絵画美人 | ナノ


絵画美人

「お願い!絵のモデルになってほしいんだ!」
 目の前で神頼みをするかのようなポーズをしているのは音也だ。めずらしく殊勝な態度の彼に私は少し狼狽してしまう。音也は頭を上げようとしない。
「絵のモデルというのは、どういうことですか」
「感受性を豊かにする課題で、一か月かけて一枚絵を完成させなきゃいけないんだよ。Sクラスにはないの?」
「絵はありませんでしたね。確か書道だった気がします」
「書道かあ…ああーっそれも嫌だなあ…。でさ、トキヤは受けてくれるの?モデル…」
 きらきらとした瞳で問われれば、ぐっと息が詰まってしまう。
「まあ、学校の課題というのなら仕方ありませんね。あまり気は進みませんが…」
「サンキュー!」
 音也に手を握られブンブンと振られる。予想以上に音也は喜んでいるようだった。
「ところで何なんですか?テーマは」
 くるんと音也が振り返って一言。
「テーマは同室の相手だよ」
 また随分直接的な課題だと思った。


「ところであなた絵は描けるんですか?」
「トキヤよりは」
 そう言われてムッとしてしまう。しかし言い返せない私がいた。
「はいはい。適当な椅子に座って」
 ギ、とデスクの前の椅子に座らされ、くるんとまわりそうなそれを何とか足で踏ん張る。
「何かポーズの指定は?」
「うーん…特にないけど…あっ、俺を見てよ」
「はあ?」
「俺を見てるトキヤを描きたい」
 冗談でも言っているのかと思いきや、音也は至って真剣な表情をしていた。その顔に何も言えなくなる。
 音也と私の関係は非常に曖昧だった。親友と呼べるほど一緒に過ごした時間はなく、ルームメイトと呼ぶにはあまりにも簡素で、ライバルという言葉には近いようで遠い感覚があった。友人と呼ぶには近すぎる関係であるような気もした。スキンシップが過剰なのは彼の癖であるとわかってはいるのだが。
「まあ、疲れてきたら体勢変えてもいいから。はい描くよ」
「は、はあ…」
 音也もまた私の前に椅子を持ってきて、スケッチブックに絵を描き始めた。シャリシャリした鉛筆の音が響く。その赤いスケッチブックに私が描かれると思うと緊張して、体が強張ってしまう。
「あは、そんなに緊張しないでよ」
「……緊張など、」
「トキヤは自然体がきれいだから良いよね。姿勢良いし…こうやって、じっと見て描いてみると、バランスの良いスタイルしてるなって思うよ」
「スタイルならレンが抜群でしょう」
「あー……レンもきれいだね。でもなんだろう…トキヤには儚さがあるっていうのかな…俺が描きたいって思ったのはトキヤなんだよね」
「……っ」
 その言葉にドキリとしてしまう。恐る恐る音也のほうを見やると、彼は真剣そのものでこちらを見ていた。彼の眼球は私の顔を捉え、肩、胸、腕、手、腹部、腰、足元まできゅるきゅると動かしている。縄で椅子に括り付けられたかのように私は動けなくなってしまった。
「ど、どちらにせよテーマは同室相手なんでしょう。私以外ではありえませんね」
「うん、そうだね。トキヤ以外は描けないね…」
 ニコッと笑って音也はまた絵を描き始めた。呼吸さえうまくできなくなってしまっていた。いつ終わるのだろう、いつ終わるのだろうとずっと思ってしまっていた。



「うーん。今日はここまで! ありがとねトキヤ」
 音也のはつらつとした声に現実に引き戻される。時計を見ると四十分程度しか経っていなかった。私には二時間程度に思えた。
「もう良いのですか?」
「うん。トキヤも疲れちゃうでしょ。今日はなんとなく形を描いてみたんだ」
 パタリ、と音也は赤いスケッチブックを閉じてしまった。
「それ、見せてはくださらないのですか?」
「えっ!?だめだめ!恥ずかしいよ!!」
「モデルには権利があると思うのですが?」
「せめて完成したらね!」
 そこは照れるポイントなんですね。音也は顔を真っ赤にしていた。





 休日の今日は音也はじっくり課題に取り掛かるようだった。音也が手にしているものはいまだに鉛筆だ。
「よし、今日は休みだからよろしくね」
「課題のためなら仕方ありませんね」
 いつもは子供みたいな顔しているのに、物事を真剣に行うときはやたら大人びた顔つきをしているのだな、と思った。音也が私を見て、描いているときは彼の顔を見れないが、彼が視線をスケッチブックに向けているときは私も彼の顔が見える。その大きな瞳は何を描いているのか。

 見られることを仕事にしているつもりだった。だが、それはHAYATOのときのみで、一ノ瀬トキヤとしてこうやって誰かに長時間見つめられるのは初めてだった。おかげで緊張してしまう。このモデル作業は何度かしたはずなのに。
 見られることを意識して体作りにも髪にも何もかもに気をつかっていた。行動にも姿勢にも、指先の動きにさえも。鏡で何度も研究をした。常に完璧でありたかったからだ。
 その完璧な自分をスケッチブックに描いてもらうことは内心、少し嬉しかった。レンは天性のものでそれらを再現することができるが、私は努力してつくりあげたものだ。
 だからこそ、微塵にも動けない。私の体には一本一本、トゲのツルが巻かれており、動いてしまったらたちまち刺されるイメージをする。ツルは私の腕に巻きつき、腰に巻きつき、脚も固定されている。
「トキヤって」
「!」
 ふと、音也に呼び止められ、カクンと現実に戻された。
「は、はい」
「全然動かないね。すごい。今人形みたいだったよ?」
「ふふ、当たり前です。イメージをするのですよ。昔よくあったでしょう。姿勢を正すには背中に一本の棒をいれているイメージをすると……」
「でももうちょっと動きがあっても良いなあ。俺が描きたいのはトキヤの人形じゃなくてトキヤだから」
「話聞いてます?」
 ガタン、と音也が立って私の前に立つ。思わず見上げてしまった。
「うーん。うん…ううん。ちょっとごめんね」
「!?」
 音也が突然私の太股を掴んだ。そしてぐぐっとなぜか足を開こうとする。
「ちょ、ちょっと何するんですか!?」
「トキヤきっちりしすぎだから足もうちょっと開いてくれないかなって。動きがほしくてさあ」
「あ、あなた絵描きでもない癖に何生意気なことを…」
「いやいやそこはイメージしてよ」
 する、と音也が私の頬に軽く触れ、髪を撫でた。
「ここは俺らの部屋じゃなくて、アトリエ。俺は絵描き。トキヤはモデル。これらのイメージしてみてよ。ギターとかテレビとかも何もなくて、キャンパスやら絵画やら、絵の具、筆がそこらじゅうに落ちているんだ。俺もトキヤもアイドルとか目指してないの。俺は売れない絵描きでトキヤはモデル。どう?イメージが大切でしょ」
 ニコリ、と音也は笑った。
「なぜ売れない絵描きなんですか…」
「なんとなく?俺のイメージ?」
「私は売れているモデルなんでしょうね?」
「あはっ。そうかもねえ。売れない絵描きだった俺に売れっ子モデルトキヤが気まぐれで俺のモデルになってくれるの」
 音也が私の頬を撫でる間、私が彼のスケッチブックをずっと見つめていた。うーん見えない。中身が気になります。
「だから俺の絵が売れるようにモデルさんもうちょっと頑張って」
「ひっ!?」
 すり、と音也が私の太股の内側を撫でた。ぞくぞくとした感覚に目を見開いてしまう。音也はおかしそうに声をあげて笑っていた。
「ははっ!トキヤの驚いた顔ってすげえ表情あって良いよねえ。だからもうちょっと自然体にしてよ。疲れるでしょ?」
「そこまで苦でもないのですが…まあ、そうですね。本でも読んでましょうかね」
「え〜っ本読んだら下向いちゃうじゃん…」
「顔をあげてと言われたらあげますよ」
「本当に?よろしくね」



 じっとりと汗ばむ空気だった。五月の下旬、もうすぐ六月。湿度も温度も上がっていく。なのに私も彼もエアコンを入れようとは言わなかった。今、私が動いたら彼の絵を壊してしまう、そんな気がしたからだ。
 音也は真剣に画面を追う。私は本を開いてはいても、文字などまるで読み取れてなかった。彼の視線が気になって仕方がなかったからだ。
「……っ」
 音也の視線が私の腰に集中し、ず、ずると音をたてて、今度は胸へと視線を飛ばしているような気がした。なぜ今日はインナーも着ずに白いシャツを着てきてしまったのだろう。こんなシャツでは中身まで見透かされてしまいそうな気がする。
「トキヤ」
 音也の声がする。視線だけで彼の呼びかけに応えると、やけに熱っぽい顔をしていた。その顔に心臓がばくばくする。
「足、開いてみて」
「え……」
「お願い」
 言われた通りに私はおずおずと足を開き始める。課題のためなら仕方ない。私はモデルなのだ。
「こ、これでいいです…」
「ごめんもうちょっと」
「……」
 数センチ間隔で足を開いていく。音也が頷くまで動かし続けた。
「ストップ。いいよ」
「はい……」
 その言葉にピタリと止める。予想以上に足が開いた状態になっている。これでは本が読みにくい。膝の上に本を置いてよむことはせずに、私は本を持ち上げて読むことにした。ろくにページが進んでいないそれを。

