★山崎編
【最初に再会したのが山崎だった場合】
※この話は無配おまけ本「Nihondate!」に載せたものです。
……大変なことが起きてしまった。
どれくらい大変かと言えば「命に係わるほどの大変さ」と言えば伝わるだろうか。
いや、いくらなんでもそれは大袈裟かもしれない。
この現代社会においてそのような危機がおいそれとあってたまるものか。
例えるなら精神的に追い詰められボロボロの廃人と化す可能性がある程度の危機だ。
この場合は「可能性がある」だけであり、現実となるかは不明だ。
ならないように防ぐ手立てがまだ十分に残されている……と、思いたい。
そんな身の危険を感じつつも、山崎はその場から一寸たりとも動けずに硬直する。
思い浮かぶのはあの厄介な男――沖田総司のことだった。
彼は何と言えばいいのか、ほとんどのものに興味関心などを抱かず、興味のない対象をさらに……例えば、面白い・面白くないの二択で判断する。
この場合、「面白くない」に分類される方が正解だ。
万が一にでも「面白い」部類にカテゴライズされてしまえば、「強いからぶちのめしたい」とか「からかい甲斐があるから暇つぶしに使いたい」とか、いじられて面倒を被り、彼の気まぐれによってあっさりと切り捨てられる。
こんな扱いを受けるなら最初から無関心のまま居ないものとして扱われた方がいいに決まっている。
その一方で、総司はこれと決めたものに関しての執着欲がとてつもなく強い。
前世で言うならば局長の近藤。
総司の彼に対する敬愛の意は、ある意味では真っ直ぐだったが、山崎からしてみれば修正が効かぬほど歪んで見えた。
本人もその自覚があったのだろう、近藤にはその歪んだ部分を上手く隠し、感情的にならない限りは表に出さなかった。
そしてもう一人、総司から強い執着を向けられていた人物が――雪村千鶴。
彼女に対する執着は近藤へ向けるものとは形や色が異なり、山崎から見ても酷く真っ直ぐのように思えた。
時には想いを歪めてでも重い決断をせねばならなかったあの時代には、その真っ直ぐさが逆に危ういものにも見えたが、それほどまでに大切な女性ができたことは実に喜ばしいことだ。
男にとって守るべきものがあるということが何よりの力になる。
近藤に対してやたらと子供染みていた総司が、これを機に大きく成長してくれるのならば大量のお釣りが来るようなものだ。
………………成長すれば、の話だ。
ヤツは成長どころか退化した。
彼女が係わったことに関してはさらに子供染みたことばかり言うようになり、やたらと自慢や当て付け話が増えた。
かつて江戸の隠れ家で療養をしていた頃を思い出すだけで、山崎はわなわなと身震いする。
長い間ほぼ寝たきりで過ごしていた総司はとにかく暇だったのだろう。
口を開けば「千鶴ちゃんは?」「なんで山崎君しかいないの」「千鶴ちゃん呼んできて」等とのたまい、不機嫌になる。
彼女が所用で出掛けているものなら「誰が付き添ってるの?」「なんで千鶴ちゃんが行かなきゃいけないわけ」「いつ頃帰ってくるかな」と四六時中ソワソワし続け、彼女が睡眠中ならば「……じゃあ仕方ないか」と折れてくれるものの、始まるのは先ほど言った通り、自慢話だ。
総司がよく話題にしていたのは、順番だ。
例えば――京の街で最初に彼女へ声をかけたのは自分だと常々言い張っていた。
誰も競り合ってなどいないというのに。
初めて彼女を巡察に連れて行ったのも自分だと常々言い張っている。
副長に言われたから仕方なく……の癖に。
千鶴と何をしたのが隊士の中で一番初めだとか、彼女にとっての初めてが自分だとか、そういう順番をとにかく気にしては自慢していた。
