一週間 | ナノ


一週間


※男子トキヤと女子トキヤ両方でてきます


 HAYATOは自分だったと告白したトキヤはとても小さくか弱く見えた。いつも凛として強く美しいトキヤが今こんなにもしょぼくれて、背中を丸めて、小さく息を吐く。等身大のトキヤを見たのは初めてだった。今までずっと遠い位置にいたトキヤが一気に近づいたように思える。だから俺は小さい子にでも話しかけるように、優しく声をかけ、何の根拠もないのに、大丈夫、大丈夫だよと何度も囁いた。そんな俺の声に安心したのかトキヤは涙で濡れた声でこう言った。顔はあげないまま。
「もう一つ、告白があります」
「うん、なあに」
「私は、あなたが好きです」
 トキヤは顔をあげない。俺はその好きの意味をよく考えないまま、俺も好きだと安易に答えてしまった。するとトキヤはゆったりと顔をあげて、
「嬉しいです。これから、よろしくお願いしますね」
 と、これまたびっくりするぐらい可愛い顔して笑ったのであった。その笑顔があまりにもめずらしくてドキドキした。

 それから、トキヤはやたらと俺と過ごしたがるようになった。始めはまだ情緒が不安定なのかもしれないとか、寂しいのかなとか色々思っていたが、以前のようにきりっとしたトキヤではないトキヤはなんだか可愛かったし、俺も特に不思議に思うこともなく一緒にいた。
ところが、ある晩、トキヤが俺の眠るベッドに潜り込んだのだ。
「えっ…な、なに。どうしたの」
「…っこんな真似、はしたないとは思ったのですが、これしか思い浮かばなくて」
「はしたない?なんのこと…」
 もぞもぞと暗闇の中、トキヤが俺に手を伸ばす。そしてそのまま冷たい頬をなぞり、俺の唇に口づけたのだ。
「んむっ……」
「ん……」
「はあっ、やめろよ!」
 突然意味がわからない。混乱した俺はトキヤを突き飛ばしてしまった。細い体はすぐさま離れる。トキヤはきょとんとした顔を一瞬した後、すぐさま顔色を悪くした。
「やっぱり、突然すぎましたか?」
「いや、やっぱりって…いきなり何するんだよ!」
「……わ、私だけがあなたにキスをしたいと思ってたんですね…!?」
「はあ?」
 今度はトキヤは顔をぼぼっと赤らめた。あわあわとする姿はまるで女の子のようだ。
「いや、何でキスしたいとか思うの?男に…可愛い女の子ならわかるけどさあ…」
「恋人にキスしたいと思うのは当然でしょう!」
「え、恋人?誰が?」
 今度は俺がきょとんとした顔をする番だ。トキヤはおもむろに傷ついた顔をした。その顔は暗闇でもおぼろげに美しく浮かび上がる。
「…私のこと好きですか?」
「うん。好きだよ」
「友人として?」
「……うん」
 どことなく神妙な雰囲気だ。空気が重い。もしかして、俺は重要なカードをミスしてしまったのか。
「恋人としてではなく?」
 トキヤは無表情に言葉を紡ぐ。俺は息を飲むように答えた。
「だって、トキヤは男じゃん」
「……っ」
 トキヤはもう泣きそうだった。男なのに。
 でもトキヤは男なのに、泣くのがとても似合う。きれいな涙を流すのだ。
「女の子だったら、好きになってたかも……」
 ぽつり、と自然に言葉が零れた。彼の流れる涙を指でそっとすくってやる。強気な瞳がきっと俺を睨んだ。かわいい。
「うん。女の子だったら、もっと好きになってたかもしれないなあ……でも、俺もトキヤも男だし」
「…そう、ですね」
「そういうのって仕方ないよ。…てか、ごめん。俺かなり無神経だよね」
 口ではそう言ったけれども、正直俺には理解できない世界だ。トキヤは本気で言っているのかもすらわからない。けれどトキヤが唇を押し付けて、気分は悪くはなかった。
 でも男同士だし。
「…音也、あなたに言うことがあります」
「え?あ、うん…」
「明日から仕事がありますのでしばらくこの部屋を空けます」
「まだHAYATOとしての仕事をするの!?」
「ええ。最後の……」
 そう言ってにこりと笑うトキヤは儚い。またトキヤが遠くなった。
 彼はもう寝ますと言って、いつものベッドへ入った。
 俺はただトキヤと仲良くしたいだけなのにどうしてこううまくいかないんだろう。彼が胸のうちを告白してくれて近づいたと思ったのにな。どうしてなんだろう。



 トキヤがいなくなってからの数日の一人部屋はとても気が楽だった。時たまマサたちを呼んでAクラスで勉強会をしたり、翔とゲームしたり。寂しさを感じることはなかった。
 俺は頻繁にSクラスにも遊び行くようになった。トキヤがいないからだろうか。もっと気軽に行けるようになった。
 そして彼女を見たのだ。
 
 かわいい子が揃っているSクラスでも彼女はぱっと目立っていた。すらりとした身長に、女の子にはめずらしい黒髪ショート。涼やかな顔立ちに色の白さ。すっごくきれいな子だ。
「え、翔!あれ誰!?」
「あん?どれだよ」
「あの子だよ!すっげーきれいじゃん!黒髪の…」
「ああ…もしかしてイチノセトキヤ?」
 ふう、と翔は呆れたようにため息をついた。俺はその名前にどきりとする。
「一ノ瀬トキヤ!?同名じゃん!」
「同名って…誰とだよ」
「男のトキヤ!」
「いやあいつ背高いしショートだけど女だよ」
 翔はわけがわからないといったような顔をしている。俺だってわけがわからない。
「しょ、翔は男のトキヤを忘れちゃったの…?」
「男のって…だからあいつは女だってば」
「俺と…っ同室の一ノ瀬トキヤだよ!」
「お前の部屋一人部屋じゃん。昨日もゲームしただろー?もう忘れたのか?」
 翔は俺の態度にひきつつある。トキヤはみんなに忘れられちゃったのかな。俺だけがトキヤのことを覚えているのかな。
「…っそんなのって……」
 あんなに一生懸命だった人を忘れるなんて。
「翔のばか!」
「はあ!?お前どうしたんだよいきなり!」
「うるさいですよ」
 俺と翔のきゃいきゃいした声をすっと凛とした声が通った。透き通るような女の声だ。その声の主はイチノセトキヤだった。
「そんなに騒がれては迷惑です。集中できません」
「え……」
「ほら音也。こいつ見た目はキレーだけど性格はきついんだよ。お前には無理無理。狙うの諦めな」
「しょ、翔!?」
「狙う?何をです?」
 その表情も仕草も、声色もすべて、前のトキヤと同じだった。ツンとして、気高くて、強いトキヤの姿だ。なんだか懐かしい気がする。
「音也がクラスに入った途端、お前のことばっかり聞いてきてさあ」
 そんなに聞いてないだろ!
 俺はそう叫びたかったが、どうにも彼女の前では緊張してしまう。気付けばどんどん頬が熱くなっていきそうだった。
「うわっ、お前なにその顔。そんな顔初めて見た。顔すげえ赤いんだけど」
「え、えっ。そう、かな…あは、あはは…」
「……」
 トキヤがじっと俺の顔見る。長い睫毛がばちばちとしていた。確かにトキヤなんだけれど、すべての線が細くなってしまった気がする。
「音也…ってもしかして、昨日四時半からのレッスン室を使用していた方ですか?」
「え?あー確かに俺、昨日つかった」
「三十分もオーバーして使っていた方ですよね」
「うわ、お前最悪すぎるだろ。時間守れよ」
「あ〜…あのときつい夢中になっちゃって…」
「次の時間を予約していたのは私だったんですよ。おかげで台無しです」
「えっ!言ってくれればよかったのに!」
 そう言うと、トキヤはぐっと息をつめたような表情になった。まるでトキヤみたい。
「……練習のときにレッスン室入るのも、良くないでしょう。それにあの日は三十分しか入れなかったのでキャンセルをしたんですよ」
「えー…悪いことしたなあ……ごめんね……」
 しゅんとして呟くと、トキヤはマネキンのような顔を崩すことはしなかった。
「あっ!そうだ!俺これからレッスン室予約しているんだ!一緒につかわない?」
「は?」
「そうだよ。それに君すげー声きれいだから一緒に歌ったら楽しそう!」
「……」
 呆気にとられたような顔をするトキヤにニコッと笑いかけてやる。なんでかな。久しぶりにトキヤに会えたからテンションあがってるのかも。女の子なんだけれど。
 でもトキヤはトキヤだ。
「……女性に対しては、君、ですか」
「え?」
「…いいえ。いいですよ。一緒にレッスン室つかいましょうか。あなたの歌も聞いてみたいですしね」
「やったあ!」
「え、マジ?トキヤいいの?」
「ええ、翔。おもしろいじゃないですか」
 ニコリと音もなく笑う顔は本当にトキヤだ。女の子の顔なのに表情そのものはすべてトキヤ。俺は不思議な感覚に包まれていた。しかしテンションはあがる一方だ。やっぱりずっとトキヤに会いたかったのかもしれない。



