輝ける君を見た



「ほら名前、ここ押して」

駅の券売機前にて、電車の経験が乏しい名前は栞乃に切符の買い方を教わっていた。今日は柳生の引退試合を応援しに行く約束なのだ。大きな大会は少し前に終わっているので、今日の試合が高校時代では本当に本当の最後となる。中学時代から何かと因縁のある青春学園高等部と試合をすると柳生から聞き、東京まで駆けつけることにしたのだった。立海生として応援に行くので、二人とも制服姿である。普段電車に乗ることのない名前は、単純に電車で出かけられるということだけでも胸をわくわくさせていた。

「わあ・・・!ねえ見て見てのんちゃん、あれ東京タワーだよ」
「分かった分かった。全く、高校生にもなって電車ではしゃげるのなんて名前くらいね」

電車の窓に張り付いていた名前に、栞乃は「そろそろ着くよ」と少し呆れたように笑いながら言った。すとんと座り直した名前はふと笑うのをやめ、ぽつりと呟く。

「・・・柳生くん、今日で最後なんだね」
「・・・そうね。大学に上がったら勉強に専念するって言ってたから」
「お医者さんになりたいんだっけ」
「うん。他にも高校まででテニスをやめるって人、何人かいるみたい」

少しずつ電車の速度が落ちてゆく。進路、か――名前は景色の流れが緩やかになり始めた窓を見やりながら思った。好きな事をすきなだけ続けるというのは、難しいことなのだろうか。それとも、テニスより大事なことがあるから、やめるのだろうか。「最後までちゃんと見届けないとね」「うん。せっかくプレゼントもあるんだから、勝ってもらわなきゃね」柳生にお疲れさまの意味を込めたプレゼントを用意してあった。顔を合わせてふっと笑い合った二人は、程なくして開いた扉からホームへ降りた。




「宇佐見さん、三浦さん」

迎えに出てくれていた柳生を見つけると、二人は駆け寄った。連れ立ってコートへ向かう。「今日はわざわざ来て下さってありがとうございます」「名前ね、電車が嬉しくて大はしゃぎしたのよ」「大はしゃぎ・・・ですか」「ち――違うよ柳生くん、大声出したわけじゃないから」慌てる名前に、柳生は口許に手をやって上品に笑った。流石は全国区の選手とあって、これから最後の試合だという時でも落ちついている。

「お、宇佐見。来たんか」

柳生と栞乃が話している隣で何をするでもなく立っていた名前の肩に、ぽんと乗せられた手があった。反応して振り向き――つん、と頬に人差し指がつっかえる。「え?」「おー、ふにふにじゃな」この声は。視界の隅で揺れる銀色のしっぽに、名前は意外そうに瞬きをした。

「仁王くん」

つんつんと感触を楽しむように頬をつつかれて、名前はどうしたら良いのか分からず中途半端に振り向いたままで戸惑った。

「やめたまえ仁王君、宇佐見さんが困っているでしょう」
「ピヨ」

名前の頬から手を引いて反省しているのかと思いきや、「なんかいい匂いがするのう、弁当か?」今度は名前の持つバスケットのあたりをくんくん嗅いでいる。相変わらず読めない人だと名前は思った。しかし、以前は柳生といても全く話しかけてこなかったことを考えると、少しは仲良くなったと捉えてくれているのだろうか。そう思うと、元々親友の柳生と仲の良い人であるということもあって、名前のほうも少し打ち解けて話すことができた。

「そうだよ。早起きしてのんちゃんと作ったの」
「約束したのよね」
「わざわざすみません。でも嬉しいです」

「柳生ばっかりずるいなり」

ぶーと膨れた仁王が意外で、名前は栞乃と顔を見合せながら、こんな一面もあるんだなあと思った。なんだか微笑ましい。「たくさんあるから、仁王くんも食べよ」少し笑ってそう言うと、仁王はまじまじと名前を見つめる。「・・・笑ったのう」「え?」「いや、俺にもくれるんならありがたいのう」再びぽんと肩に手を置かれたが、頬をつつかれることはなかった。

「そろそろ集合のようですね。行きましょうか」
「柳生と組んで試合に出るのは、これで最後じゃな」

ふいに風が吹き抜けて、足元の落ち葉がかさりと音を立てた。

「・・・ええ」
「世話になったな」
「仁王君、」

二人は名残惜しむような、思い出を振り返って懐かしむような顔をしていた。きっと長くペアを組んでいた二人にしか共有できない感慨があるのだろう。これから試合に向かう二人に何か声をかけようとしていた名前だったが、そんな顔を見ると、何も口を挟むべきではないと思った。少し沈黙した柳生はやがて決意を固めるようにして数回小さく頷き、息を吸い込む。

「こちらこそ、お世話になりました。最後は思い切り楽しみましょう」

コートへ向かう背中を、名前も栞乃も、ただ黙って見送った。「二人とも、いい顔してるわね」「うん、恰好いいね」少しだけ、男の子の友情を羨ましく思った。





そろそろ試合が始まるようだ。コートで並んで、長年のライバルと握手を交わしている。柳生も仁王も、他の部員たちも、本当にいい表情をしている。名前には、いきいきとした選手たちがみな輝いて見えた。

「ほら名前、柳くんが試合するみたいよ。柳くんはね、データテニスって言って――」

名前よりテニス部に詳しい栞乃の説明を耳に入れながらコートを見やると、からし色のジャージのジッパーをきちんと上まで閉めて、凛とした姿でコートに立つ柳が目に入った。彼の姿を観るのは久しぶりだった。あのジャージを貸してくれたんだっけ――名前は夏休み前の被服室でのことを思い出して、何となく目を細めた。

「いよいよね」
「うん」

――柳くんがテニスをしているところを見るのは初めてだ。栞乃の言っていたデータテニスってどんなものなんだろう。柳くんは、どんなテニスをするんだろう。景吾はとても強いテニス選手だけど、柳くんとはどちらが強いんだろう。

観客用のベンチからコートにいる柳の背中を見つめながら、名前はそんなことを考えた。しかしその疑問の数々は、柳がボールを打ち始めるとすぐに、どこかへ消えてしまった。

――なんて綺麗なんだろう。

ただ息を呑んで、柳が真剣にボールを追う姿を見つめていることしかできなくなった。絡まれているところを助けてもらったり演劇で相手役になったりと、柳と接点を持つようになったのはごくごく最近である。名前は、いつでも凛とした佇まいで落ちついた態度の、優等生を地で行くような柳蓮二しか知らなかった。しかし、今の彼はまるで違う。トスを上げた時の夢中な眼差し、対戦相手を見据える真っすぐな眸、相手のコースを予測してボールが返る前に踏み出される力強い脚。涼しげに眸を伏せている時や、落ち着いて足を組んでいる時とはまるで違う。テニスが大好きだと、その全てから伝わってきた。大好きなテニスに打ち込んでいる。なんて素敵な姿だろうと、純粋に思わされた。

「――名前、名前?」
「、え・・・?」
「柳くん、勝ったね」
「うん、」

試合が終わっても、しばらくは言葉が見つからなかった。名前は、テニスを見学するのは初めてではない。跡部の自主練習に付き合って見学したことは多々あるし、柳生が試合に出ている姿だって何度も見たことがある。二人も楽しくてたまらないという顔でテニスをしていたし、ラケットを握る彼らに見惚れてしまうことだってあった。しかし、こんなふうになるのは初めてだった。なのにどうして――名前は暫く、しきりに首を傾げていた。どうして今は、こんなに胸がどきどきしているのだろう――?

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