★続・土方編
「土方さん!」
社屋へと戻った途端、張り詰めたような表情の総司が土方へと駆け寄ってきた。
土方は今朝、取引先へ直接出向くためにいつもは乗らない電車に乗り、初めて下りた乗換駅で千鶴と再会を果たした。
千鶴に前世の記憶がない事、総司の連絡先を教えた事だけを朝総司へ手短に連絡し、そして夕方――現在に至る。
「千鶴は記憶がないって僕のことも……いえ、そんなことより元気でした? なにか不自由してたり――」
「落ち着け総司」
他の社員の視線を感じる。それもそうだろう、いつもの総司と土方の関係を知っている同僚たちからすれば、総司が土方へと自ずと駆け寄る姿など目を疑う。
そんな視線を煩わしそうにしながら、土方はリフレッシュルーム内にある喫煙所まで総司を連れて行った。
ヤニで黄色く変色し、部屋自体がタバコ臭い。普段の総司ならば文句の二つ三つは付いてくるのだが、今日は流石になにもなかった。こんなことを聞いてくるのだ、千鶴からの連絡はまだ来ていないことがわかる。
「元気そうだった。昔と…変わっちゃいねえよ」
一服しながら土方が告げると、総司の表情が安堵に染まる。ただそれだけで幸せそうに綻ぶ。総司のこういった表情を見ることは少ない。例えば近藤に対してだとか、近藤に関してだとか。
かつて土方は、前世で総司が千鶴を気にかけて傍において手放せなくなっていく様子を見てはいた。いたものの時代や状況があんなだったために、安堵や幸せな表情などお互いに見せることなく別れてしまい、それっきりだった。
「それで、彼女の連絡先は? もちろん聞きましたよね」
「…………」
土方は現世で総司と再会した時に、彼を纏う雰囲気がかつてと違っていたことを思い出した。
穏やかになったというか、棘がなくなったというか。特に千鶴のことを語るときはそれが顕著だった。新選組を離れた後の千鶴との暮らしで総司は変わっていったのだろう。
「え、ちょっと、土方さん? 聞いてないんですか!? ……はあ、ホント、使えない人だなあ。初対面の人から押し付けられた他人の連絡先に、どこの誰が連絡します?」
僕の千鶴はそこまで間が抜けていませんから。
チクチクと棘のある言葉をぶつける総司に、土方は今さっき思ったことを全面撤回したくなった。
「うるせぇ。初対面の他人にそもそも連絡先を教えるほうが有り得ねえだろ」
だからおまえの連絡先を押し付けたんだ、と忌々しげにタバコを灰皿へと投げ捨てる。
「路線と時間を計算して、どこの高校に通ってるかくらい割り出せるだろ」
制服も大体だが覚えてるから今日仕事が片付いたら調べてやる。
土方はぶつぶつ言いながら喫煙室のドアへと向かって歩き出す。それを総司が眉間に皺を寄せながら止める。
「高校…? って千鶴まだ高校生なんですか?」
土方が頷くと、総司は18歳未満じゃウンタラカンタラと一瞬唸った後、まあ純愛なら平気だなとあっさり取り直す。土方はそれを聞かなかったことにした。
「とにかくどこの駅か教えてください。今から行くんで」
時計を見上げてみると夕方六時。今から行ったって帰宅済みの可能性のほうが高いんじゃないか。余裕のない沖田に土方はどうするべきか考える。そもそもおまえ仕事は?と聞きたくなるが聞いても無駄だろうから飲み込んだ。
するとそのとき、総司の携帯電話から着信を知らせる音が流れた。
驚いたような顔つきで総司が画面を見つめると、非登録の番号からだった。画面と土方を交互に見ると、土方が眉間に皺を寄せ、口元をゆるめながら総司の肩をぽんと叩いた。
「おまえの千鶴は随分間が抜けてるみてえだな」
片手をヒラヒラと振りながら土方が喫煙室から出て行った。総司は外の空気を吸いたくなって、ドアに背を向けて内窓を開けながら、通話ボタンを押した。
「……はい」
緊張しながら電話を取ると、向こう側からも緊張の声が震えた。
『あ、あの…総司さんのお電話で宜しいですか?』
向こう側から聞こえてくるのは、忘れもしない愛おしい人の声だった。
電話をかけるかどうか迷った。
あの土方という人は、千鶴、と名を呼んだけれど、初対面の知らない人だったから。半日考えても尚、心当たりが思い浮かぶことはなかった。
それでも学校にいる間中、何度もあの名刺の裏面を見てしまった。最初は定期入れに入れておいたけれど、そのうちカバンから取り出すのも億劫になり、ペンケースの中へ移動させた。すると授業中もずっとその名刺が気になって仕方なくなる。
学校が終われば再びそれを定期入れに戻し、電車の中でずっと眺めた。今朝、あの人に会った階段付近で足が止まってしまう。
「……総司さん…………」
とっくに暗記してしまった名前を呟く。
どうしてこんなに気になるんだろう。助けてくれた土方のほうならともかく、名前しか知らない“総司”のことが気になって気になって仕方がない。同じ名前の知り合いがいただろうか……? きっとこのままでは家に帰っても頭から離れないだろう。ならば……。
『……はい』
「あ、あの…総司さんのお電話で宜しいですか?」
階段を上がりきったところの脇。人通りの邪魔にならない壁際に寄りかかりながら、千鶴は電話をかけた。
男の人の声が聞こえ、千鶴は緊張で声を震わせた。
『うん、そうだよ…………千鶴』
酷く優しい甘い声が鼓膜に響く。まだ名乗っていないのに、相手は電話の主を千鶴だと言い当てた。土方から話が通っていればわかって当然かもしれないが、千鶴にはそうは感じられなかった。自分だと声で判断して名前を呼んでくれた――そう思えたし、思いたかった。
「…………あっ」
彼の声の余韻に浸っていると、自分の頬をつたう何かに気づき、千鶴は声を上げた。
『千鶴? どうかした?』
「いっ、いえ…何でも、ないです」
それは涙だった。いつの間にか瞳は涙がたまって盛り上がり、溢れては零れ出ている。無意識に流れるしずくを、千鶴は慌てて空いている手で拭い取った。
『……泣いてるの?』
総司の気遣わしげな声が聞こえてくる。
「ちが、違うんです、勝手に……」
勝手に溢れてきた涙に、千鶴自身が呆然としていた。
ただ、原因はなんとなくわかった。電話口の彼が、総司がそうさせるのだと。
『……千鶴』
そして千鶴には、この涙を止める方法もわかっていた。どうしてだかはわからない。不思議だとも思う。でも、その方法でこの涙を止めてほしかった。
千鶴はまた一つしずくを零しながら、消え入るほどか細く懇願する――――会いたい、と。
----------
2011.10.5
[前へ][次へ]
[シリーズTOP]
[続き物TOP]
[top]