ベッドに眠る亡霊 | ナノ



亡霊の眠るベッド


※十年後設定の音也とトキヤです。同棲しています


目が覚めると隣に音也はいなかった。当初は狭いと騒いでいたベッドも、彼が隣にいないと妙に空虚に感じる。空っぽだ。シャワーでも浴びているのだろうか。夢うつつの状態の私には判断がつかない。
布団にもう一度潜り込み、先ほどの行為をもう一度頭の中でなぞってみる。恥ずかしくて顔から火が出てしまいそうだと思ってしまった。昨晩は、自分が上に乗って彼を喜ばせたのだ。下から私を見上げる彼の視線は情欲と甘さが籠っていているのがありありと感じられた。終わった後は強く抱きしめられ、この瞬間こそが一番の幸せだと噛みしめる。

「ふ…」

思わず、口端をあげてしまう。そんな自分が気味悪くて、ごまかすように寝返りをうった。幸せだ。
ふと、足元に異物感を感じた。階段を踏みしてしまったような感覚だ。それでも私は気にせず、覚醒半ばの脳をもう一度睡眠に沈める。そのまま眠りに落ちた。

「君だけが幸せになるなんて許さないにゃあ」

あまりにも聞き覚えのある声が響く。私は驚いて、足を動かそうとした。けれど動かない。金縛りだろうか。体を動かそうにも、身動きができない。気づけば、妙に布団が盛り上がっているような気がする。暗闇だからはっきりとは言えないが、異質な何かをそれから感じる。布団をめくるのが怖い。
布団の中で、私の脚を掴むHAYATOの姿が一瞬鮮明に妄想された。

「………っ!」

いやだ、と叫びだしそうになって、目が覚めた。朝だ。

「あっトキヤ!おはやっほー」

Tシャツにパーカーを羽織っただけと言うラフな格好をした音也がマグカップを持って近づく。見上げるといつものように笑っていた。

「お…おはようございます…」
「もう!そこはおはやっほーで返すところだろー」

飲みかけだけど飲む?と笑いながら音也が私にマグカップを渡す。そっと口づけるとやけに甘いココアだった。

「おはやっほーってもう言ってくれないの?」
「あれは私の中で、もう封印したものです」
「そうなんだ…HAYATOも寂しいね…」
「…っ、私とHAYATOは!同一人物です!」
「えっ?そんなの知ってるよ。どうしたのいきなり」

くすくすと音也が笑いながら、貸してとマグカップをやんわりと受け取ってみせる。ココア久しぶりに飲むとうまいよなあ、だなんて軽やかに言っていた。



「暴露本ですか…」

そうだ。今の一ノ瀬トキヤには過去を振り返る良いきっかけになるだろう。
我々の業界も、HAYATOにはよく世話になっていた。あの独特のキャラクターはなかなか生み出せるものでもない。あんなにお笑い気取っておいて、実際歌わせてみたら歌唱力は折り紙つきだ。
HAYATOが芸能界を引退するとなったとき、テレビの前の誰もが残念に思ったはずだ。そして一ノ瀬トキヤの誕生…いやあ、なかなか感慨深いものがある。
そろそろ、形として世に出してみてもいいんじゃないか。

神妙な顔つきと、いつもとはまるで違う早乙女社長の口調に緊張で思わず喉を上下させてしまう。まあ、よく考えてみると良い、と言われ、私は社長室から退出した。

「暴露本だなんて…そんなもの絶対書きたくない…」

緊張が抜けたはずみからか、思わず本音がこぼれてしまった。
HAYATOは死んだ。墓荒らしのような真似はしたくない。ますます彼が浮かばれない。亡霊としてまとわりつくだろう。足取りが重くなる。その足にHAYATOがしがみ付いているのではないかと錯覚する。
何年も封印してきたはずのそれが、どうして今になって現れるのだろう。
私は今年で二十六を迎えると言うのに。



クローゼットの奥の奥にそれは眠っている。
数年ぶりに引っ張り出したそれは、保存状態が良いのか、形も整ってあるし、色も褪せていない。けれど、古臭く感じた。

「今日は音也は飲み会だったはずですね…」

しんとした部屋に自分の声だけが響く。
あれから大きく身長や体重はそれほどまでに変わってはいないはずだ。
自分が商品なのだから、手入れにだって抜かりがない。今これを着てみることは不可能でもないかもしれない…。
いやいやいや。そんなまさか。いやそれはさすがに。十代の頃の衣装を今着てみようだなんて。
事務所での社長の言葉、今朝の夢らが私の中で思い起こされる。HAYATOは私が長い間封印してきた人物だ。確かに振り返るきっかけにはなるかもしれない。
何の衝動が私を突き動かしたのかは原因不明だが、私はHAYATOの衣装を着てみることにした。



