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ホットレモン

以前相互記念にて書いたものです。

◇◆◇◆◇◆◇

ホットレモン


うまく眠れなかった日々は、彼が家に来て、冬を越して夏を越して、すっかり治ってしまった。
眠れない夜に送ったあの一通のメールを、ブラックアウトは受け取ってくれた。蔑ろにせずに、ただありのままに、受け入れてくれたのだ。今年もまた、冬がくる。
わずかに冷たくなった朝のにおいを吸い込んで、洗濯物を干している。厚く覆った雲が日の光を隠して、今にも空が泣き出しそうだ。
見上げたとき、一瞬雲が紫色に見えてぼんやりとした。ぐずついた鼻を一度すすり、空になった洗濯かごを持ち上げた。
足元がふらつく。
部屋に戻りながら、長く息をつかないと具合が悪いということに気がついた。が、今日はこれから仕事だ。

朝食のパンを棚から取り出す。ブラックアウトはまだスリープモードからきれていないし、スコルポノックも眠ったままだったので、物音を立てないように気をつけた。彼らは深夜にここに帰ってきたようで、少しだけ傷ついていた。きっと怪我をしたんだろう。いつもだったら朝食を一緒に取りたがるスコルポノックにせかされて起きてくるのに、今日はそういうわけにもいかなさそうだった。だから、一人分。レンジをトースターに切り替えて、焼き時間の設定をしようと手を伸ばしたとき、視界にまるで真っ黒な幕が下りたような感覚がし、急速に谷底へ真っ逆様に落ちるような気分になり、思わず目を閉じた。





ガタガタッ、というような物音は、当たり前だが人間の耳よりもはるかに高性能なブラックアウトの聴覚センサーにも届いた。
電子的な音が彼の中だけでして、それを皮切りに、さあっと意識が回路に行き渡っていく。
──…なんだ、今の音。

むくりと起き上がると、小さなオートボットをひねりつぶす際に負傷した左腕の完治は、もう少しかかるということだけがわかった。さほど気にも止めず立ち上がり、寝室を出る。
キッチンの横で倒れ込んでいたのは、他でもない彼女だった。ぐったりとしている。無心で駆け寄った。

『ノア、』

抱き上げると、腕の中の彼女は明らかにいつもより体温が高い。呼吸も少しだけ荒い。

『…お前、熱いぞ』

大丈夫か、と言ったが、その短い言葉のすべてを聞かないうちに、彼女の体は脱力していった。





─マスター、ノア、大丈夫?
スコルポノックは無表情で、しかし心配げに彼女を眺めていた。ベッドの際に腰掛けて、傍らで眠る彼女を見ながら、ああ、と短く返した。
仕事に行くときの服からいつも部屋で着ている服に着せかえて、ベッドに静かに寝かせた。瞳を閉じても苦しそうな彼女は、指先は冷たいのに首や脇や背中は汗が出てしまうのではないかというくらいに熱かった。
目を開けるのが辛そうで、とにかく苦しそうだった。

「…ぶ…らっくあう…」
『目を閉じてろ。ここに居る』

いつもとは違う、弱々しい彼女と額をあわせた。表面温度は、確か40度を越すと危険ではなかったか。

「ごめんね、風邪かなあ」
『"かぜ"』

サーチをかけて出てきた言葉を、すべて取り込む。

"…ウィルスの感染による上気道の炎症性の病気、単一の疾患ではなく…"

「ブラックアウト、もう…大丈夫だから、休んでていいよ、けが大丈夫?」
『……』

息をするのもつらそうなくせに、こんな時にまで相手の心配ばかりするのか。人間ってのは理解できんと、あらためて思う。
ただ、彼女だからこそ、こんな風にふるまえるのだということは、彼女と出会ってから今日までの流れで、理解できるのだ。ずっとディセプティコンであった自分にとって、何よりブラックアウトを優先し、大切にしてくれる彼女は、いろいろな意味で初めての存在だった。

『何かできることあるか、俺に』

これが己の機体を侵す"ウィルス"ならまだ、『俺に移せ』とも言えるだろうが、それは無理な話だ。閉じていた瞳を開け、熱で充血してしまった目を潤ませている彼女は、やわらかく微笑んだ。いつものように。