……まあ出会った当初はあれだけ嫌がらせをしていたのだ、彼にとって初めてはその程度しかないため、話題は常にループしていた。
以上のことからわかるだろうが、要は「千鶴ちゃんの初めては全部僕が」という考えなのだ。
実に幼い独占欲だが、どんなに内面が幼かろうと剣術における素質は天の才。
下手に逆らってはならない存在だ。
つまり今後総司の先を越すようなことをしてしまえば…………余計な勘繰りを働かせ、嫉妬にまみれてネチネチと口撃してくる最悪の展開がやってくるに違いない。
そんな未来は絶対に避けたかった。
そう、山崎は平和に過ごしたいのだ。
ヤツに振り回されて精神をすり減らす日々など、もう二度と御免だった。
だが先述の通り、山崎にとって大変な事態が今まさに起きてしまったのだ。
――山崎は差し伸べた手を引っ込めるタイミングを失ったまま、硬直する。
何が起きたかといえば、駅のホームで擦れ違いざまに肩がぶつかった相手がバランスを崩してぺたりと膝をついてしまった、ただそれだけだ。
さほど強く当たったつもりはなかったのだが、相手は女性。
詫びの言葉と共に倒れた彼女へと手を差し出した直後。
「すみませんでした、前を向いていなくて……」
恥ずかしげに、そして遠慮がちに顔を上げ、山崎の手にそっと触れた女性が――雪村千鶴、その人だと気づいた。
途端、頭のどこかからガンガンと警鐘が鳴り響く。
これこそ忌忌しき事態だ。まさかこんなことが起ころうとは。
(沖田さんよりも先に雪村君と再会してしまった……!)
すぐにこの手を振り払い、この場から逃げ去らなくてはならないと直感した。
だが呆気に取られた人間というのは思った通りに身体が動かないのだ。
いや、それ以前に硬直したままピクリとも動かせない……そんな状況が山崎に襲い掛かっている。
今生に生まれ変わり、総司たちに再会したのは数年前。
総司は前世のように――やはり順番を気にしていた。
かつても一番に彼女と出会えたのだから、現世でも一番に再会できて当然だと信じきり、よくウキウキと気分を弾ませていた。
自らハードルを上げているようにしか見えなかったが、言外に「僕より先に千鶴に会ったらどうなるかわかってる?」という脅しも含まれていただろう。
それを山崎はずっと適当に聞き流していた。
まさか自分が千鶴と一番に再会するとは思ってもみなかったからだ。
これはマズイ。かなりマズイ。
再会してしまったことも大いにマズイが、問題はこの手だ。
山崎の出した手に千鶴の手が重なっている。
なんの下心も無い、己が転ばせてしまった相手に手を伸ばしただけだが、結果だけ見れば「千鶴に触れた」という現実しかない。
これを総司に知られでもしたら……何が起きるかはわからないが、無事に済むことだけはなさそうだ。
「……? あの、どうかしましたか?」
立ち上がった千鶴が首を傾げて山崎を見た。
きょとんと不思議そうな表情を浮かべて黒目をぱちくりと瞬かせている。
その様子から山崎は彼女が前世の記憶を持っていないことを悟り、しめた! と心の中でガッツポーズを作った。
覚えていないのなら好都合。
かつて監察方として目立たないように潜み、振る舞い、隠密行動をしていた身。
人の印象に残らないすべは身体に染み付いている。
山崎は無言のまま小さく頷くように頭を下げると、自然の流れに沿って手を引き、そしてそのまま――逃げた。
「いや、逃げちまってどうすんだ」
一人で抱えるのは辛いこの事情を、山崎は土方へと報告した。
彼ならばいい方向へと導いてくれると信じるしかほかない。
「確かに何の解決にもならないですが……」
語尾をぼかして土方の出方を待つ。
