★ふたりだけで完結する世界(1)

――総司は昔からあまりタイミングの良い方ではなかった。
先のことをあまり考えずに行動していることや、他人が遠慮する場面にもズカズカと乗り込んでいく図々しさがその理由だろう。
目先のことしか気にしていなくて、目先のことさえどうにかなれば十分だと思っていた。
だってその先に他の問題が起きたなら、それはそのとき考えればいいじゃないか。
これを浅はかだと言う人たちもいたが、そういう性分なんだから仕方がないと割り切っていた。
大体、そういった何手も先を読んで物事を考え計画するのは、鬼と呼ばれる副長あたりが適任だろう。
精々小難しい顔で眉間に皺を寄せていればいい。

僕は今だけを見つめて、今だけを楽しんでいられたらいいんだ。
大体たとえ悪いタイミングに出くわしたとしても、自分のペースに捻じ曲げ持ち運ぶだけの技量は持っている。
けど! だけど……!!
何もそんな最悪なタイミングで、“こんなこと”が起きなくてもいいじゃないか!


小さな悲鳴は水の撥ねる音に掻き消される。
そのとき上がった水しぶきがこちら目掛けて飛んでくるも、それを気にしている余裕などない。
生まれて初めて“絶望”とはどのような状況なのかをその身を持って知ることとなった。





遡ること一時間前。
夏休みを間近に控え、午前中だけの日課が数日ほど続いていた。
こういった長期休暇前の恒例行事になっているのは、古典教師からの山のようなお説教や追試。
例のごとくそんなものを気にする性分ではないのだが、部活禁止というカードを出されてしまえば渋々受けるしかない。
本日出された追試課題は、古典教師には無関係であるはずのプール清掃。
そんなもの体育教師か水泳部が管理すればいいものを……。

「あんな広いとこ、僕一人でできるわけ――」

苛立ちを零しながら口汚い言葉を吐き出そうとした瞬間、総司は閃いた。
なにも一人で掃除しろ、とは言われていない。

「……これから、ですか?」
「うん。僕だけじゃ日が沈むまでに終わらないし、お願い」

早速一つ下の学年まですっ飛んで、可愛い後輩を誘った。
彼女は体操着を持っていないと困っていたが、掃除場所はプールサイドのみだ。
制服でも大丈夫だと言い包め、手を引いて連れて行く。
カルキ臭いだけのそこを総司はあまり好きではなかったが、この子と二人なら楽しめそうな気がして胸が弾んだ。

実際に楽しかった。
制服を膝の上まで捲り上げた総司と、靴下を脱いで裸足になった千鶴。
普段はこういった隙を見せない彼女が白い足を自分だけに晒し出しているだけで、総司はなぜか嬉しくなる。
最初はただ足だけを水につけ雑談して、思い出したようにデッキブラシを手にして、ホースでお互いの足元を濡らしたり、ドライヤーで水を掃いたり。
夏場の授業中しか入れない場所というのがこのときばかりは雰囲気を盛り立ててくれるようでありがたく、そうしてあっと言う間に一時間が過ぎた頃。

「お、沖田先輩……やめっ、やめてください」
「だから千鶴ちゃんが動くと手が滑る、かも」
「やです、絶対離さないでくださいっ!」

プールではこういった悪戯が付き物だろう。
総司はにこやかな笑みを浮かべ、プールの縁スレスレに立っていた。
その腕には顔を青ざめさせ涙目を浮かべる千鶴が抱えられていて、彼が手を離せばそのままプールへと落下してしまう状況だ。
先述の通り、彼女は着替えになるものを持っていない。
だから必死に総司へと訴えるのだが、そうするほどに総司は楽しげな表情へと変化していく。
プール清掃を手伝った立場の者として、彼女はこの扱いは理解しがたかった。

「ど、してそんな意地悪ばかりするんですか?」

落とされてたまるものかと千鶴は眉をきつく釣り上げながら、真剣な顔つきを総司へとぶつける。
すると総司は一瞬目を彷徨わせた後、首を傾けてニコッと笑ってみせた。

「どうしてだろうね。千鶴ちゃんの困ってる顔を見るとすごくいい気分になるんだ。ねえ、手……離したら駄目?」

千鶴が説得を諦めたように力なく首を横に振り、縋るような瞳を向けてくる。
総司はこの瞬間が大好きだった。
彼女を貶めるのも救うのも自分だけ。
彼女が怯えるのも助けを求めるのも自分だけ。
二人の中だけで完結する世界に今いるのだと強く実感する。
首の裏あたりがゾクゾクして、総司からはますます笑みが溢れた。

「は、離したら……絶交します、嫌いになりますっ!」

それは千鶴の最後の抵抗なのだろう。
子供じみた言葉を吐くしかできない彼女に、総司はいよいよおかしくなってきて口角を上げた。
落とすつもりなど一切ないが、たとえこの手をうっかり滑らせてしまっても絶交や嫌悪など彼女には無理な話。
――そう思った時だった。


唐突に、なにかに戒められるように総司の頭の中がズキリと痛んだ。
それと同時に耳鳴りやら立ち眩みやらに襲われ、脳内に見たこともない光景が次々と浮かび上がる。
古めかしい日本家屋、和装の人々。
ダンダラ模様の羽織をまとい、日本刀を腰にぶら下げ集団で闊歩した。
歩むたびに刻まれていくのは大事な人のために戦う使命感と、そして喪失感。
止まらぬ咳。床に臥す己の姿。
血のように赤い密薬に手を伸ばし――。
一気に全て受け入れるなどできやしないその膨大な記憶の容量に、苦痛の声を小さく漏らした直後。


か細い悲鳴と何かが水の中へと落下する音がした。
脳裏に浮かんだのはかつて共に生きたいと言ってくれた愛しい人の姿。
先ほどまでこの手で掴んでいたはずのその温もりが消えていることを気づく。
しかし気づいてからではもう遅い。
総司が混乱に耐えながら焦点をあわせたときには、千鶴は既に全身をプールの水に浸けている状態だった。

「ち、ちづ――ごめっ、すぐに……」

今度は総司が青ざめる番だ。
慌てて千鶴へと手を伸ばすも、彼女はそれを無言で払い除けた。






----------
2012.07.28

[次へ]

[短編TOP]

[top]

「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -