なさし | ナノ

彼は少年に夢をみる


※なっちゃんルートネタバレ有




―四ノ宮那月は夜な夜な女と寝ているらしい。
いいや女だけではないぞ。男も例外ではないらしい。
何しろ、あいつは自分より小さいものならすべてイケルらしいからな。はっはっはっ。

授業中、そんな噂話がここ頻繁に耳に入る。那月はあの強烈なキャラクター故か、Sクラスで話題になることが度々あった。
始めは妬みによるものがほとんどであった。何しろ那月のヴィオラの腕前、歌唱力はSクラスに選ばれていても何らおかしくない。むしろ彼らを凌駕していても過言ではないくらいなのだ。
しかし、最近は少し毛色の違う噂話が出回っていた。那月が遊び回っていると言う噂らしい。


―なあ、来栖って同室だっただろ那月と…。
ええっマジ?やばくね?あんな可愛い顔していたら一発でやられるだろ。
いいや、もうやられているのかもしれない。ご愁傷様だな。
小さいからろくに抵抗もできなかっただろうにな…可哀想に…。


「…っ聞こえてるんだよ!てめーら!小さい可愛い言ってんじゃねえよ!大体俺は無事だ!」

教室中に俺の馬鹿でかい声が響く。日向先生はあからさまに眉間に皺を寄せて、お前罰として資料持ちな、と怒気を含ませた声色で言った。どうして俺が!
きっと彼らを睨みつけると妙に申し訳なさそうな顔をしている。だったら最初からくだらない噂話をするな。

「悪いな来栖、気を悪くするなよ」
「はあ?あんなこと言われて気を良くする奴がどこにいるんだよ」
「いや、俺ら純粋に心配しているんだよ。本当に何もされてないのか?」
「那月のことだろ?確かにあいつはちょっと変だけど掃除洗濯はよくしてくれているし…問題は特にないよ」
「なら良いんだけど…俺、ちょっとあいつ怖いよ。底が見えないっていうか…たまに雰囲気がガラッと変わるっていうか…」

彼らの言い分はそこまでずれたものでもない。確かに那月はヴィオラの技量、表現力に関しては、計り知れないものがある。そして雰囲気が変わるのもそれは…。

「でも、悪いやつではないんだよ。同室だからわかることもあるっ!」

俺がはっきりと語尾を強めて言うと噂話をしていた彼らは、来栖がそう言うならとそれぞれ違う方向を向けていた椅子を直し、真面目に机に向かいだした。井戸端会議は終了したようだ。
俺は、慌てて黒板に板書されたそれらをノートに書きうつす。乱暴に扱ってしまっていたのか、シャーペンの芯がぼきぼき折れて、苛々した。


***


那月は夜中によくベッドから抜け出す。
始めはトイレかなぁ、とか水でも飲みに行ったかなとか、思っていてあまり気にしていなかった。しかしあまりにも頻度が高いのだ。少し那月を待ってみようと起きて待っていても、朝まで帰ってこないようだった。

昼間那月に聞いてみようとしても、すぐに抱きしめられ質問することができない。大きく柔らかな腕に抱かれ、もしも関係が壊れてしまったならと一瞬考えてしまう。なんとも自分らしくない考えだ。どんなこともはっきりしないと気がすまないはずなのに、俺は那月に関してはどこか臆病になっているところが否めないのだ。それはあまりにも自分とかけ離れている人種だからだろうか。それとも、彼の中のもう一人を恐れているのだろうか。もしも、自分が触れてはいけないところに触れた瞬間、もう一人の彼が現れたらと思うと…。俺は彼がたまらなく苦手だった。

そして、今夜も那月はどこかへ行ってしまうのだろうか。こうなったら現場を取り押さえて何をしているのか問い詰めてやる、と意気込んで俺はベッドに入っても眠らないようにしていた。
もしも那月が何もしていなかったら、同室の俺が、あいつがそんなことをするわけないと証明することができる。明日の朝にだって、噂話をしていた奴らに俺がこの目で確認したのだと言えるのだ。だから何とかして起きていなければならない、と気合は淹れてみたものの、ウトウトしてしまう。眠い、眠いと心の中で無心に唱えているとやっと那月がモゾモゾと動く気配がした。
よし、今だ!勢いよく起き上がると、そこにいたのは那月ではなかった。一見ではわからなかもしれないが同室ならわかる。それに俺は一度彼に会ったこともあるのだ。いつもの穏やかな瞳のカラーの欠片もない。冷たく鋭い視線だった。

「お前…砂月か…」
「…お子様はこんな時間まで起きてんじゃねえよ」
「那月は!?何でお前が出てきてるんだよ!」
「那月は寝てる」

そう言って砂月は胸をトン、と叩くような真似をした。その動作に一瞬安堵したが、ここで頭に今朝の噂話が思い浮かんだのだ。

「もしかして、あの噂…」
「ああ?」
「お前が那月の体を好き放題してるのかよ!」
「一体何の話だ」
「…っ那月が、誰彼かまわず部屋に入っては…っその……」

つい言い淀んでしまいモゴモゴしていると、ぷっと吹き出す気配がした。暗い照明の中、小さく奴が笑う。

「ああ…そうだな。那月は女も男も両方いけるから」
「は?」

そう言われて俺はサーと血の気がひくのがわかった。心臓が嫌な鼓動を打ち始める。砂月は俺のそんな様子を気にすることなく話を始めた。

「まあ、噂になっていても仕方ないだろうな。あいつは、自分より小さくて可愛いものなら節操がない」
「う、噂はマジだったってことかよ…っお前、那月に何やらせてるんだよ!お前なら止められるだろ!」
「そうしなきゃ那月が壊れるからやってるんだよ」
「はあ!?好きでもない奴と何やっているんだよ!余計そんなの…しんどいだろ、傷つくだけだろ」
「お前は何もわかってない」