最良の方法といえば先に再会したとばらさずに千鶴を総司と引き合わせればいいだけの話だ。
彼女に前世の記憶がないのなら好都合。
どうにか総司を誘導して、偶然を装えばいい。
「で、千鶴の手がかりはあるのか?」
「島女の制服を着ていました。そこの生徒のようです」
「そうか。だったら……」
土方の提案に山崎は息を飲む。
そこに己の今後の人生全てがかかっていると言っても過言ではない状況なのだ。
島原女子高は薄桜学園からは数駅離れた場所にあり、駅から徒歩圏内の良い立地に門を構えている。
対する薄桜学園は駅からバスで三十分ほどを要する、緑豊かで坂道だらけの場所にある。
周辺は遊びたい盛りの高校生が好むような店などは一切ないが、誘惑が少ない分、部活に勤しむ生徒たちが多い。
まあ、何が言いたいかというと、いくら駅数個分しか離れていない学校とはいえ、駅からの所要時間には大分違いがある。
山崎が今朝千鶴に会えたのだって偶然に他ならない。
……きっと彼女に何か用があり、いつもよりもかなり早い時間に登校したのだろう。
島女の始業時間から逆算すれば千鶴が普段どの時間帯の電車に乗っているかはすぐに割り出せるはずだ。
しかし割り出せたとしても、その時間帯に千鶴を待ち伏せるということは、すなわち薄桜学園の始業時間に大遅刻することとなる。
いくら己の平穏な未来のため、そして総司のためとはいえ――遅刻を容認するような方法を土方が示唆するとは思えない。
つまり、狙い目は放課後だ。
だが放課後となると総司は毎日部活動に励んでいる。
剣道部で結果を残せば学園の栄誉となり、学園長である近藤が喜ぶ。
総司はその単純な図式に見事にはまり、個人戦はもとより団体戦でも結果を残すべく他の部員の稽古にも付き合う――等、あまりにも健気に日々部活に熱中しているのだ。
そんな彼を放課後どう連れ出せばいいのか……。
いや、そもそも山崎がどうこうと総司を誘導しようとしても上手くいくとは思えない。
怪しまれて、勘繰られて、最終的には先に再会してしまったことがバレるに決まっている。
「こーいうのは平助が適任だろうな」
土方が顎に手を置き、思案の結果を口に出し、その言葉に山崎はコクリと頷こうとした。
平助ならば気安く総司をどこかに連れ出せる。
彼の性格からして突然「島女に行ってみようぜ!」と言ってみたとしても総司にはただの思いつきだと判断されて深く追求されないはずだ。
だがその反面、平助はあまりに素直すぎる。
千鶴と総司を再会させようと画策していることを打ち明けて協力してもらうとしたら、うっかり口を滑らせて裏工作が総司にばれてしまうやもしれない。
口を滑らさないにしても総司を差し置いて千鶴に駆け寄り、独占し、総司の感情を逆撫でしそうだ。
「…………と、藤堂さんは少々難があるのでは」
少々遠慮がちに目を伏せる。
かつての上司である平助をこのように評価するのは心苦しいことではあったが、山崎はグッと堪えながらも土方に別の案を出してもらおうとした。
土方も土方で山崎と同様の想像をしたらしく、眉間に皺を刻みながら溜息を吐いた。
「だったら斎藤か。あいつは口が堅いし着実に遂行してくれるだろ」
その言葉に今度こそ山崎は頷きかけた。
彼の土方に対する尊敬の念は今も昔も変わらない。
土方の命一つで何歩も先を読み、行動する男だ。
何か良い理由を考えて総司を島女界隈まで連れて行ってくれるだろうし、再会後は空気を読んでサッと身を引くだろう。
まあ、斎藤が相手ならば総司は時機に仕向けられた再会だと気づいてしまうだろうが、千鶴と再会できた喜びで深くは追求してこないはずだ。
……いや、しかし!