「完璧ですね…」

思わず独り言が零れてしまうほどに、私はそれを着こなせることができた。紫のジャケットは予想以上に目には色鮮やかだ。タイトなつくりのシャツとジャケット、パンツではあるが、案外すんなり着ることができた。
全身鏡にうつる自分の姿を見つめると、やはりそこには私しかいない。表情は一ノ瀬トキヤでしかないのだ。もう二度と、HAYATOの表情をつくりだすことができない。HAYATOは死んだのだ。
しばらく鏡の前で、ぼうっと突っ立っていると、ガチャガチャッと鍵の開く音がした。途端心臓が握り潰されたようにどきりとする。
えっまさか。もう帰ってきたんですか。えっだってまだ、日付も越えてませんよ。えっいや、えっ嘘でしょう。

「たっだいま〜!トーキヤッ!…って」

へらへらして赤い顔した音也も、私の姿を見て
思わずあんぐりとした表情を見せている。音也の顔を確認して、私も体が硬直してしまった。

「……どうしたの、それ…」
「あっいや、これはですね、その…ひぃっ」

ツカツカツカと足取り早く音也は私の元に駆け寄る。こんなふざけた姿見られるだなんて恥ずかしくて、どうしようもない。
けれど、音也の表情を見て、私は息がとまった。まるで私に欲情しているかのような表情を見せたからだ。

「なんか…死んだ恋人に会った気分」
「はあ?……んっ!」

音也は、上着を脱ぐこともなく私に噛みつくように口づけた。息もつかぬ間に舌先で唇をこじ開けようとする。流されてそのまま半開きにしてしまうと、臆することなくその舌は入り込んできた。

「んんっ…はふっ、苦し…っ」
「……ん、」

そのままなだれ込むようにベッドに押し倒された。それでもキスはとまらない。まるで大型犬にべろべろと舐められているようだ。

「おっ音也!待ちなさい!」
「は…っなに…」
「衣装、皺になります!するなら脱ぎたいですし…」
「どうせ汚れるんだからそのままでいいよ」
「なっ…」
「HAYATOの衣装を着たトキヤを抱きたい」

熱っぽい声と表情で囁かれたら、心臓が掴まれたようにぎゅっとしてしまう。いつだって私は音也のこの声に弱い。十年たってもこのありさまだ。

「HAYATOに会うのは十年近くも久しぶりだね」
「あうっ!」

ぐりっと音也に膝で局部を刺激され、私は思わず喘いでしまった。恥ずかしい声を出してしまい、しまったと思って彼を見つめなおすと、少々不満げな顔だ。

「ねえ、トキヤHAYATOになってみてよ」
「どういう意味です!」
「違う違う。どういう意味かにゃあ?とかでしょ」
「んんっ…!」

スラックス越しに、自身を撫でられぶるっと体が震えた。そこはすでに反応を示してしまっている。そんな私の反応を無視して音也はそのままそこをすりすりと撫で続けていた。

「やっ…ちょっと待ってください音也…!」
「直接触ってほしい?ならHAYATOになって」
「それは…っ」
「ほらほら、おはやっほーてさ」

やや乱暴に私の口元に手をやり、そのまま指先を咥内に滑り込ませた。彼の指先が私の下をぐにぐにと弄る。その行為によって私は生理現象から涙目になっていた。

「あっ…あふ…」
「おはやっほーって言ってくれたら、ここ舐めてあげる」
「ひうっ…」

音也が自身を撫でる手の速度を徐々に速めていく。もどかしい刺激に腰が揺れそうだ。

「こんな白いズボンに染みができたら目立つし、恥ずかしいよ?ほら言ってみせてよ」
「んん…でも…」

ぬるんと指が私の唇から逃げ出す。頭が少しふやけてきた。

「そんなこと言えません…っ恥ずかし…」
「どっちが恥ずかしいか考えてみて、ね?」
「…っあなたは私を今いくつだと思って…」
「今年二十六だよね」
「………よく理解しているようで」
「でも、今は十年前に戻った気分。俺も年とっちゃったけどね」

苦笑する顔がどうしようもなく格好良いと思う。十年前の音也ならこんな複雑な表情は絶対にしなかった。音也もまた大人になってしまったのだ。昔はがみがみと怒るだけだった私も、幾分穏やかになったし、音也も天真爛漫なのは変わらずだが、昔に比べればとてもよく落ち着いている。けれど強引さは持ったままだった。十年前から私は抗えない。

