I'm yours.
昨夜のノアは、帰りが遅かった。ごめん迎えにきて、と珍しく催促され向かった先も、俺達が出会ったあの駐車場ではない。何があるんだ。
「バリケード」
呼ばれた声に、マウスを動かす手を止めた。
「目、悪くなるよ?」
至近距離で液晶を眺めていたバリケードを、心配そうに眺めるノア。部屋の温度は、4度。
ノアは寒そうに身を縮めながら、ホットミルクを手に持っていた。
「おはよ」
微笑んで、はい、と手渡されたのは、香りの強いコーヒーと呼ばれる飲み物だった。柔らかくのぼる湯気を見つめ、受け取った。
「何見てたの?」
ノアがこの原始的なパソコンを覗き込んだ。
『…イーベイ』
ノアは珍しい生き物でも見るかのような目で、
「何か落とすの?」
と聞いてきた。
ユーザーネーム"Ladyman217"があの座標を示した眼鏡を出品していた時に検索したメモリーが残っていたので再生させただけで、特別な意味はなかった。
『…………』
首を傾げ、少し口角を上げたノアに視線を向ける。カーテンから漏れる日差しはノアに遮られている。
一緒に住み始めて2ヶ月目の、12月の朝だった。
ノアがカーテンを開けると、穏やかな朝日が部屋を照らした。ノアがカレンダーを見る。
「バリケード、クリスマスイブだよ!覚えてくれた?」
明るく言い放って両手を広げたノアに対し、バリケードは無表情のままだった。空白の時間が一瞬あって、ノアが止まった笑顔をしかめっ面に変えて、両手をだらん、と下に落とした。
「……盛り下がるなぁ」
ノアはつまらなさそうに歩み寄り、マウスを横取りした。
「クリスマス、勉強しといてって言ったじゃん、もう当日になっちゃったし。あ、まだイブか」
一人でぺちゃくちゃうるさい女だ。
『………』
コーヒーの香りと、ノアの髪の匂いが混じる。
「はい、出てきたウィキペディア」
かしゃ、と音がして出てきたのは、正教会の画像と、長ったらしい文章。仕方なくバリケードは瞬時にその記事をアイセンサーから採取し記録した。
『……こんな物調べて何になるんだ』
ノアはマウスを奪った手を引っ込めて、バリケードと距離を取った。
「一緒に過ごす最初のクリスマスだから」
『……だから、何だ』
ノアはしかめっ面になって、
「思い出に残るようにしたいでしょ?」
そうか?大体何故異星の俺がこの星の大半が崇める神の生誕を祝わねばならんのだ。
黙ったバリケードの顔を覗き込んで、
「…まぁ、あんまり、興味ないよね」
ふう、と力なくため息をついたノアはゆっくりと立ち上がり、
「今日、基地に行くんでしょ?」
と聞いてきた。
ああ、と答えると、
「私も夜になるかも、でも調べ物あるんでしょ?お迎えは来なくていいからね!あ、でも日付変わる前に帰ってきてね、ごはん一緒に食べよう」
にこにこしながら、身振り手振りで話をするノアを見ながら、本当によく喋る女だと、バリケードは思った。
「じゃあ、また夜ね」
出会った駐車場でノアを降ろすと、バリケードはそのまま基地へ向かった。
気怠かった。終わりのない解析は、この小さな星全ての情報を吸い尽くさねば終わらない。
だがどこかにあるはずなのだ、閣下が眠る場所を探る、何かが。
『最近オ前…ソノ格好多クネェカ?』
フレンジーが基地のコンピューターに繋がったまま、横目で尋ねてきた。ヒューマノイドモードのままで解析をしていたバリケードは、ああ、と思い出して本来の姿にトランスフォームした。
『……同化シテイッテンナ』
やかましい、と小さく返したバリケードは、エネルギー充填機に体を差し入れた。
『元気カ、アノ虫ケラ』
バリケードは答えず、それよりも今朝インプットした無駄な情報を消去するかするまいか考えていた。容量の限界はあってないようなものなので問題ないが、最近無駄なことに使いすぎのような気がする。