総司は斎藤を警戒していた。
かつて千鶴と出会ったとき、総司と共に斎藤もいた。
二人が彼女を発見したのはほぼ同時で、羅刹を斬って千鶴のピンチを救ったのが斎藤。
あの頃はそれをミジンコほども気に留めていなかった総司だが、江戸で療養していた頃はなんというか……
「あいつらをどうにかするのが任務だったんだし、斎藤君は千鶴ちゃんを助けたわけじゃないよね。結果的にそうなっただけだよ。千鶴ちゃんを守るのは僕の役目なのに」と思い出しムカツキの如く、度々苛立たしげに愚痴っていた。
ただの逆恨みだ。
このようなくだらない、しかし総司にとっては譲りがたき因縁のある斎藤を再会の場に立ち合わせても大丈夫なのだろうか。
山崎の脳裏には不安だけが広がる。
いっそのこと土方に全てを任せてしまいたいが、千鶴と再会してしまったのは己だという以上は責任放棄などできない。
ズキズキとするこめかみあたりを手で押さえ、重々しく眉間に皺を寄せた時――校内放送の音が響いた。
ピンポンパンポーン
『保健委員の山崎君。至急保健室まで来てください。繰り返します……――』
「ん? 山南さんか。呼ばれてんぞ」
本日山南は出張で不在だった。
そのため山崎の放課後の委員会活動はなかったのだが……どうやら出張先から直帰せずに一旦学園へ戻ってきたようだ。
もう帰宅しているかもしれない山崎をわざわざ呼び出すようなことでもあったのだろうか。
今日は千鶴の件を保留とし、後日また打ち合わせることと決めた。
山崎は土方へと丁寧に頭を下げると、今いた教材準備室を後にし、……――本日二度目の絶望を味わうことになる。
薄桜学園の保健室には男子生徒が絶えない。
その理由は盛んな部活動にあり、怪我の手当てはもちろん、体調管理のサポート場所にもなっている。
放課後ともなれば各部活の選手たちが次々と訪れる。
しかし今日は山南が出張で、先程まで保健室の扉には「不在です」のカードが掲げられていたせいか男子生徒の姿はなかった。
それだけで保健室がいつもとは別空間のように感じられたのだが、別空間だと思えた最大の理由は他にある。
「山崎君、お客さんですよ」
「覚えてますでしょうか? 朝はお世話になりました」
にこやかの微笑んだのは白衣を着てデスクの前に佇む山南。
山崎の入室と共にビシッと立ち上がってお辞儀をしたのは男子校には似つかわしくない女子生徒――…………なぜここに雪村君がいるんだ……!
「さっ、山南先生……これは一体……?」
山崎が目口をぱくぱくさせながら千鶴を指差すと、山南はさらに笑みを深めて説明する。
――出張帰りに駅前を通ったら、バス乗り場の時刻表を眺めている千鶴を発見した。
これは懐かしいと思い声をかけたらご覧の通り千鶴には昔の記憶がなかったのだが、彼女が見ていたバス時刻表が薄桜学園行きのものだったことに引っかかりを覚えた。
薄桜学園の教師だということを明かした上で事情を訊ねてみると……――
「君に会いに来たそうですよ、彼女は」
山南がおかしそうに口元を弛める。
そりゃあ笑いたくもなるだろう、山南も普段から総司の「最初に出会うのは僕」という主張を聞き続けていたうちの一人だ。
そんな相手が、総司ではなく山崎を訪ねに現れたのだから。
その途端、山崎の中に溢れたのは言い知れぬ不安感だ。
なぜぶつかってしまっただけの自分を、わざわざ千鶴が訪ねてくるのか……。
再会してしまったことはもちろん、この事実を総司に知られてしまえばどうなるのか……。
まず自分がすべきことを考える。
先程校内放送によって保健室が開放されていることに気づいた生徒たちもいるだろう。
生徒たちがここへ来てしまえば当然部外者にして女子生徒の彼女は注目を集め、瞬く間にその情報は学園に広まるに違いない。
それはマズイ、本当にマズイ。
すぐにでも千鶴をどこか別の場所に移動させなくてはならない。
いや、それよりも気になるのは理由だ。
千鶴がここまで何故来たのか。
事と場合によってはまだ総司に言い訳がたつかもしれない。
別に彼に対して何のやましいこともしていないが、己が潔白であることを主張するしか助かるすべはない。
「ど、どうして俺に……?」
山崎は恐る恐る千鶴へと推し量るような視線を向ける。
すると千鶴はカバンからゴソゴソと何かを取り出し、山崎に向けてスッと差し出した。
「実はあのときこれを拾ったんです、山崎さん」
それは薄桜学園の生徒手帳で、表面にはしっかりと山崎の名前と顔写真付きの生徒証が入っていた。
千鶴はこれを本人に返すべくわざわざ薄桜学園の最寄り駅までやってきて、バス乗り場で時刻表と睨めっこしていたのだ。
そこで山南に声をかけられ、教師だというので生徒手帳を見せて事情を話すと……「だったら送りましょう」と山南が申し出、彼の車でここまでやってきたのだった。
山崎はその説明を聞きながら生徒手帳を受け取ると、胸ポケットに仕舞う。
そして――
(馬鹿だ! 俺はなんて失態を……名前まで覚えられてしまっているじゃないか!)