「どーする?ここ、硬くなってきてるじゃん」
「いっ、言います!言いますから…っ」
「はいどうぞ」
「おっ……」

おっ…。
大体おはやっほーって言葉は何なのだ。
ふざけた言葉すぎる。よくもまあ、毎朝毎朝そんなことを言えたもんだ。十代にしか絶対にできないし、まわりの誰もが私のことを痛ましく思ったに違いない。
それでも試行錯誤して私はHAYATOと言うキャラクターと共に歩いてきたのだ。

「おっ…音也くん…許してくださいにゃあ…」
「おおー!HAYATO!」

おはやっほーは口にできなかったが、代わりに彼の口調で話すと、音也はみるみるテンションを上げてみせた。彼のはしゃぎように内心安堵する。けれどこれは何プレイですか。

「うーん。おはやっほーはさすがに恥ずかしかったみたいだね。でも今のもかわいいから許してあげる」

ちゅっと軽い音をたてて、彼は頬にキスしてきた。その行動にも愛しさが生まれてくる。足元をもぞもぞとさせると彼はますます笑みを深めた。

「トキヤがにゃあとか語尾につけるの恥ずかしいでしょ?よく頑張ったね。ご褒美あげる」
「んん…っ」

音也はおもむろにベルトを外し、スラックスを引き下げた。途端に晒される下腹部に羞恥がとまらない。上半身はなにひとつ乱れていないのに、そこだけが不恰好だ。それに私のものはすでに反応を示している。

「やらしいなあ…本当に。あっ今からトキヤはHAYATOだからね。トキヤに戻っちゃだめだよ」
「……っわかったよ、音也くん…」
「はは、音也くんだって。ぞくぞくする。かわいい」
「あっ…」

そのまま下着も脱がして、ぱくりと躊躇なく彼は私のものをしゃぶる。音也が帰ってくる前に洗っておいてよかっただなんて見当違いなことを一瞬思い浮かべた。

「ん……」
「あっあっ…そこ、やだぁ…」
「HAYATOも先っぽ弱いんだ?まあ、男はみんな弱いものだと思うけどね」

尖らせた舌先でツン、と突かれると電気が流れたように体がしなる。音也は十分に唾液で咥内も唇も湿らせて、私自身に愛撫を施した。れろれろと舌を這わせ、快楽への道へと駆け上がろうとする私をますます追い詰めるかのように、ついに唇をすぼめ、じゅるじゅると音をたてて吸い出した。

「あっあっ、待って…っ」
「ふっ…はふ、先走りすご…」
「もう少しゆっくりっ…あっ音也…っ!だめです…っ」
「いつもよりビンビンに感じてるね。もしかして興奮してる?」
「そんなっ…」
「まあ元からトキヤは早漏だけど…んんっ」
「あああっ」

確かに私は音也より出るのが早い。でもそれは他でもない、音也が相手だからこそすぐに達してしまうのだ。それを知ってか知らずか、彼は私のものに激しく舐めあげる。
思えば、よくこの男が、男のものを舐めるようになったと思う。
昔は、私がよく彼にこういった行為をしてあげていた。
まったくもってヘテロだった彼は、自身を男の体に埋めることに少し拒絶があったのだ。
始めの頃は、私が彼のものを咥えるばかりであった。そのうち、彼も私のものに触れるようなり、少しずつ慣らしていった。
十年もたてば、さすがにこんな風にもなるか。
脚の間でゆらゆらと赤い髪が揺れているのを見て、愛おしさがぐっと生まれる。気づけばその髪を撫でていた。少し硬い、ワックスで固めた男の髪だ。

「はあっ…はあっ…音也…で、出ます…離してください…」
「んんー…それじゃあダーメ」
「んう!?」

先端から口を離すと、彼の唇と自信が銀色の糸を紡ぐ。てらてらと液で濡れた唇はとんでもなくいやらしかった。しかし、彼はきゅっと指で射精を留めてしまった。

「やっ…音也!」
「今はHAYATOプレイ中なんだから、HAYATOっぽくおねだりしないとダメ」
「プレイって…!」
「あとちょっとでいけそうだったでしょ?ねえねえ、言ってみて」
「………っ」
「何もいく瞬間におはやっほーって言わなくてもいいからあ」
「当たり前です!あんっ」
「お願いHAYATO…」

耳元で吐息と共にやけに甘い低温で囁かれると、ぶるぶると震える。じんわりと涙目になってきた。弱弱しく視線を流すと、音也が期待に満ちた目で見てくる。観念して、私はついにふう、と一息ついた。