 案の定トキヤの声はとてもきれいだった。凛としていて、なのに柔らかで丸みのある歌い方をする。それにビブラートのかけ方がすごくきれい。何よりもきれいなのは、マイクの前で歌う彼女の表情だった。
 ギターを弾きながら、つい一緒に歌ってしまうとトキヤは驚いた顔をしてこちらを見た。思わずにこっと笑いかけるとトキヤもつられたように穏やかに笑っていた。
 久しぶりのトキヤとの歌は、泣きそうなくらい気持ちがよかった。男でも女でもトキヤはトキヤでその城を崩さない。憧れていたトキヤの姿だ。

 それから俺とトキヤは一緒にレッスン室をつかうようになった。トキヤはメールで日程を決めようと言うけれども、俺は電話のほうが楽だし、早いからつい電話してしまう。そのたび受話器越しにため息が聞こえるのが楽しかった。
 同室の頃はこういうことを一切しなかった。当たり前だよね。同じ部屋にいるんだから、電話なんていらない。
 だけど顔の見えない状況で、連絡をとりあうのもわくわくするなあって思った。

「…それとですね音也。課題の件なんですけれど、あれはもっと作曲者の意図を組んで、まずは文献から調べて、あの曲がどういう背景でつくられたかを調べるべきなんです」
 電話越しに聞こえるトキヤの声は少し掠れていて、静かでセクシーだ。
「んー?はいはい。図書室ね。……ああーっ!死んだ!うわーセーブしてないよぉ……」
「音也!聞いてるんですか!大体人と電話するときにゲームをするのはやめなさい!」
「もお、話聞いてるってばあ。あ、一緒に図書室行く?」
「そこまで面倒みれません!」
「違うよー。トキヤと図書室一緒にいったら集中できるかなって。ていうか一緒にいたいだけなんだけど」
「……切りますね」
「わー!待って!話聞く!聞くから!今ゲーム電源切ったから!」
「まったく……」
 そう呆れるように呟いてても、受話器の奥ではどんな表情をしているのだろう。少しは顔を赤らめてくれているのだろうか。ぷんぷん怒るトキヤの声も、ため息もかわいい。トキヤってかわいい。好きだなあ…。
「……好きだなあ」
 そう思っていたら思わず声に出していたようだ。はっとして携帯電話を持つ手が震える。聞こえていたかな。
「あっ、いや俺何言ってるんだ…っ」
「ん?今何か言いました?ぼそっと聞こえましたが…」
「んーん!なんでもない!じゃあまた明日ね」
「ええ。また明日」
 そう言って赤いボタンを押す。あの告白が聞こえていなくて安心したような。ちょっぴり残念なような。
 あーでもどうしよう、俺トキヤのこと好きかも。最初は一目ぼれみたいなもんだったけどトキヤのこと好きかも。今は全部可愛いと思える。中身もすべて。
「あいつにもちゃんと言ってやればよかったな…」
 女のトキヤにはこんなにも素直に感情を注げるのに、どうして俺は男のトキヤには注げなかったのだろう。どうして愛情を注ぐのを惜しんだのだろう。