ぐっと砂月が近づき、俺の頬をなぞる。俺は金縛りにでもあったようにまるで動くことができなかった。こめかみに嫌な汗が流れる。砂月はそのまま俺の首筋をちゅう、と吸った。その感触に俺はぞっとし、胸を押し返した。それでもびくともしない。

「うぁ…!や、やめろ!俺までそう言う対象にする気かよ…!」
「那月が我慢強い性質でないことは知っているだろ。なのにずーっと我慢してきたんだぜ。わかるか」
「何を…」
「那月がこういう行為に走ったのはお前のためだ。知っているか?那月がこの世界で一番可愛くて愛しいと思っているものがお前だと」
「そんなの、わかってる…何回も聞いた…っ」
「いいやわかっていない。……そうだな、わからせてやろうか」

おもむろに砂月は俺から離れ、眼鏡を取りに行った。まさか那月が戻ってくるのではないかと俺はドキリとした。

「あれ…翔ちゃん…どうしてこんな時間に起きているんです?」
「な、那月!」

なぜかじんわりと涙が出そうになる。那月が長い旅から帰ってきたようだ。先程の雰囲気をがらりと変えて、一気に柔らかくなった。周囲に花さえ飛んでいるように思えてくる。

「ああ…こんな時間。僕約束があるんです。翔ちゃんは夜遅いんで寝ててくださいねっ」
「はあ?約束って…もう夜中の2時だぞ…確かに明日は休みだけれど…」
「今日は、Aさんのところにぎゅっとしてもらうんですよお」

那月は本当にいつもと変わらない様子でそれを言った。俺にはAと言う名前に聞き覚えがない。それは友人なのかと言うと、彼は首を縦にふった。

「…お前、先週もどこか行ってたよな?それもAって奴か?」
「それはBさんですねえ。あっちなみにBさんは女の子です」
「は?ちょっと待て、じゃあ今日ぎゅってしてもらう予定のAさんは男なのか?」
「そうです。でも小さくて可愛いんですよお」

頭がぐらりとした。本当に噂話と砂月の言うとおりだった。一体どうして?那月はどうしてそんなことをしているんだ?

「お前は、何でそんなことをしているんだ」
「小さくて可愛いものはぎゅってしたいんです。裸で抱き合っていると気持ちがいいし、満たされるんです」

那月はいつもと変わらない表情、声色だ。俺はもう何と言うべきなのか言葉が思い浮かばない。情けない。でもこんなことはやめさせたいとは思っているんだ。

「なあ、やめようぜ那月…そんなこと…小さくて可愛ければ何でも良いのかよ…」
「だって我慢できないんです」

那月がそっと俺の頬に手を添えた。砂月にもやられたと言うのにまるで違う。同じ人物なのに不思議だ。

「あれ…翔ちゃん、この赤い痕…」

つつ、と俺の首筋を那月がなぞる。その動きにぞくぞくしてしまった。

「…っこれはさっき砂月が…」
「さっちゃんが?そっかあ…」
「那月?んん…!?」

那月が俺の唇を塞いだ。思っていた以上に柔らかい。そして長かった。それでも那月が俺の咥内に舌を侵入させることはなかった。

「ぷはっ…!く、苦し…」
「いいなあ、さっちゃん…翔ちゃんのここにキスできて…」
「…っおい、そこあんまり触んなよ!」
「ねえ、翔ちゃん僕に今夜Aさんのところに行って欲しくない?」
「当たり前だ!」

そっかあ、と那月がふふふと笑う。なぜか先程とは妙に違う空気を出していた。もっと甘く、あやしい雰囲気があるのだ。俺は少し怖くなった。
ぐん、と腰を密着させられるように抱かれる。身動きができない。

「翔ちゃんが、あのひとたちと同じことしてくれたら僕はもう、どこにも行かないよ」
「あのひとたちって…」
「ずーっと翔ちゃんの傍にいるよ。ずっと翔ちゃんの気持ち良いことしてあげられるよ…」
「ひっ…」

那月の大きな手が俺の臀部を撫でまわしたかと思うと、今度は局部にまで布越しに触られた。俺は本格的に恐怖を感じ、嫌だ!と大きな声をあげて那月を突き飛ばしてしまった。砂月の時とは違い、簡単に那月は離れる。なのに依然として笑みを浮かべたままだ。
「…驚かせてごめんね、翔ちゃん。もうこんなことしないよ」

暗闇で笑う那月の眼鏡の奥が悲しそうに揺れた気がした。こんな殊勝な那月は見たことがない。

「な、なつ…」
「僕もう行くね。約束は破れないから」

ごめんね、翔ちゃんと那月は俺の額に唇を落とした。それは優しい口づけだった。
パタリと静かに扉が閉まる。その瞬間腰が抜けてしまった。ああ、本当に情けない…!

***

今日も授業中は那月の噂で持ちきりだ。どうやらどんどんエスカレートしていき、幅も広がってきているらしい。学園長に見つかるのも時間の問題かもしれない。

「なあ、来栖お前本当に手出されてないのか?」
「出されてないよ」
「本当に?」
「たぶん、あいつ俺には一生手を出さない」
「へえ。友情ってやつ?」

俺が答える前に、先生のおーいうるせえぞ!と言う罵声が広がった。やばいやばいと隣の席の奴が慌てて教科書を広げる。

友情じゃないからこそ那月はきっと俺に手を出せないんだ、と俺の中ではすでに答えが出ていた。そして那月を止められるのも俺しかいないのだろう。
待ってろよ、那月。お前は俺がとめてみせるよ。