「もう我慢できないにゃあ…っ音也くん…僕を気持ちよくさせて…っ」

恥ずかしくて死にそうだ。二十六でこんな台詞。けれど音也はにっこり笑って、

「うん、最高。かわいい」

私の頬にもう一度キスをした。
それだけで、何もかもがとろけそうになる。すでに下半身はとろけているようなものだ。
それから音也はただひたすら射精を促すように私自身を責めたて、あっけなく達してしまった。さすがに飲み込むことはできなかったが、彼はしっかりと咥内で受け止め、そのあとティッシュにそれを吐き出していた。それでも、昔に比べたらこんなこと考えられない。

「HAYATOの衣装汚れちゃったね」

音也の言う通り、HAYATOの衣装は私の体液で汚れてしまっていた。汗やら何やらで、もう完全にべたべただ。上だけはきっちり着こなしているのに、スラックスも下着も身に着けてなくって、黒い靴下だけが浮いている。自分が今、どれだけ淫らな格好をしているのだろうと冷静になると、何も考えたくなくなる。

「音也…あの、上脱ぎたいのですが…」
「え?どうして?乳首いじられたいから?」
「違います!さすがにこれは、恥ずかしすぎます…」
「いいじゃん。かわいいよ」
「そういう問題ではありません!」
「またトキヤに戻ってる」
「…………」
「もう、HAYATOにはなれない?」

ベッドの上で見つめあう私たちはどれほど滑稽なことだろう。おまけに私は下半身丸出しだ。それでも視線だけは真剣でアンバランスすぎる。

「HAYATOはもう、死にましたから…生き返らせることはできないんです」
「そっか…」

ぎ、ぎ、とベッドが軋んで、音也が近づく。そしてゆったりとした手つきで臀部に触れ、孔に指先を埋めた。

「んんう…っ」
「死んだ恋人に会った気分って表現、あながち間違いでもなかったかもね」
「うっうう…」

男に下半身を弄られ、良いように扱われている私をHAYATOはどう思っていることだろう。
今もベッドから私を覗いているのだろうか。せせら笑っているのだろうか。

かつては、私とHAYATOにはそれぞれの意志と人格があったように思える。時折どちらが本当の自分かわからなくなった。
早乙女学園に入学し、仲間と出会い、音也と出会い、七海君と出会い、私は少しずつ自分を取り戻していった。徐々にHAYATOの割合は少なくなり、薄くなっていく。ついに、引退と共にHAYATOは私の中で死んだのだ。けれど、HAYATOは消えたわけではない。

「HAYATOは…」
「ん?」
「亡霊として私をいつまでも縛り付けます、いつだって、私を…」
「トキヤ…泣いてるの…?」

音也のものがぴとりとそこに宛がわれ、体を震わす。こんなに男のものを咥えてばかりいる私を彼は軽蔑するだろうか。けれどこれが私のなれの果てでもある。

「ごめん!いじめすぎちゃったかな!?辛いでしょ、これ脱いでいいよ?」

しゅるしゅると音也がスカーフをほどき、私のジャケットを脱がしにかかる。昔だったら間違いなく私のことなんておかまいなく挿入していたことだろう。我慢を覚えたようだ。おかげで彼のキャラクターとは裏腹に、スマートな行為である。
HAYATOの衣装を脱ぎ捨てたとき、妙に体が軽くなった。音也も服を脱ぎ捨てる。
いくよ、と唇が触れあいそうな距離で囁いて、彼は私を貫いた。
二十五の音也のセックスはねっとりとしている。焦らして焦らして、気持よすぎて参ってしまいそうだ。

「お互い…年とったね…トキヤ…」

音也のそんな切羽詰まった声にも、コクコクと頷くのみである。



昨晩は少々無理をしすぎたようだ。
体のあちこちが痛い。HAYATOの衣装で音也をあそこまで盛り上がらせるとは思わなかった。コスプレとはオーソドックスでありながら効果は割とあるものだと実感する。かつて自分がステージ衣装にしていたものとはいえ、十年越しに着れば、それは立派なコスプレだろう。
シャワーを浴びて、洗顔をし、鏡の中の自分を見つめ、カミソリに頬をあてる。
鏡の中の自分は一ノ瀬トキヤだ。よくもまあ、昔はあんなに表情を柔らかくさせていた。
そんなことを思いながら、ぼうっとしすぎたのか手元が狂ってしまい、指先をカミソリで切ってしまった。

「痛…っ」

ガシャン!と大きな音をたてて、カミソリは落下する。切れた指先から血液が滴り、洗面器に赤い波紋が広がった。落ちたカミソリを拾おうと洗面器を覗き込むと…。

「うわっ…!」

思わず洗面器をひっくり返してしまう。心臓のばくばくが止まらない。
今洗面器にうつっていた自分の顔は間違いなく…!

「ハヤト…」

ざわざわと芯が冷えていく。洗面器はさかさまになり、水は流れてしまっている。私はどうにもそのカミソリを使う気がしなくて、新しいものをおろした。