「うんと…」

そう呟いて、またゆっくりと瞳を閉じた。

「アイス、たべたい」

何気ない、言葉だった。
それなのに、まさかこんなに焦燥感を与えられるとは思ってもみなかったのだ。

ノア、お前、いつかこれよりも弱って、俺より先に死んでしまうのか、
お前のスパークが消えたら、
俺は、


『待ってろ』

静かにそう言うと、照れくさそうに笑った彼女は熱由来の涙を垂らした。それを拭った。その時に、自分をこんなに無力だと感じたのは初めてなんじゃないかと、ブラックアウトは思った。
ベッドの縁から立ち上がる。そうしたら、急に彼女は袖口を引っ張ってきた。

『どうした』
「行かないで、」

閣下から召集がかかったときでさえ、そんな弱々しい言葉は発さない彼女の、その一言は効いた。

『アイスは…』
「やっぱりいらない。一緒に…」

いっぺんに言えなかったのか、はあっ、と息をはいて、苦しそうに区切った。

「一緒に…いて…ここに」





風邪の対処法はさっきのサーチで調べた。一般的な療法を、ここでやるしかないのだ。病院に連れて行くつもりだったのだが、「風邪ごときで病院なんて行かないんだよ」と教えられた。
いつも彼女が立つキッチンで、レモンを搾る。コーンスターチを入れた湯はふわふわと泡を立て沸騰した。去年の暮れに彼女が教えてくれたもの。これはビタミンCがとれるらしい。蜂蜜とレモンが湯にとけていく。
あたたかい湯気が立ちのぼるマグカップから、あたためられたレモンの匂いがした。

「…すっぱい」

小さい子供のように丸くなって、彼女はそれをだが幸せそうに飲んだ。何度もマグに口を付けて。

「ありがと」

いつもと変わらない明るさでそう言った彼女は、ほのぼのとマグの中にまだ半分以上残っているホットレモンをながめている。

『万病のもとのウイルスを抱えてるんだぞ、なぜそんなに余裕なんだお前は』

スコルポノックはノアのくるまれたブランケットに同時にくるまれていて、同じようにホットレモンを覗き込んでいる。いつの間に入ったんだ、そこに。

「大丈夫、けっこうみんな引くんだよ、この季節になると」

くすん、と鼻を啜りながら、ホットレモンを飲み干す彼女を見つめる。

『全部飲んだか』
「うん。ごちそうさま」

マグを受け取り立ち上がるブラックアウトを、ノアは目で追った。ディムグレイのシャツの袖口は捲られて、その腕がキッチンでまだ温かさの残るマグカップに洗剤をつけた。
…洗剤の量が多い。

「ブラックアウト、洗剤使いすぎ」
『……文句を言うな』

振り向かないままそう言って、洗い始めた彼に笑った。大きな背中。本当の姿の時には、あそこにたたんだ大きな羽がある。羽みたいに見える。それから、綺麗な腕。スコルポノックを抱き上げるときや、夜が来て抱かれる時、その時の筋肉の動きが好きだ。発光したような赤い目で、頬を手のひらで包んで微笑んでくれるとき、そのブラックアウトは自分しか見ていない。今ホットレモンを作ってくれたブラックアウトも、自分しか見ていない。そんな瞬間をこのひとと共有できる奇跡。熱が上がっているからか、それを具体的に思い浮かべることができた。今マグを洗ってくれていることも、おととい崩れてしまうほど抱かれたことも、あの背中も、全部が私たちであることが、こんなに幸せであるなんて。

ノアはゆっくり立ち上がって、彼に近づいた。背中におでこをくっつける。

「……すき…」

きゅ、と蛇口を止めて手を拭ったブラックアウトは振り向いて、彼女を腕に包んだ。まだ体が熱い、と思った。

『…また熱が上がったか』

氷を、と冷蔵庫に向かおうとした彼に腕を巻き付けた。胸に体をあずけるのが心地いい。

『…?』
「ありがとう、ほんとに」
『…ん』

2009/10/07
できることなら
俺に移せ