「……」
 シャ、シャリ、シャシャ……。
 静かな空間に音也は鉛筆を進めていく。窓から見える天気はきれいな青空だった。今日は良い天気だ。日差しはやけに明るく、気温も暑い。この部屋も暑い。だらりと汗が流れそうだ。
 音也の熱視線は注がれたまま。一体どれだけ時間かかっているんですか。早く解放されたい……。
「トキヤ」
「はい」
「本、読めてる?」
 核心を突くような投げかけに私はぐっと息を詰まらせた。ページなど一枚を進んでいない。思わず困ったような顔をしてしまうと、音也は私のその表情に対しては特にリアクションをしなかった。
「読めて、ないです」
 なぜ正直に言ってしまったのか。情けない私の声が響いた。
「暑くない?」
「暑い、です。冷房いれましょうか」
 なんとなくこの空間が気まずくて立ち上がろうとすると、音也が待って!と叫んだ。
「トキヤ、脱いでよ」
「は……!?」
「暑いなら、脱いで。俺トキヤのシャツ見てたら、シャツの向こう側も見たいって思っちゃった」
「それは、課題のためですか?」
「うん、もちろん」
 可愛い声色とは裏腹に音也の顔は狼のような目つきをしていた。
 震える手で私はシャツを脱ぎ始める。なぜ私はこんなに彼の言うことを聞いているのだろう。いいや課題のためだ。これは課題のためなのである。
「……っ」
 プチプチとボタンを外し始めた。先ほどは足を開くためにわざわざ音也はこちらへ来たのに今度はアクションを起こさない。私が脱ぐ姿をスケッチブックの向こう側から凝視している。
「こ、これでどうですか……」
 前だけを開けた状態で音也を見ると、彼はまたうーんと唸り始めてしまった。
「それはちょっとやらしい感じがするから駄目。ちゃんと全部脱いで」
「はあ!?や、やらしいって……」
「俺は好きだけどね。でもリンちゃんに提出できなくなっちゃう」
 意味がわからない。そう思いつつ私はシャツを脱ごうとしたが、なぜ自分だけ上半身裸にならなければならないのか疑問を感じ始めた。
「あっもしかして脱ぎにくい?俺も一緒に脱いであげよっか」
「結構です…」
 はあ、と大きくため息をついてシャツを脱ぎ、きちんと畳んで椅子の横に置いておいた。何ですかこの格好はレンじゃあるまいし。
「でもやっぱりトキヤはきれいだなあ…肌とか筋肉とか…完璧だよ」
「はあ……」
「触れたくなるけど、今は我慢だね」
 ぎゅるんと音也が私を見つめる。その視線に身動きがとれなくなった。
 今でなかったら、いつか触れてくれるのだろうか?
 そんなことを思ってしまうぐらいには体は火照っていく。
「あーでも駄目だ……我慢できない…」
「えっ」
 ガタンと大きく音をたてて音也は立ち上がった。ばさり、とスケッチブックも乱暴に置いてしまう。
「トキヤ……」
「お、おと……んむっ」
 噛みつくように唇を奪われた。はむはむと唇で唇を挟まれ、心臓がバクバクしてしまう。
「は、はふ…トキヤ、」
「ちょ、ちょっと待ってくださ……っ課題はどうしたんですか!」
「だって我慢できなくなっちゃったんだもん。課題より今はお前がほしいよ……」
「なっ……ひうっ……!」
 熱を灯した潤んだ瞳に荒げない。大きな瞳はそれだけで私を捉える。そのまま彼は首筋にばくりと噛みついた。
「い、いた……っあうっ…」
 そして剥き出しの乳首に彼は指でぐりっと触れたのだ。じんじんとした感覚に下腹部がきゅんとなってしまう。
「ま、待ってくださ、そんな急に……っ」
「でもトキヤも反応してきてるよ」
「ンッ……」
 すりすりと音也の大きな手でスラックス越しにそこを撫でられる。すでに高ぶり始めていたそこは簡単に歓喜の涙を流してしまう。
「もう濡らしてるんじゃないの?」
「えっ、やだ、いやです…っ!」
 カチャカチャとベルトを外され、椅子に座ったままの前で音也は腰を降ろし、私のそこに顔を近づけた。
「はは、もうべたべた」
「う、うそっ……」
 露骨な言葉に顔が熱くなるのが止められない。そうして音也はあろうことか私自身をべろりと舐めあげてしまったのだ。
「うあっ…!な、何をやって…っ」
「んー?辛そうだから舐めてあげようかなって」
「あ、あなた課題は…!?」
「質問それ?もっと他にあるんじゃない?」
「え…」
 そうこうしている間にも音也はそれを咥えて、先端の部分をチロチロと刺激し始めてしまった。
「ん、ん……っ」
「あ、ああ…お、音也ぁ……」
「は、はふ…課題どうのよりも、何で俺が今トキヤのこれ咥えてるか考えてみてよ…」
「あうっ…!」
 唾液まみれのそこを指で弾かれ、びくびくっと体をしならせてしまった。ずるずると椅子から落ちそうになってしまうが、椅子の下には音也がそれも許されない。ちゅぱちゅぱと下品な音をたてて、それを啜られていた。
「だ、だめです、もうだめです音也…!」
「だめじゃない」
「でも、出ちゃいます……っ」
「もうちょっと我慢してみて……ん、」
「あ、は、ああ……っ」
 じゅるっと音也が強く吸った瞬間、私は彼の咥内へ射精をして………して……。