「ねえ、トキヤ。おなかすいた」
「……何も持っていませんよ」
「そうじゃないって。歌ったあとってお腹すくじゃん。何か食べにいかない?」
「何かって…」
「ポテトとかさあ…」
「そんな高カロリーなもの嫌です」
 ツンとすまして言ってみせる。なんだかそういう表情を見ると俺はにやけてしまう。
「トキヤって何が好きなの?」
「……ブラックコーヒー」
 そこはやっぱり男のトキヤと一緒なんだ。
「じゃあ喫茶店でも行く?」
 そういうとトキヤがぴくりとして俺の方へ振り返った。
「…行ってみたいところがあるんですが」
「行ってみたいところ?」
「ええ…あの、最近駅前に新しいカフェができて、気になっていて……」
「へえ、いいじゃん!いこうよ」
「でもあなたコーヒー苦手じゃ…」
「カフェオレとかなら大丈夫だって!砂糖もいれるし」
「なんだか、すみません……」
 そう言ってトキヤはしゅんと睫毛をおろした。しかしその白い頬は林檎色にじわじわと染まっている。反応がまるでオンナノコ。胸がきゅっとなって、触れたいと思うと同時に、男のトキヤだったらと、彼が霞める。
「ありがとうございます」
 でも花のように笑うトキヤはかわいい!それだけですべてがどうでもよくなる。
「えへへ。放課後デートだね。いこっか!」
「デートじゃありません!」
「はいはい。カバン持とうか?」
「いりません」
「頼ってもいいよ?」
「ギター持ち歩いてるあなたのほうが重そうなので結構です」
 レッスン室の扉を開いて先に彼女を通してやる。そのとき、彼女を見下ろしていることに気付いた。トキヤは俺より背が高かったけれども、トキヤは俺より背が低いのだ。
「どうしたんですか?いきますよ」
 見上げるその美しい瞳も、睫毛も、女の子のトキヤでしか味わえない。トキヤは女の子なんだ。
「ううん?いこうか」
 華奢な肩を抱こうとして、その手をとめた。

 喫茶店は静かなクラシックが流れていて、全体的にとても落ち着いた店内だった。男同士だとこんなところはいかない。むしろ自分に離れた世界だ。けれどトキヤには似合っている。男のトキヤはこんな店で一人で静かに読書しながらコーヒーを飲むのも似合いそうだなあと思った。