『クリスマス…か』
『ア?』
『…下らん』
『オ前…ナンデソンナ言葉知ッテンダ?』
『………』
さすがにイブの街はごった返していた。ノアは最近、いつもの仕事とは別にもう一つ日払いのアルバイトをしていた。期間限定のアルバイトで、友達に人が足りないからと頼まれ、週に1、2度手伝っていた。クリスマスケーキのデモンストレーションのアルバイトで、いつもの仕事の後2、3時間働き、割といい小遣い稼ぎになる。今日は最終日だった。
ノアはそうして稼いだお金で、今日はサプライズで豪華なディナーを作ろうと張り切っていた。プレゼントももう用意していた。バリケードに、もっと地球にいて楽しんでほしい。一緒にはいてくれるけれど、笑顔は見たことがなかった。今日はきっと喜んでくれると確信があったので、ノアはいつもの何倍も張り切ってケーキを売った。寒空の下でも、バリケードに乗っている時の感覚、バリケードが自分を見てくれる時の眼差し、色々元気の素は思い出せばたくさん出てくるので、頑張れた。
早く終わらせたい。
そうすることで、バリケードがほかの星に飛んでいったりせず、ずっとそばにいてくれるのなら、いくらでも頑張れると思った。
結局は自分の為なのだ。
「メリークリスマス!ありがとうございます」
作った笑顔とともに路上で、幸せそうな家族や、道行く恋人たちにケーキを売り、渡す。
19時。
あがっていいよ、と友達に言われたので事務所に帰ろうとしていると、ふたつ持って帰っていいよ、と先輩が言うので、その言葉に甘えて苺の乗ったケーキを選んだ。見るからに甘そうなその小さなケーキを心底怠そうに食べているバリケードを想像するだけで、微笑みがこみ上げた。
生まれてから、一番楽しいクリスマスになる気がした。制服である帽子を取り、さあ事務所に帰ろうというところで、後ろからすみません、と声がした。笑顔で振り返り、ケーキを売る。
そんな事を繰り返していたら、もう時計は20時を過ぎていた。
基地を出たバリケードは、思うところがあって家とは違う方角に走る。
なぜ最近帰りが遅いのか。なぜその説明をしないのか。ハイウェイを走るバリケードは苛々した。
程なく走り、彼女の持つ携帯へ電話をかけた。…が、繋がらなかった。
現在地をサーチし、ノアは街のど真ん中にずっと留まっている事を突き止めた。急いで向かう。
何かを隠されるのが苦痛だった。従順に全てを見せればいい、見せなければ殺してしまえ、そんな風に思った。
だが随分前から、"殺す"や"奪う"を思わなくなった。何故かわからない。段々、自分の基準で考えて不節操になっていっている気がしていた。だが答えは単純だ。保てなくなれば殺せばいい。ずっとそうやって生きてきた。ずっと、誰かしらの何かしらを、奪いながら。
近くになったところで、ヒューマノイドに姿を変えたバリケードは、目の前の光景をただ立ち止まって見た。何をしてるんだ、あの女は。
見たことのない格好で、笑顔を、見ず知らずの人間に振りまいて何かを手渡している。今まで見た彼女の中で一番滑稽で、腹の立つ姿だった。
「ノア、ノア」
帰る準備を済ませて挨拶をしていたノアは、ぽんぽんと肩を叩かれて、振り返った。仲間が指した方向に立っていたのは、背が高くて、厳つくて、片眉をつり上げた、よく知っている顔だった。思わず手を振った。
「知ってる人?」
聞かれた答えに頷こうとした時、バリケードが物凄い形相で走ってくる姿が視界に入った。
「───え」
『帰るぞ』
そう言われて、その場で片手で担がれたノアはズカズカと歩くバリケードを信じられない、と思った。公衆の面前で担ぐなんてあまりにも、酷い。
「ちょっと!バリケード!!」
文句を言っても、じたばたしても、もとは金属の生命体だ、勝てるわけがない。
