越前♀の強さへの芽生え



女という性別でありながら青学男子テニス部に特別入部そしてレギュラー入りを果たしたルーキーがいるという噂は、公式戦デビューとなる地区予選決勝で、名前の手で優勝を決めたことにより学校外にも広まることとなった。





「”もう眼帯も外れた”っと...」

地区予選決勝で起きたアクシデントによる名前の瞼の怪我のことを、ああ見えても伊武は気にしていたらしい。大会後帰ろうとしていたところを呼びとめられて連絡先を聞かれ、時々具合について素っ気ないながらも心配そうなメールが届いていた。名前も数日遅れのペースではあるが、一応返信はしている。

「越前、始めるぞ」

顔を上げると、着替えを終えた手塚がベンチに戻ってきていた。傍らには大石もいる。今日は手塚と試合をするために、三人で高架下のコートへ来ているのだ。手塚が何の目的で自分を呼びだしたのかは分からないが、とにかく試合ができるのならと名前も二つ返事で着いて来た。

「ザ・ベストオブ・ワンセットマッチ――」

審判を務める大石のコールでゲームが始まる。アメリカでも天才と呼ばれていた名前は、あのムカつくけれど誰よりも強い父親以外には負けたことがなかった。今の名前は父親を倒すことだけを目標にテニスを続けていると言っても良いかもしれない――だから、衝撃だった。

「ゲームセット...か」

ドロップショットが弾まずに、ネットの方へ転がってゆく。まさに手も足も出なかった。この心の奥底からふつふつと湧いてくるこの感情は、何だろう。名前は転がるボールを見つめて考えた。じりじりと胸を焦がすこの気持ちは何だ。

「越前」

今までとはまるで違った表情をしている名前を見て、手塚は確信する。彼女の中で眠ったままでいるものを目覚めさせるためのスイッチを押すことは、どうやら成功したらしい。今の顔を見ていると、やはりこいつしかいないと思わされた。手塚は名前をしっかりと見据えて口を開く。

「お前は青学の柱になれ」

かつて自分にこれを言ったあの人もこんな気持ちだったのだろうかと少し感慨深さを感じつつ、大いなる可能性を秘めた後輩へ期待と激励をこめて。





「珍しいじゃねぇか、お前から誘ってくるなんてよ」

帰宅後、コートに呼び出された南次郎は飄々とした笑みをして名前を見やった。「やっと父親を尊敬――」「いいからやるよ」「名前、やっぱぐれちまったか?バアさんが男子テニス部に入れたせいだな」普段なら呆れたような目で見返してくるのに今日の名前は真剣な眼差しをして見据えてくるので、南次郎はおお、と思った。

「...ハンデはどうする?」
「いらない」

ボールを追うさなか、脳裏に焼きついた手塚との試合がフラッシュバックする度に名前の心臓はドクンと高鳴った。完膚なきまでに叩き潰された完全なる敗北だった。手も足も出ずに負けたことであの時名前の中に芽生えた気持ちは、”悔しさ”である。この惨敗が名前の奥底の何かを刺激した。父親を倒したい負かしたいなどではなく、初めて、純粋に強くなりたいと思った。そしてその気持ちが、今まさに名前を変えようとしている。

「――っ!」

南次郎の咥えていた煙草が落ちる。初めて、名前のボールが南次郎のサイドを抜いた。

「お父さん...強くなりたい。もっと、もっと」

青学へやって正解だったな、と父は思う。ずっと伸ばしていた髪を突然ばっさり切って帰ってきた時は何があったんだとひやりとしたが、それでも男子テニス部へ入れた竜崎のバアさんは正しかったらしい。名前の性格を理解した上で今一番必要なことをしてくれた人物がいる。”情熱”、これが、これまでの名前に足りなかったものだった。テニスが大好きだという気持ちや父を倒したいという気持ちはあっても、もっと高みを目指すという熱い感情が絶対的に足りていなかった。誰かが名前を燃え立たせてくれたおかげで、これからこいつは生まれ変わることだろう。そう確信して、落ちた煙草を踏み消した。

「何か嬉しそうじゃねぇか。どうしたよ」
「別に」
「それより名前、いつになったらパパと呼んでくれんだ?」
「うるさい。早く、次」
「へいへい...楽しみだな、名前」

南次郎は、ふつりと湧いた期待ににやりと口角を上げた。

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