一人心の内で嘆いた。
そんな山崎の内心を知ることもなく、千鶴は薄っすらと微笑んだ。
「いきなりすみませんでした。今朝会ったときに何故か懐かしい感じがして、気になっていて……」
だから勇気を出してここまで来たんです、と照れ恥ずかしそうにする。
総司に聞かれたら誤解を与えかねない発言だが、前世の知り合いと会ったときは山崎も懐古感を覚える。
だから千鶴の気持ちが少なからずわかった。
それは自分がかつての記憶を持っているせいだとも思っていたが、彼女の発言からすると記憶ではなく、魂に刻み込まれているのかもしれない。
千鶴が声をかけてきた初対面の男性の車に乗り込む等という無防備な行動を取ったのも、山南からも懐かしさを感じ取り、すんなりと信頼してしまったのだろう。
目に見えない繋がりが今も尚残っていることは嬉しいことだ。
大体総司のことがなければ喜ばしい再会でしかない。
今すぐにでもこの喜びを他の全員と共有したいくらいだ。
そして、どうにかして対総司策を考案してもらいたい――山崎の思考はそんな終着点へと辿り着くのだった。
何が何だかよくわからないまま、千鶴は駅前に佇んでいた。
今朝ぶつかった山崎に落し物を届けにいったのは二時間ほど前。
彼や、学園まで送ってくれた山南にどういうわけか親しみを感じてしまった。
女子校育ちの千鶴が異性に対してそんな気持ちを抱くのは初めてで、それにあんなふうに押しかけてしまうような行動力を自分が持っているとは思わなかった。
戸惑いと驚きの反面、それをどこかで楽しんでいる。
普段は入れない他校の、しかも男子校なんて場所にいるからかもしれない。
あの後、土方、原田、永倉といった教師陣が保健室にやってきた。
みんな何故か歓迎してくれて、千鶴はますます嬉しくなった。
だけどそこから先の雲行きが怪しくなっていったのだ。
『で、どうすんだ。この状況をあいつが知ったら……』
『当り散らすだろうな。いや、逆に呆然とすっか?』
『得になることは何もねえだろ。損ばっかりだ』
千鶴が知らない何かについてを相談し合い始め、時々物騒な言葉が飛び交った。
その結果、彼らが出した結論が……
何も聞かずに駅前に立っていてくれ。
君に会わせたい人物がいるんだが……俺たちが裏で糸を引いたことを知られたくないんだ。
沈痛な面持ちで山崎からそう言われた千鶴は、ただ頷くほかなかった。
一体どんな人がくるのかもわからない。
「会えば必ずわかるはずだ」と言われたので、もしかしたら知り合いかもしれないとぼんやり考えながら…………千鶴は自分を取り囲む三人の男たちに困惑していた。
「その制服って島女だよね、これからどっか行こーよ」
「いえ、その……人を待っているので」
「誰を? もしかして彼氏?」
違います、と首を振ると、だったらいいじゃん! とさらにしつこく食い下がってくる。
これは所謂ナンパというものなのだろうか。
彼ら三人の着ているものは山崎と同じ薄桜学園の制服だった。
だから最初に、もしかしてこの人たちが……と返事をしてしまったのが駄目だったらしい。
千鶴は心の中で盛大な溜息を吐く。
今日出会った男の人たちからは皆、なぜか懐かしい空気を感じた。
でもこの三人からはそんな空気は一切出てこない。
何がそんなに違うのか千鶴自身にもよくわからなかったが、でも、確実に彼らが「会わせたい人物」ではないことだけはわかる。
