「お帰りなさい美月ちゃん。良かったわ、何もなくて」
「すみません…いっぱいご迷惑と心配お掛けして」

そう言って頭を下げれば「いいのよ!貴女が無事だったんだもの!」と笑って迎えてくれた女中頭のお菊さん。そんな彼女の目の下にも、先程の彼のように黒い隈が出来ている。

…ああ、トシの言う通りだ。みんなに沢山、心配掛けちゃったな。罪悪感やら何やらで、顔を上げられない私を見兼ねたように彼女は朗らかに笑って見せる。

「ほら、そんな疲れた顔してちゃ余計心配になるわ。お風呂沸かしておいたから、今日はゆっくりお休み」

そう言って、ポン、と優しく頭を撫でて。洗濯したての柔らかいバスタオルと着流しを持たせてくれるから、本当にこの人には敵わないんだ。

「ごめんなさい…お菊さん、本当にごめんなさい」
「そんなに謝ることないの。大勢の人に迷惑を掛けたのは確かにいけないことだけど…そうね、誰にだって、そういう時ってあるものよ」

まるでもう一人お母さんがいるみたい。諭すような口調に必死で首を縦に振る。ありがとう、とごめんなさい、だ。

溢れた涙を隠すように、もう一度深く頭を下げて腕の中の物を抱き締める。頭上でまた彼女の笑う気配がしたけれど、こんな顔見せられたものじゃない。何度も頭を下げながら女中詰所を後にしようとしたら思い出したように引き止められて、新しく手渡されたのは温かい食べ物と飲み物。

「…え?」

どうして…分かったんだろう。朝から何も食べてないってこと。

きっと、複雑な顔をして手の中の物を見ていただろう私をお菊さんは微笑みながら引き寄せて。耳元で、副長にでも聞いてごらん?なんて言うから。

…それだけで、全部分かってしまう私も私だ。



あの後、ぼろ雑巾のようになったしまった山崎さんをトシが引き摺り(可哀想だけどいつものことだったりする…)私達は屯所に戻ってきた。帰る最中の会話は一切なく、トシはただ煙草の煙を吐き出しながら私の三歩先を歩く。時折、目だけで振り向くその顔を何故か直視出来ずに途中からは下ばかり見ていた。

『…美月』
『え?』

まさか話しかけられるとは思いもせずに、気付けば普通にトシの顔を見つめていた。ハッとして逸らしかけた私の目の前でトシの手が動く。そっと頬に添えられた手。訳が分からなくて、おずおずと見上げればどこか安堵したように息を吐いて、それから。

『どこも…何ともねーのか』
『…へ』
『あの髪も頭もパー野郎に何もされてねーのかってんだよ』
『う、うん…大丈夫』
『ハァ…そうかよ、ならいい』
『…トシ、ごめんね』
『あ?何がだ』
『いっぱい、心配、掛けて…』

それから、本当のこと言えずにごめん。それだけは心の中で謝りながら静かに視線を落としていく。まっすぐにトシの目が見れないのは、罪悪感からだ。嘘を吐いた罪悪感と、それから…

『っあ!?いひゃ!いひゃい!』
『なに目ェ逸らしてんだ』

思いきりつねられた頬に引かれるがまま顔を上げれば、そこには不機嫌そうに私を見下ろすトシがいる。あ、目合った。そう思った途端に解放された頬は直後だからかやっぱり違和感と、痛みが残る。

トシの行動が理解出来なくて頬を押さえたまま見上げていたら『仕置きをくれてやったんだ』なんて自信満々に言われて。

『仕置き…』
『そーだよ、なんか文句あっか』
『ううん…ない』
『反省したか』
『うん…した』
『本当だな?迷惑掛けてごめんなさいは?』
『迷惑掛けて、ごめんなさい』
『よし。反省したんなら、もうこの件は終わりだ』

次はないと思えよ、そう続いた言葉の後に額をこつんと小突かれる。なに、それ。あまりにもあっさりしているその対応に唖然とする私に構わず、帰るぞと取られた自分の右手。冷たくてぶっきらぼうな言い方、けれど思わずドキッとしちゃうようなその行動。

一瞬こちらを振り向いたトシの、鋭い筈のその目が柔らかく細まったのを、見た気がした。

ただ手を引かれて歩くだけなのに、相手次第でこうも違うのかと思い知らされる。

けれど手慣れてるようなその行為を悪い方に考えてしまいそうになって、慌てて話題を振った。お菊さんにどうやって謝ろう…なんて、私とトシにしか出来ないだろう話題を。

するとまた、私を振り返り見た後でおかしそうに笑う。そんなん自分で考えろや、俺ァ知んねーぞ。一見吐く言葉は冷たいのにどうしてトシは、こうも私を温かい気持ちにさせるのが得意なのか。


「…トシの嘘つき」

ぎゅ、と。両手に抱き締めたその温もりと想いがじんわりと胸に広がっていく。…ああ、私やっぱりあの人のことがどうしようもなく好きみたい。


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