 彼女はメニューを見るや否や目を輝かせ、コーヒーを注文していた。
 カップに添える白い指先は女のものだ。胸も小さいけどある。顔も小さい。睫毛もばしばし。人形みたい。コーヒーを飲む姿も決まっていて、飲み込んだ瞬間、のどが上下したのを見た。喉仏はない。
「あんまり見られると飲みにくいんですけど」
「え、そんなに見ていたかな」
「見ていましたよ」
「でもトキヤ見てると飽きないんだよね。だからずっと見ちゃう」
 そう何気なく呟いたつもりだったがトキヤがカア、と顔を赤くさせてしまった。
「恥ずかしいこと言わないでください…」
「はは。トキヤそういうとこ可愛いね」
「……意味がわかりません」
「なんかさデートみたいじゃない?」
「……」
「コーヒーおいしい?」
「…ええ」
「何だよー。コーヒーの味には返事してデートには返事しないんだな」
「……」
「トキヤ。俺トキヤのこと好きなんだ」
「……」
「友達としてじゃなくて、女の子として、なんだけど」
「……」
「俺と付き合わない?」
 トキヤはカップに口づけ、目を伏せたままだ。コクコクとそれを飲みこんでいる。時間がとまってしまったかのように動かない。人形みたいな顔していた。しばらくそれをぼうっと見ていると、ぎゅるんと突如瞳がこちらに視線をあげた。その動きが突然で俺はドキリとした。トキヤってこんなに青い瞳していたっけ。
「あなたは私のことが好きなんですか」
「う、うん」
 カチャンとカップを置いた。中身は空だった。もう飲んだのか。
「私と付き合いたいと思っているんですか」
「トキヤがいいなら、だけど」
「私とキスしたいと思いますか?」
 その瞬間胸がぎゅむっとした。途端に鼓動が走りだし、俺の目はトキヤの唇に釘づけになる。コーヒーを飲みほしたばかりの唇はてかてかと濡れている。思わず生唾を飲み込んだ。
「許されるなら」
 トキヤの白い手を握った。冷たく、華奢だった。すると、
「……くくっ……あっはっはっはっ!」
 トキヤが途端に笑い出した。トキヤには似合わない不敵な笑い方だった。むしろあっちの、男のトキヤに似合うような笑い方。
「本当にあなたは勝手だ……」
 心なしかトキヤの瞳には涙が浮かんでいた。それが零れそうに思えて、指先を伸ばしてしまう。けれど涙は結局零れなかった。俺の伸ばした指先は意味がなかった。
「え……それでトキヤ、あの返事は……」
「いいですよ。付き合いましょう」
「い、いいの!?」
「ええ。元々私はあなたが好きだったんです」
「え、うそ、え、ええー!」
 まさかの両想い。俺はもう叫びだしたい気持ちになった。もっと可愛い反応してもらえると思ったら意外にクールな反応だったけどねトキヤは。
 店を出るなり、俺はトキヤの手を握って歩いた。街中で彼女を手を繋ぐのが夢だったんだ。この子は俺のものだよってみんなに言っているようで気分がいい。だってこんなにきれいな彼女なんだ。
「音也。明日は土曜日ですね」
「ん?そういえばそうだね」
「明日は私の部屋で一緒に練習しましょうか」
「トキヤの部屋……?」
 その単語にもういやらしいことしか浮かばない。トキヤ早すぎる。大胆すぎるよ。あ、でも元々好きだって言ってくれたし割と準備オーケーなのかな。
「だらしない顔していますね」
「いやそんなこと言われたら普通に期待するよ」
「……っ」
 彼女の顎をくっと持ち上げて、囁いてあげると赤くなると思ったが、複雑そうな顔をした。そのまま口づけようと思ったが、トキヤの顔を見るとできなかった。
「……ごめん」
「キスされるのかと思いました……んっ!」
 エスカレーターの横の柱の影で、結局俺はトキヤにキスをしてしまった。彼女の折れてしまいそうな細い腰を引き寄せ、やや乱暴に。
「…嬉しいよ。これからよろしくね。トキヤ」
 本当にトキヤは泣いてしまうんじゃないかと思うぐらい顔をくしゃりとしていた。トキヤは繊細で、ちょっとわからない。