帰る方向の人気が少ない裏道で、抱えていたノアを容赦なくポロッと地面に落としたバリケードは、瞬時にビークルモードにトランスフォームして助手席を開けた。
『…乗れ』
「…い、いやだ」
ノアは首を振った。理由が知りたい。なんでこんなに乱暴なのか。
『乗れ!』
バリケードのけたたましい声におののいて、泣きそうになりながら、嫌々乗り込んだ。
貰ったケーキの箱は、ぐしゃぐしゃになっている。中身は見えないけれど、おおよそどうなっているか検討がついた。
制服であるサンタクロース格好のまま、喧嘩をしている自分が滑稽だった。こんなはずじゃ、なかったのに。大切な時にいつも喧嘩してしまう自分とバリケードは、一生分かり合えない気がした。
さっきのバリケードとは大違いなマスタングの中は、静かだった。
『何をしていた』
「…………」
バリケードの中で聞こえるのは、頬を膨らませて目を真っ赤にした、滑稽な姿をしたノアの、鼻をすする音だけだ。
『何をしていたあの場所でだ答えろ!』
はぁ、とため息をついて、さらにノアは無視した。腹が立った。
『……何故朝の格好と違うんだ』
バリケードは今度は穏やかに聞いた。口調が柔らかくなったことに気づいたノアは、やっと説明する気になった。
「…バイトをしてた。サンタの格好してケーキを売って…今日で終わりだけど…あ!服、事務所に置いたままだ、…あーあ、誰かさんのせいで」
『…………』
「今日クリスマスだから、プレゼントと、夕飯、少し豪華なものにしたかった。だからちょっとお金に余裕があったらいいと思っただけ」
『…………』
「バイトを黙ってたのは、心配かけたくなかったからで、あとこの格好をバカにすると思ったから何となく…言えなかった」
『…………』
「…以上。他に聞きたいこと、ある?」
ノアは疲れた顔をしてシートに身を倒した。
『何故…笑っていた』
「え?」
バリケードの意外な問いに、体を動かさないままノアは目を見開いた。
『お前が…他の人間に笑う姿を見たくない』
まばたきをしながらノアはバリケードの意図を飲み込もうとした。
「あ、あれは商売だよ、作り笑顔」
ノアが取り繕う。
『お前に何かを隠されると腹が立つ』
「な、なにそれ…バリケードの方が隠してる事多いでしょ」
ノアはバリケードの言い分がめちゃくちゃだと思いながらも、徐々に穏やかな気持ちになっている事に気がついた。
しばらく、沈黙が続いた。
『おい』
「ん?」
『…その格好、馬鹿にするわけないだろうが』
カーステレオから聞こえたその声は、穏やかで、優しく聞こえた。
「バリケード」
『?』
「好き」
『………』
「何とか言ってよ」
『………何を作るんだ』
「あ、今夜?とりあえず、丸焼き」
『………』
「でも時間、遅いよね。やっぱりいつも通りカレーとかにしようかな。ぐしゃぐしゃだけどケーキはあるよ」
『………』
「さぁ!サンタが帰還しまーす!トナカイ君、運転頑張って!サンタはおなかが空いています!」
『調子に乗るなこの虫ケラが!』
「あ、ソリ君の方が良かった?ソリケード!あははっ」
『やかましい!殺すぞ!』
不器用な彼に振り回されっぱなしで、何も計画通りに進まないけれど、これから先も、戦う以外知らなかった彼に、何かを与え続けていけたら、いいのに。
ずっと一緒にいてね、私のサンタさん、あ、私がサンタさん?
(おまけ)ノアの12/25の日記
買ったばっかりのアーガイル柄のタイツに、無理やり無造作に入っていたプレゼントは、
"人の話を聞けるようになるには"
という本でした。自分が読むべきだと思うよバリケード。気に入って買ったタイツは破けて、最悪でした。私は眼鏡をあげました。
意外に似合ってました。
ケーキは潰れてたけど、二人で食べれたのでうれしかったです。
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