憎しみとはときに千里を駆ける駿馬である。どこまでもどこまでも尽きることなどないのだ。それはときにちからである。 憎い。 そう言う感情で、自分を真っ直ぐに睨み付ける者。 それは悦ばしいことだった。それは自分だった。 「ほう、殺したはずの」 ――死に損ない。 と僕はつぶやいた。 エストラーネオファミリーの残党、というよりは忘れ物と言ったほうがいいのか。僕と歳の頃は余り変わらない少年。僕を睨み付けて、殺そうとしているのか、呼吸がおかしい。 ファミリーの人間の中には、本当に自分が崇高なことをしていると信じこんでいる者がいた。 息を荒げて、うっすらと瞳の端には涙をたたえて、その少年は僕を見上げた。 なんということか。 こういうときには、とことん憎しみの色に染まってしまわねば、あしもとをすくわれる。 悲しみとか、迷いなんていう感情が、ぐるぐると渦巻いていては何も出来ない駄馬である。駆け抜ける駿馬にはなれようはずもない。 とても残念だった。 この少年は僕を殺す意志にみちているようであったから、余計に残念だった。 彼はこれから何が起きるかはわからないだろう。そしてこれからもわからないだろう。僕の右目の数字が変わるのと同時に彼は、すべてわすれてしまう。 ――僕はにこり、と笑った。 「坊や、憎しみを大切に」 そしてひとこと、Arrivederci、と言った。 (坊や、憎しみを大切に) |