 翌日、俺はトキヤの部屋に呼ばれた。彼女の部屋は真っ白で無機質で、無駄なものは何もなかった。
 本当に何もない。白いバラの造花だけが彼女の部屋の唯一の飾りだった。
「音也」
 トキヤが俺の腕を引き寄せ、白いベッドに座らせる。その隣に彼女も座る。私服は白いシャツに黒い細身のパンツで、スカートじゃなくがっかりした。でも十分似合っている。
「え、トキ、」
 しかしそんなことを思っていたのも束の間、彼女は白いシャツをプチンプチンと外し始めた。グレーのキャミソールが現れる。ささやかな胸も現れた。
「うわー!何脱いでるの!」
「何って」
「だっだめだよ!着て!俺たちまだそんな付き合ったばかりで確かに昨日勢いでキスしちゃったけれど俺まだそんな経験もないし」
 本当は私服かわいいねとかいっぱい褒めようと思っていたのに!何段階も段階飛ばしている!
 俺があたふたするのとは裏腹に彼女は妖艶に笑ってみせる。その笑い方は男のトキヤにはなかった。
「本当はこれがほしかったくせに」
 トキヤが俺の手を導き、ふんわりと胸に導いた。一気に冷や汗を流してしまいそうだ。
「え、トキヤ」
「あなたがほしかったものはどれですか?彼女という体裁?いじらしさ?乳房?女性器?」
 トキヤの言葉の羅列に俺はあいた口が塞がらない。それでも自嘲気味に彼女は話した。
「こちらもほしいですか?」
 今度は黒いパンツまで脱ぎだした。下着は、男物の、グレーのボクサーの、トキヤの、男のトキヤの履いていた下着で、
「穴があればいいんですかね。男にもありますけど」
 なんてことのないようにクスクスと笑う。何も言えない。もしかしてという妄想だけが脳天を突き抜けているだけだ。
「……っ」
「一週間楽しかったですか?」
「……」
「ふふ。意味わからないですよね。でも私はもうすぐ…」
「トキヤ」
 ぐっとトキヤをベッドに押し倒した。彼女は目をあわせない。俺はもう一度名前を呼んだ。
「トキヤ……っ」
「何ですか」
「トキヤ…お前トキヤなんだろ」
 お前と呼んだ瞬間、トキヤの切れ長の瞳がぐらついた。その仕草が徐々に確信に繋がる。
「違う…、そうじゃなくって…お前は俺の知ってるトキヤだったんだ」
「…あなた、もしかして私のことを覚えて」
「覚えているよ。ずっと忘れてなかった」
 トキヤの白い額に口づけ、さらりとした前髪をかき分ける。額は男も女もそう変わらないみたいだ。
「やっぱトキヤなんだ。はは…よかった。俺だけがお前のこと覚えているのかって、ずっと思ってたんだ。翔もレンも、みんな女のお前しか見てなくって…前のトキヤのこと忘れちゃってたのかと思ってたから……」
 ちゅっと頬に口づけ、首筋にも口づける。白い肌は抵抗しない。弾力も何もない。
「一週間だけ、女になれるように早乙女さんに頼んだんです。一週間だけ女になれる代わりにその期間だけは、男だった一ノ瀬トキヤは記憶から人々から抹消されると聞きました。もちろん、期間が終わればすべて元通りですがね」
「でも俺は覚えていたよ!」
「ええ、驚きです。漏れもあるんですね」
「漏れって!俺がトキヤのことを……っ」
「私のことを?」
「好き、だから……」
「女の私をでしょう?」
 いつになく冷たい視線で彼女は俺の睨んだ。彼女と言うべきか彼と言うべきかわからないが。
「違う、トキヤが好きだから俺は、お前のことを忘れなかったんだよ!きっとそうなんだよ…っ」
「はは…本当にあなたは…どっちの私が好きか言わないんですね。心は女の私が好きなくせに」
「それじゃだめなの?トキヤが好きなことには変わりないじゃん!」
「ええ。なぜなら私は明日で男に戻りますからね。女の私は消えます」
「……っ」
 俺は息を飲んだ。女のトキヤが消える。そう思うと、とてつもなく胸が苦しくなったのだ。あの可愛いトキヤが。
「あなたは本当に正直者だ…呆れる」
「トキヤ」
「はい」
「どっちも好きじゃ、だめなの?」
 俺が情けない涙声を出しても、トキヤは笑わなかった。いつもみたいな嫌味な笑い方も嘲笑すらしなかった。無表情だった。
「私はひとりしかいません」
 その声はとてもきれいだったけれど、とても冷たかった。
 俺は、トキヤとの関係に未来が見えなかった。もうだめだ。だめなんだ。束の間の、真夏の夜の夢だ。


 月曜日になって、朝起きると男のトキヤが普通に朝食をつくってくれていた。男のトキヤはいつも通り俺に挨拶をして、好き嫌いしちゃダメですよと言って食事をだしてくれる。いつもの正しいトキヤだ。
 Sクラスにいっても女の子のトキヤはいない。男のトキヤは翔やレンと楽しそうに談笑している。一応翔に一ノ瀬トキヤって女の子がいるか聞いてみたが、男しかいねえよ!と言われてしまった。
 あの一週間は何だったんだろう。あの時間はどこへいってしまったのだろう。俺だけがあの子を覚えている。トキヤは覚えているのだろうか?