屋根から落ちて意識を飛ばしたナマエはそれから三日経っても目を覚まさなかった。状況はどうやらあの時と全く一緒のようだ。ヅラや銀時以外の奴らも皆一様に眠り続けるナマエのことを見舞っては今日も肩を落として部屋を出る。

ただ少し違ったのは、ナマエが落ちたその場所にいなかった筈の俺がいたことと。

『ならば高杉、ナマエの様子を見ていてくれ。俺と銀時で近くの町医者を訪ねてくる』

そう言って馬鹿二人が連れ立って出掛けて行ってから半刻。その間ずっと、こうして目を覚まさないナマエの側にいるのが俺だということだ。

…あの時、ナマエの側に着いていたのは確か銀時。しかも自ら残ると言い張ったという話だった筈だ。しかも一連の出来事をヅラから聞かされたのも俺がアジトに戻ってから随分と経った後で、まるで何事もなかったように動き回るナマエの背中越しでの会話だった筈で。

どういうことなんだ…分からねェ。

妙な焦燥感と苛立ちが募るが、何を考えたところで変化は望めない。それは嫌というほど思い知らされたが考えざるを得ないのも確かだった。すぐに切り替わるだろうと思っていたこの映像の中で既に俺は三日間過ごしている。そしてそれと同じ時間、目の前の女は眠り続けている。

ここは一体なんなのか。ただの夢ではないのか?頭を悩ませてみてもいつだって行き着く場所はない。まるで無限ループだ。答えも終わりもない。となると、考える事をやめるしか無くてまた始まりに戻る。つまりはどうしようもないわけだ。

一向に変わらないこの状況に何度溜め息を吐いたか分からない。…それに奴らはかなりしつこい。女のそれよりもよっぽどしつこい上に人をおちょくるのが大好きらしい。



『銀時、お前はナマエを見ていてくれ。高杉、急ぎ医者を呼びに行こう。山を下りればすぐだ』
『あ?』
『…ヅラァ、高杉はナマエと一緒にいてーんだってよ。俺だって空気くらい読むからさァ、今度ヤクルコ奢れよマジで』
『そうか仕方のない奴だな全く…俺にも奢れよ?』
『テメーらよっぽど殺されたいらしいな』

楽しそうにニヤニヤ笑いながら『じゃ行ってくる』だなんて逃げるように出て行った奴らをここまで本気で殺してやりたいと思ったことが果たしてあっただろうか?

思い出しただけでも鬱陶しくて堪らないのに帰って来たらどうすればいい。顔を見て話す自信がない。手が出そうだ。

今も昔もやはり気に食わない奴らである。思い切り舌打ちをしてみるが届く訳もなく、むしろ余計に腹立たしい。仕方なく、どうしようもないこの苛立ちをぶつける場所が欲しくて。ふと目の前の女の寝顔に目がいって。

そしたら、なんかもう、全部がどうでもよくなった。

「…おい、ナマエ。お前、今どこで何してんだ」

そう声を掛けてみても、勿論彼女からの返事は返って来ない。精々規則正しい寝息が聞こえるだけだ。

…なァ、お前の声がどんなだったか…俺ァもう忘れちまったよ。

最後に、別々の道を辿ることんなったあの日。片目で見辛ェ視界の中で俺はずっとお前を探してた。けれどある日を境にそれまでずっとマトモに会話なんざしてなかったせいか、お前は最後まで俺の顔を見なかったな。銀時やヅラや坂本には笑い掛けても、俺にはただ背中を向けたまま。

なァ、そんなお前のことがな、嫌いで嫌いで仕方なかったんだよ。…知ってたか?いや、知らなかったろうな。それ以上に何年経っても消えてくれねーような、もて余す程の気持ちを抱えてたってことも。

蓋をしていた筈の、あの時の絶望に似た気持ちが溢れだして拳を握る。…これ以上、一緒にいたら。きっと戻れなくなる。じわりと手に浮かんだ汗を誤魔化すようにスッと立ち上がって部屋を出た。何を言ってんだ俺は。戻れなくなる?一体何に戻るってんだ?俺にゃ初めから戻る場所なんざねーってのに。

ハッと自嘲の笑みが零れる。馬鹿馬鹿しい。今更だ。今更、んな気持ちを思い出したところでなんにもならねェ。俺は変わった。あの頃憎くて堪らなかった相手が自分の国に変わり、全てをぶっ壊すと決めた。

そうだ、決めたからには何もかも捨ててくしかあるめェ。大事なモンは一つだけ、それは先生の意思のみだ。それ以外はいらない。ナマエのことも、ナマエに対するこの感情も、ここで全部捨ててくしかあるめェよ。

前に進む。それが間違った道だろうが、進むと決めた。あの時に。

目を閉じて、開ける。もういい。こんな夢は終わりでいい。そもそも夢の中で三日過ごすとかあり得ない。だから早く起きろと自分自身に念じてもこの世界が歪むことは全くない。舌打ちをして、一体いつまで寝るつもりなんだ俺ァ…と漏れた独り言。するとまるでそれに反応したかのように襖の向こうから聞こえたのは衣擦れの音と、

「…あ、れ?ここ、どこ?」

ナマエの、その声に。苛立ちも疑問も何もかも、色んなもんが一瞬全部ぶっ飛んだ。ああ、そうだ。こんな声だった。寝起きだからか、微かに掠れた声。その声を耳に焼き付けるようにしている自分に気が付いた時、ヒュ、とまた喉が鳴る。

…おいおい、テメェの想いはんな簡単にひっくり返るモンなのかよと自分自身に舌打ちをする。捨てるって、決めたばかりだろうが。いらねーって言っただろうが。なのに、どうして足が動かねェ。

イライラする。こんな意味もない夢を見せる自分自身に。いい加減にしてくれ。惑わすんじゃねーよ。これ以上ここにいたくねェ。そう思うのと裏腹に、もっと声が、顔が、姿が見たい。ナマエをもっと近くで感じてェとそう思っちまうんだから、もう仕方ねェだろうが。

「目ェ覚めたか」
「っえ、」

出来るだけ平常心を装って、俺とナマエを遮るその襖を開けた。するとそこには目をパチパチと瞬かせて俺を見上げる女がいる。寝起き特有の、微睡みから抜け出せていないような朧気なその目は俺の全身をゆっくりと回って漸くかち合った。

俺は、何を言おうとしていたのか。目が合った瞬間にどうやら言葉が抜け落ちたらしい。お互い何も言わぬまま数秒、静寂に包まれるも突然ナマエがその目をゆるりと細めた。…まるで、いい夢でも見ているかのような。幸せに浸っているかのような。儚くも見えるナマエのその大人びた表情に何故か、ひやりと肝が冷えた気がして。

「屋根から落ちて三日も目覚まさねーで…何やってんだテメーは」
「…晋、助」

晋助…ナマエが呼ぶ、自分の名前がこれほど特別に感じた事があっただろうか。誰かを見て、体の底から何かが沸き上がってくるようなそんな気持ちになることは。…やめろ、やめてくれ。俺が求めてんのはそんなぬるま湯じゃねー筈だろう。

「これ以上バカになりたかったのか?」

咄嗟に悪態を吐いたのは、自分の気持ちをそこに留めるためでもあったのかもしれない。そしたらきっと、前のように仲違いするだろうと踏んだのだ。負けず嫌いのお前はきっと俺の言葉にムッとして、そっぽを向くか。それとも俺に習うように悪態を吐く。そうならいい。それで、いい。そう思っていたのに。

「…そうかもね」

なんて、んな穏やかに微笑む顔を見たら。あんだけ嫌だと、これ以上はと張っていた予防線も意地もプライドも。もうこの際全部をかなぐり捨ててでもいい。目の前のお前を、すぐにでも抱き締めたいなんて。柄にもねーことを思っちまうから。

一瞬伸ばしかけた手を慌てて引っ込めて。そうかよ、なんてぶっきらぼうに言葉を返した。


夢なら覚めてくれるなと、矛盾した思いに引き摺られたのはきっと…やり直したい気持ちがあったからかもしれない。最後まで言うつもりのなかった言葉をこいつに、どうにかして伝えることが出来たなら。

頭の中で鳴る警報を無視して、俺は一歩、ナマエに近付いた。

「…なァ」
「ん?」
「痛く、ねェか」

やれることは全部、やってやる。夢だろうがなんだろうが、いいじゃねーか。それでも、夢の中だけでもお前に会えるなら。

まるで壊れ物でも扱うかのように、落ちた時に打ったであろう肩にそっと触れる。きっとこれは、過去の俺じゃ出来なかったこと。だからなのか、最初は訳が分からないとばかりに首を傾げていたナマエの目が驚きに見開かれたと思ったら今度は口元がふわりと緩く弧を描いて。

「うん、大丈夫」

ありがとう、と。そう言ったその顔があまりにも綺麗で。

「…ああ」

大切に、してェと思った。笑わせてェと思った。こいつが楽しいと、幸せだと思える毎日にしてやりてェと思った。昔の俺でも、今の俺でも出来なかった事を、ここでやってやると。そう思ったんだ。




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