いつまでこうしていればいいのだろうかとロータリー中央にある時計へと目を向けた。
保健室では部活が終わる時間がどうのこうのと言っていたので、きっと「会わせたい人物」は部活動をしているのだろう。
スポーツに力を入れている薄桜学園の最終下校時間は何時なのか。
そろそろだと思いたいが、まだまだかもしれない。
このままここで見知らぬ三人に囲まれ続けるのは流石に不安だったし、怖かった。
一旦帰るふりをしてやり過ごそうかと思った丁度そのとき。
千鶴の視界に入ったのは、降り場に到着した一台のバス。
薄桜学園方面からのものだったらしく、薄明かりに照らされた車内から次々と浅葱色の制服が降りてきた。
(あ……あの人……!)
その中で一人、意識に止まった人物がいた。
千鶴はどういうわけか彼を「会わせたい人物」だと直感し、知らず内に彼へと向かって走り出す。
無造作に撥ねている薄茶色の髪がやわらかそう。
部活後でまだ熱いのかシャツの袖を捲り、ボタンも緩く開いている。
気だるげな仕草が伴い、男の人なのに色気を感じる。
千鶴は自分の胸がきゅっと縮むのを自覚しながら、彼へと近づこうと、したのだが……
「どこ行くんだよ、待てって」
ナンパ男たちに腕を掴まれ、通せんぼされてしまった。
突然触れられたことによって千鶴の中にさらなる不安感が芽生える。
「は、離してください……!」
振りほどこうにもびくともしない。
男女の力の差を感じてますます恐怖が募る。
だけどその一方で、あの人がどこかへ行ってしまわないか気になり、意識がそちらへと向く。
通せんぼされた隙間から確認しようとすると、なぜか十数メートルはあったはずの二人の距離が一気に縮んでいた。
千鶴が目を離したわずかな時間に、その人は千鶴のすぐ目の前まで来ていたのだ。
そして――
「何してるの。その子は僕のなんだけど」
「邪魔すん――…………お、沖田!」
不機嫌そうな棘のある声が三人に向けられる。
三人は威勢良く振り返ったのだが、彼が誰かを認識した途端に勢いが削がれ、口々に歯切れの悪いことをぼやいて足早にその場から去っていった。
たった一言であのしつこかった三人を追い払うなど、どうやら彼は学内でも目立つ存在らしい。
いい意味か悪い意味かは知る由もないが、今の千鶴にとっては少なくとも後者ではない。
「……ありがとう、ございました」
お礼を言うだけで千鶴の心はドキドキと弾み、高鳴る。
「どういたしまして」
山崎の言っていた「会わせたい人物」はこの人なのだろうか。この人であってほしい。
「え、えっと……その……」
そこから先、どうやって会話を持たせればいいのかわからなかった。
「会わせたい人物」ではなく「会いたかった人物」のように錯覚してきて、千鶴は指先をもじもじさせながら何とか彼を繋ぎとめようと考える。
でもその方法も、言葉も何も出てこなかった。
こういうときどうすればいいのだろう。
助けてくれたお礼にお茶でも……と誘えばいいのか。
だけどお小遣い制の千鶴は常日頃から財布の中が寂しく、大層な店になど入れる余裕もない。
ならば後日お礼をしたいから……と連絡先を聞けばいいのか。
家に帰れば貯金箱にコツコツ集めた軍資金がたっぷりあるはずだ。
だけどそんなことをしたら、さっきのナンパ男三人の軽いノリと大差がない気がする。
軽い女だと思われたくない。
でもこの人とはどこかに行きたいし、今後も連絡が取れるようにしたい。
