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その時彼女はいない・特別編

実に、地球に降り立ったのは、20年振りだった。若い草花が風に揺れ、その風は土の匂いをふくんでいて、それがとても心地よい。
何もないだだっ広い草原で、ただこの身をあずけて、地球から、宇宙を眺める。月が小さい。
時々サイバトロンへ帰りながら、銀河を旅した20年。新しい星、生まれたばかりの星、命は其処彼処にある。オートボットとしての信念を守りながら、新しい文化に触れ、それを星に持ち帰る。探査をして、自身の星をより良いものにするために他の宇宙を知る……というのは建前で、本当のところ、何か自分の中に塞ぎきれない穴が開いてしまって、それを必死に埋めるという、旅であった気がする。
地球は相変わらずごちゃごちゃしていて、彼女と過ごした日々となんら変わらないが、便利になったものもあり、そしてそのぶん、失ってゆくものもある。
星はそれを繰り返す。命ある星は。
彼女が逝って、20年。
紛うことない彼女という存在がこの星から消え去り、20年という月日が経ったのだ。
どの星で生まれ変わったのか知りたい。
いまだに、その兆しを持った生命とは、遭遇していない。
彼女は漠然と輪廻を信じていた。

───生まれ変わったら、何になりたい?

穏やかにそう尋ねてくる眼差しは、太陽の光を虹彩が反射させ、それから、絶えず息を、していた。優しく、控えめに、彼女は生きていた。老いてもなお生き方が気高く、大半の人間の女性がその道を選ぶ、親になるという道も、人間の伴侶を選ぶということさえも、遮ってしまった幾ばくかの罪悪感を、彼女は共に過ごすたびに一掃した。

───私の幸せを勝手に決めないでね

天を仰ぐと、光を混ぜたこの宇宙は青く澄んで、人間はそれを空と呼ぶ。素晴らしいと思った。ただその星から見える宇宙の風景に、彼らは空と名前を付けた。
彼らのそういうところがとても気に入っている。人間は、好きだ。とても愚かな人間もいるが、彼女のような人間もいる。そんなところが、俺たちのようで、とても好きだ。

肌身離さず付けている、形見であるiPodを手のひらに乗せた。
とてもとても小さい。うっかり潰してしまいそうになるので、いつも胸のあたりにしまい込んでいる。古ぼけていて、ほんの少し古い脂で薄汚れている。彼女が触った後だ。
彼女の手のひらや、指先から僅かに分泌され続ける油脂だろう。
それも彼女がこれを持っていた、という証だ。彼女が生きていた、証だ。

「ああ、またか」

思わずひとりごちた。自分のエネルギーをほんの僅かにわければ、いまだにこのiPodは音楽を聴くことが出来る。
しかしまた死んでいる。
よく彼女が言っていた。
またiPodが死んでる、と。電力を使い果たすとそう言っていた。
これにエネルギーを分けるたびに、そのことをよく思い出すようになった。
死んでいたiPodは、一瞬で熱を持った。電源が入る。ゾンビみたいだ。
音楽にノイズがかかっている。
聞いたことのない曲が、また流れた。

───ジャズは、楽しまなくちゃ。戦争ばっかりしてて、こういうの、あんまり楽しめなかったでしょう?

生前の彼女を思い出す。
思えば知らないことも、たくさんあった。
あいつの親、あいつの友達。
共に過ごすという選択から、俺はあいつからいくつの自由を、奪ったのだろう。
ノイズが大きくなった。
曲がよく聞こえない。イントロなのか、ざわざわしている。

【20……7年、9が……8日】

「……!?」

iPodの画面をバイザーでズームさせる。
ボイスメモ、とある。

【……アホが聴く】

口の中からオイルが引く。20年ぶりの彼女の声、まだ、聞いたことのない言葉。何故かスパークが波打ち、発声モジュールの奥の方がカラカラになった。体としっかり繋ぎ直し、姿勢を正し、それから、再生機能を調整した。

【あージャズさん、ジャズさん?】
【今日は2017年9月28日、の私です】
【おげんきですか】
【私は、骨になってしまったかな】
【それとも、まだ生きて、あなたと一緒に、いるでしょうか】

「───っ、」

【いつかの仕返し】
【はっはっは】
【まーいったかーぁ】
【でも、喋ることがないよ】
【あ、こないだ映画、一緒に見に行けて嬉しかった。時間作ってくれて、ありがとね】
【ジャズ】

「───……」

【ジャズ……】
【地球は楽しい?きてよかった?】

「ああ、来てよかった」

2017年の彼女と、話してるよ。なんだこれ、なんだこれ。

【私もね、よかった。ジャズと出会えて、よかったよ】

思わず口角が上がるのを抑える。誰に見られているわけではないが。

【だけどね、もしこれを】

「───……」

【とても遠い未来に聞いていたら】
【すぐにこんなの壊して】
【ばらばらにして】
【ジャズは未来に進んで、ね】

「なん……、」

【無理に忘れなくてもいい。だが過去に縛られ過ぎて未来を逃すなんて、無駄な気がしてこないか】
【これはね、私がとても傷ついていた時にジャズがくれた言葉だよ】
【一緒に夕日を見たね。楽しかった】
【本当に、ありがとう】

「……」

言葉が出てこなかった。

【ジャズ……っ、どうか幸せに……】

泣きながら笑ってる時の声だ。
よく覚えている。
俺が人間なら、今頃大号泣してるんだろうな。苦しい。スパークの奥が、締め付けられて、今このままお前を思いながら死んでしまいたいくらいだ。

【ジャズはね、幸せになって、たくさんほかのオートボットたちと笑って、笑って、ロボ老衰で死ぬの】
【トランスフォーマーって老衰とかあるの?】
【ないよね、なさそう】
【はは、まぁいっか。じゃあ、今日はこの辺で。ごきげんよう、今日もジャズが大好きでした】

空を見上げた。
さっきまで真上にあった雲が、あんなに風に流されていて、別の形になっている。
最近は仰け反ると、随分昔に千切られた腰が軋む。古傷、というやつだ。
確実に、自分も、死には近づいている。

「なぁ、俺がそっちにいったら、また、映画を観ような」

爽やかな風が吹き抜けた。
彼女は今きっとここで風になり海になり、そして、きっとどこかでまた幸せを見つけているはずだ。
ゆっくりとiPodをまた定位置にしまい込み、バイザーを戻した。
新しい星へ、また、希望を探す旅が始まる。

2017/09/28