「ト、キ、ヤ!」
「はっ!」
 気づいたら冷房が部屋には入っていた。裸の上半身が寒い。でも私のスラックスはキチンと履かれていた。
「……っくしゅん!」
「ああーもう…俺が悪かったからシャツ着て、ね?」
「は、はい?」
「長時間座らせてたからトキヤ疲れちゃったでしょ?ごめんね、もう終わったからシャツ着ていいよ」
「はい……」
 もそもそとシャツを着る。音也が真剣に絵を描いているというのに私は最低な妄想をしてしまっていた。最低だ…。しかも随分具体的な妄想だった。最低すぎる…。
「もう終わったんですか?」
「うん。大体ね」
「着色はしないんですか?」
「絵の具出すの面倒だからいいや。色塗りって決まりはないから」
「はあ」
「それにあれ以上描いてたら我慢できそうになかったから」
 にこっと笑ってバタン!とやたら大きな音をたてて音也はスケッチブックを閉じてしまった。
「はー疲れたあ。今日は二人とも疲れたからピザでもとろうよ〜」
「あんな高カロリーなもの摂取したくないので学食にでもいきますよ」
「え〜…」
「いきますよ」
「はーい…」
 鉛筆を手から離した音也は子供みたいな顔をしている。真剣で大人びていた音也はどこにいったのだろう。それも私の勘違い、いや妄想だったのだろうか。なぜ相手が音也だったのかとか考えたくもない…。せめて七海くんでお願いします。
 気づけば窓から見える空は少し赤くなっていた。数時間はたっていたようだ。

***

「レン!トキヤ!おもしろいものが見れるからちょっとこいよ!」
 昼食時。翔がぴょこぴょこ跳ねながらやってきた。私とレンは一瞬顔を見合わせ、とりあえず翔についていくことにした。
「廊下にAクラスの絵の課題が飾ってあるんだよ!」
「ああ…そういえば聖川がやたら真剣に絵を描いていたね」
「音也もですよ」
「あいつらの見てみようぜ」

 廊下の階段付近にAクラスの課題は貼ってあった。その並びを見て私は驚いてしまう。人間を描いている絵はなかったからだ。
 聖川さんは風景、四ノ宮さんはくまのぬいぐるみ、七海くんはピアノ……と、誰も同室者を描いていない。
「音也の作品は……」
「あれ?あいつの作品なくね?」
「提出期限を守らなかったのかな?遅れてでも出しているといいんだけどね」
「一生懸命描いていたはずです」
 ドクドク、と心臓が不安定になる。なぜか私は彼らに自分がモデルをしたことを言えなかった。
「はは、しかし那月らしいなーこの絵」
「聖川は相変わらず面白みのない絵を描くね。子羊ちゃんは可愛らしいけど」
 レンも翔もなんだかんだテンションをあげて絵を見ている。
「あの、この絵の課題って……」
「ああ。テーマは自分が美しいと思うもの、らしいよ。どれも個性が出ているね」
 うつくしいとおもうもの。
 その言葉にガツン、と頭に衝撃を受けてしまった。
「音也の奴…情緒がなさそうだから美しいと思うものって言ってグラドルとか描いたんじゃねえの」
「それで提出を止められたかもしれないね」
「あははははっ!あいつマジでばかだなー」
「聖川の絵には本当に面白みがないね…」
「まだ言ってんのかお前は」
 レンと翔はまだ楽しそうに談笑をしている。私は今日、帰ったら音也にどんな顔をすればいいのか。そればかりを考えていた。