越前成り代わり♀



「名前、青学に入ったら私の部に入ってみる気はないかい?」

訳あって昔から知っている竜崎のおばさんはにんまりした顔で言う。「テニスしに日本に来たんだから入るつもりだけど」「ほう、それじゃ入るんだね」「?うん」この時、久しぶりの再会だったので名前はすっかり忘れていた――

「青学男子テニス部へようこそ、名前」

――この人がこんな顔をしている時は、大抵ろくなことにはならないということを。





「越前、お前ラケット忘れたのかよ?」

入部当日から何かと声をかけてくる堀尾が、素振り練習中に名前が手ぶらでいることに気付いて声をかけた。名前は何かを考えている顔で「...いや」と首を振る。忘れたのではない。部室に置いていたラケットバッグからなくなっていたのだ。

「ラケットも持たずに部活に出るたぁいい度胸じゃねーか!」

名前はずかずかと歩み寄ってくる先輩と思しき男の言葉に振り返りながら、こいつか、と悟った。最近感じる嫌な視線やこの男が絡んでくる理由は分かっている。この男はつまり、名前の存在が気に入らないのだ。恐らく、女子の分際で男子テニス部へ入ってきたことや先日桃城という二年のレギュラーと打ち合って噂の一年と呼ばれていることなどが気に障るのだろう。

「部長や副部長がいないからってさぼってんのか」

しかしまあ、いい迷惑である。名前本人だって突然男子の方に入れられてまだ整理がついていないのだから。まさか竜崎のおばさんが男子テニス部の方の顧問だなんて思っていなかった。おばさん曰く、アメリカのジュニア大会で四連続優勝の実力をこれ以上伸ばすには男子の方に入るべきである...らしい。何と試合参加のライセンスというものまで取ってしまったというので断ることもできず入部したのだが、名前自身としては、テニスができるならどこでもいい、強いところでなくてもいいというのが本音だった。強い相手と戦いたい気持ちはあると言えばあるが、どこにいたってやろうと思えばできる。名前はとにかく、大好きなテニスに触れていたいだけなのである。つまり、それを邪魔してくる荒井の存在は本当に邪魔だった。

「そんなに自信満々なら相手してやってもいいんだが...ラケットがないんじゃあなー」

嫌な笑い方をして渡されたのは、部室の隅に忘れ去られていたような古いラケットだった。一目で使い物にならないと分かる。

「一年のお前にはそのラケットがお似合いだぜ」
「......」
「これに懲りて二度とでしゃばろうなんて思うんじゃねぇぞ」
「......」
「そうすれば大事なラケットも三本とも出てくるかもな!」
「!」

その言葉に、俯いてラケットを見つめていた名前の中で、何かが音を立てた。おろおろと心配する一年トリオに一度ラケットを預けると、背中あたりまでの髪を高い位置で結び直す。名前なりの気合の入れ方だ。ラケットを受け取り、荒井の後をついてコートに向かう。

「お...おい?越前、どこへ...」
「いるよね、弱いからって小細工する人」

言いがかりで絡まれても、悪意のこもった視線を向けられても、名前は黙っていた。男に色目を使いたいんだろうとかでしゃばりたいんだろうとかいう陰口が聞こえてきても、ただテニスができれば何を言われても平気だった。しかし荒井はそれだけにおさまらず、名前のラケットまでも取りあげた。名前の逆鱗に触れることをしてしまったのだ。テニスの邪魔だけは、テニスを取り上げられることだけは、許せなかった。

「いいよ。やろうか」

完全に目の据わった名前が荒井の喧嘩を買ったので、傍らで見ていたレギュラー陣は止めに入るのをやめて見ている。彼らもまた噂の一年女子選手のことが気になっていたのだが、二人の試合が始まると容易に悟った。

「”来る”な、あいつ」
「ああ...」

決着がついたのは、それからすぐのことだった。





「おい、待てよ越前!」

試合が終わって部室へ戻ろうとした名前を荒井がまだ追いかけたので、流石に慌てたレギュラー陣が後を追った。

「何なんだよお前!女子の分際で男子テニス部に入ってきやがって!」
「おい、荒井!いい加減にしろって」
「離せ!うちのレギュラーに勝てるとでも思ってんのかよ!」

後ろの方で一年トリオが「でもあの人名前ちゃんに負けたじゃん...」と呟いたのが聞こえたが、荒井の勢いはまだ止まない。

「女のお前が勝てるわけねーだろ!でしゃばってんじゃねーよ!」

部室の扉の前で、名前が立ち止まる。はあ、と心底鬱陶しそうなため息をついて、髪を括っていたゴムを外すとつかつかと部室に入って行った。「っスカしてんじゃねーよ、そういうとこがムカつくん――」再び扉が開くと荒井の言葉は不自然に途切れ、傍らで見ていた部員やレギュラーもはっと息を呑む。

「テニスがしたいだけだから、邪魔しないで」

名前の髪は、ばっさりと短く切られていた。

「な...おい、越前、」
「お前...切ったのかよ」

手には髪が付着した工作用のはさみが握られている。鏡も見ずにゴミ箱の上で切ったのだろう、肩の上あたりでざくざくに切られた毛先が痛々しく――しかし整った顔にばらばらの髪というアンバランスさは妙な魅力があって、目を惹かれている者もいたのだが――、痛ましそうな顔をした部員が荒井を責めようと「おい、荒井――」と口を開く。しかしそれを制止したのは、名前だった。

「あなたのお陰で覚悟ができました。どうもありがとう」

髪は女の命。それを捨てたのは名前の覚悟の現れである。突然男子テニス部に放り込まれて混乱していたが、これをきっかけにこの場所でやっていこうとはっきり心が決まったのである。しかしまあ、荒井を責めるのではなく庇ったりお礼を言ったりすることで更なる屈辱を与えるあたりが、名前らしいと言えばらしい。

「くそっ越前...!」
「まだまだだね」

これが、青学ルーキーの覚醒への幕開けだった。

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