……初対面の相手にこんなことを思うのだから、やはり自分は軽い女でしかないのかと千鶴は戸惑い、ほんのりと落ち込んだ。
しかし――
「ねえ、どこか寄っていこう。助けたお礼に晩御飯に付き合ってよ。あと連絡先も知りたいな」
彼は千鶴がしようとしていたことをすんなりと実行した。
言っていることはあの三人とは変わりないはずなのに、千鶴は顔を上げると、不安が吹き飛んだような笑顔になる。
「は、はい……是非! あの、お名前を伺っても宜しいですか?」
「……………………うん。総司、沖田総司と言います」
若干空いた間が気になったものの、千鶴は彼の名前を心の中で何度も反芻する。
「私は、っ……雪村千鶴です」
「よろしくね、千鶴」
千鶴も自己紹介すると、総司が優しく微笑み、千鶴の頭をぽんぽんと撫でた。
それが無性に嬉しくて、千鶴は頬を染めて俯く。
しかも名前で呼ばれた。
呼び捨てで……呼ばれた。
いきなりで驚いた。
嬉しいのに恥ずかしい。
でも止めないでほしい。
こんなときにどう反応したらいいのかわからず、千鶴はただキュッと拳に力を込めた。
そこへ響いたのは第三者の声。
「あーっ! 千鶴じゃん、どういうことだよ総司!」
バス降車場あたりからパタパタと足音を立てて近寄ってくる。
恐らく総司の部活仲間だということを状況から察した千鶴は、弾けたように顔を上げる……のだが、その瞬間。
「煩い平助。見せないよ」
千鶴をふんわりと包んだのは総司の腕で、目の前には総司のはだけた鎖骨があり――抱き締められたのだと気づいたときには千鶴の身体はガチガチに硬直していて、対照的に頭の中はキャーキャーと騒ぎ立っていた。
「こんなところで何をしている」
「あっ、一君見ろよアレ! 千鶴が――」
さらにもう一人加わったようだが、千鶴の置かれている状況ではその姿を確認することはできない。
駅前のこんな場所で……とパニックに陥りながらも、千鶴はそっと総司の胸に身を寄せる。
そしてこの出会いを作ってくれた山崎に感謝するのだった。
――任務完了。
駅前が見渡せる場所から山崎が、教師陣に報告のメールを一斉送信した。
万が一があったときにすぐに駆けつけられるように、山南が車で彼女を駅まで送り届けてからずっと待機していたのだ。
途中、よからぬ生徒三名に絡まれてしまってどうしようかと頭を抱えたが、バスがもうじき到着するという情報はしっかりと入ってきていた。
案の定目敏い……もとい、鋭い洞察力で総司はすぐさま千鶴を発見し、事は収まった。
危惧していた平助や斎藤よりも先に彼女に気づき、駆け寄ったことで総司の「千鶴ちゃんの初めては僕」欲求も存分に満たされたはずだ。
あとは既に自分や教師陣が再会済みなことを如何に隠し通せるかだけだ。
千鶴には口止めはしてある。
嘘の吐けない彼女のことだからうっかりとボロってしまうかもしれないが、そのときは色々と覚悟を決めた上で包み隠さず話そうと思う。
……そのときがくればの話だが。
山崎は送信完了の画面から目を離すと、再び千鶴たちに視線を向けた。
場所も弁えずにイチャイチャとくっつく二人に呆れた溜息を漏らし、笑いを零した。
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2012.12.31
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