大学生幸村と半同棲



大学生になった俺には大好きな恋人がいる。

「あ、もしもし愛称?起きてる?」
『...んー、』

モーニングコール。電話越しに聞こえる眠そうな声が甘くて目を細めた。

「ちゃんと起きてよ、今日一緒に授業出ようって言ってただろ?」
『起きるよー...』
「フフ、気を付けて来るんだよ」

そう言って電話を切ったけどやっぱり気になって。講義を受けに行くにしては大きな鞄を握り直して、俺は進路方向を変えた。冬の朝のひんやりした空気の中、コートのポケットに手を突っ込んで歩き出す。目指すは愛しい恋人の眠る(二度寝だけど)学生マンション。慣れた手つきで番号を入力してエントランスをくぐってエレベーターに乗り、少しかじかんだ手でキーケースからスペアキーを取り出した。一年目の記念日に貰ったときのリボンがつけられたままだ。これを使う時いつも、こっそり口角が緩んでしまう。たったこれだけで幸せな気持ちになれるなんて知らなかった。

「愛称、入るよ」

返事はない。足を踏み入れればふわりと大好きな匂いに包まれた。廊下からダイニングキッチンを抜けて、リビングへ。通い慣れた部屋は相変わらずきちんと整頓されていて、リビングにはごちゃごちゃしない程度に可愛らしい置きものや思い出の写真が飾られていて。緩く上下するベッドのふくらみに一度目をやって苦笑しつつ、クローゼットの前に大きめの鞄を置く。鞄の中の大半を占めていたのは着替えで、つまり、今日はここに泊まるつもりで来たということ。
講義資料やペンを取り出してよく借りている彼女の鞄に移し替えた。

さて。

講義まではまだ結構時間があるけど服選びに手こずるかもしれないし、支度は余裕を持って取り掛からないと。ちょっとかわいそうだけど無理やり起こすしかないか。ふっと息をついて立ち上がると、カーテンが閉められたままで少しうす暗い中、テレビの横の写真立てが目に入った。自分でも驚くほど楽しそうに笑っている俺と目が合う。なんとなく、くすぐったい気持ちになった。この1DKの部屋にはあたたかみがあって、居心地が良い。歩み寄ったベッドから聞こえる可愛い寝息に愛しさを感じながら、俺は身を乗り出して思い切りカーテンを開けた。

「ほら愛称、起きなよ」

パッチワークの掛け布団を捲ってベッドに腰掛けると、寒さに体を丸めた彼女の手には携帯が握られたままで。くすっと笑いながら白い頬にかかった髪をさらりと指で流してやれば、ようやく目を覚ました。

「んん...?精ちゃん?」
「うん、おはよう。そろそろ準備しないと遅れるよ」
「さむい...」

毛布にくるまって動こうとしない彼女を仕方ないなぁと一度撫でて、リモコンを操作して暖房を入れると一度立ち上がってコートを脱いだ。彼女が朝起きるのにいつも難儀することはよく知っていた。だけどこうして彼女をあの手この手で起こすのを煩わしく思ったことは一度もないし、家族以外では俺だけしか知らないということに優越感さえ覚える。大事な大事な、俺の愛称。高校からそのまま立海大に進んだ俺は、外部から入ってきた名字名前という女の子を一目で好きになってしまった。

やっと見つけた――。

直感で分かった。あの時の感覚は忘れない。でも彼女は目を惹く容姿や家庭的な性格、それに裏表のない振舞いからかなり人気が高くて交際に至るまであれこれ苦労したっけ。まさかこの俺が相手の言動で一喜一憂しながら猛アプローチをかけることになるなんてね。とにかく苦労の末晴れて恋人どうしになれてから、一年と少し経った。彼女を想う気持ちは減るどころか、自分でも怖くなるくらいに質量を増していて。こんなにも一人の女の子に夢中になるなんて、中学や高校時代の俺からは想像もできないことだった...当時とある出来事がトラウマになって、女の子を避けるようになっていた俺からは。変われば変わるものだ、と思う。愛称と出会ってからはあからさまに避けることはなくなった。自分で変わったなと思うと少しくすぐったいような気持ちになる。彼女と出会えてよかった。

「おはよう、精ちゃん」

部屋が暖まってようやく目が覚めたらしい彼女を抱き起こすと、その色素の薄い綺麗な眸に俺を映してふわりと目を細めた。それがとても綺麗でどきっとしたのと同時に、安心しきった表情が可愛くて可愛くて堪らなかった。実を言うとまたベッドに押し倒したかったけどそんなことをすれば一日再起不能になることは明白だから、ちゅっと軽く音を立てたおはようのキスで我慢しておく。もう何度もしているのにキスだけでほんのり頬を染める可愛い顔は直視すると危険だから、あんまりじっと見ないようにして。

「やっと起きたね、おはよう。特別に朝ご飯作ってあげるから、顔洗っておいで」
「ほんと?ありがとう!」

彼女はぱあっと目を輝かせて素早く布団を整え洗面所に向かって、それからすぐに声だけとんできた。

「精ちゃん、卵明日で賞味期限切れる!」
「フフ、分かった分かった、使い切るよ」

なんて愛しい時間なんだろう。簡単な朝食にコーヒーを二杯用意して待っているだけなのに、これ以上ないってくらいに機嫌がいい。ぱたぱたとスリッパを鳴らして走ってきた彼女といただきますをして、コーヒーを飲みながら美味しそうに食べる様子を眺めて、テレビをつけて丁度やっていた星座占いで最下位だったとショックを受ける彼女を笑いながら慰めて。たったこれだけのことなのに。案の定服選びに手こずっているのを代わりに手早く選んであげて――実は部屋に向かう間に考えてたんだ――着替えるために洗面所へ向かったのについて行ったら可愛い顔で怒られて、軽く化粧をして戻ってきた彼女にちょっと見とれて。たったこれだけのことだからこそ。一緒に部屋を出て、俺が鍵をかけて、「今日も寒いね」と白い息を吐いて笑う彼女を見ると寒いけど寒くなくて。彼女のマフラーをしっかり巻き直して、華奢で柔らかい手を握った。

――だからこそ、俺は胸をはって幸せだと言えるんだね、愛称。

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