり、例え恋愛の好きでなくたってこんなに大好きなのだから、そんな相手と結婚することはこの上なく幸せなことなのだと考えてみたり。そして思うのだ――景吾はどうなのだろう、と。他に好きな人がいたり、自分と同じ気持ちでいたりしないのだろうか。

「ところで名前、ドレスはもう決めたのか」
「何の?」
「その様子だとまだみたいだな」

「早めに決めとけって言っただろうが」秀麗な眉をくっとあげる許婚の言葉に、名前は先月も同じ台詞と言われていたことを思い出す。二人の婚約記念パーティはもう、数カ月後に迫っていた。

「あ――そう、だったね。ごめん、決めるよ」

何となく、持ちあげていたカップに口をつけることなく下ろした。婚約記念パーティ。初めての、公の場での跡部と名前のお披露目ということになる。つまり、私たち結婚しますとグループ関係者や取引先の人々に宣言するのだ。跡部はカップの持ち手に指をかけたままだった名前の手を掬って、手の甲にそっと口付けた。他に誰もいない、二人きりの庭。ちゅ、と響いたリップ音に頬を染めた名前が手を引こうとしたのを、跡部は手を握る力を強めて引き留めた。

「名前、」

握られた手から視線を上げると、透き通ったアイスブルーの眸に囚われる。真っすぐで、静かで、何かを秘めたような眼差しに射抜かれたまま、名前は黙っていた。返事をすることができなかった。さらりと、昼下がりの穏やかな風が二人の髪を掠めてゆく。

「あと少しで、ようやく結婚できるんだな」

今までに見たこともないような眼差しで、今までに耳にしたこともないような声で、今までに聞いたこともないような言葉だった。そっと呑んだ息の音がやけに近くで聞こえて、握られたままの手が熱い。名前は一瞬、この人は誰だろうと思った。それから、頷かなければと思った。頷かなければ。

「うん、」

ふっと眉を下げて一瞬だけ笑った幼馴染が、名前には何となく、泣くのを堪えているように見えた。

>>>

back
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -