★食べ終わるまで声出しちゃダメだよ

「千鶴ちゃん、今日が何の日かわかってるよね。ちゃんと準備した?」
「はい、もちろんです!」

千鶴は自信満々にマスいっぱいの豆を見せ付けた。
そう、今日は二月三日、節分の日。
節分の日と言えば豆まきだろう。
これを準備できなければどんな目にあうか……恐怖以外の何者でもない。


総司は見た目に似合わず行事好きらしいのだ。
例えば春は花見、夏は七夕、秋は紅葉狩り。
そういった行事に異常な執着を見せた。
――忘れもしない花見の一騒動。そもそも何日も前から総司は浮き出したったようにしていて、千鶴に花見の話題を何度も振っていた。
千鶴は千鶴でそんなに楽しみにしているのならお弁当を沢山つくって自分に出来ることで盛り上げたいと思っていたのだが、その当日。
夜明け前に総司がズカズカと千鶴の部屋に侵入し、すぅすぅ眠っている千鶴の額をぺちんと叩いて起こした。
第一声は「なんでまだここにいるの?」だった。
総司曰く、花見は場所取りが最重要項目。
そういうことは屯所で一番下っ端の千鶴がやって然るべきだ、と。
新選組での花見はまだ経験したことがなかった千鶴は、顔を青褪めさせながら急いで着替えて出掛ける準備をした。

「仕方ないから僕も一緒にいってあげる」

千鶴が準備している間ずっと部屋の外で待っていた総司が申し出た。
きっと千鶴一人で花見な場所取りができるか心配なのだろう。
なにせ京の花見だ。満開のこの時期、桜の木の下には沢山の花見客が押し寄せるはず。
当然場所取りも熾烈を極める。
一番景観のいい場所を求めて巻き起こる醜いまでの争奪戦…………。
自分にそんな大役がこなせるか心配だった千鶴は、総司の申し出を有りがたく受け、こうして二人は屯所を出発した――――手ぶらで。
後から考えればこの時点でおかしかったことになぜ千鶴は気づかなかったのだろうか。
その後なにが起きたかと言うと、まあ、鬱蒼とした山奥に連れ込まれただけだ。

桜並木なら町外れにあるというのに総司が歩き出した方向は真逆で、だけど「穴場があるんだよ」という言葉にあっさり騙され、千鶴は何の装備もしないまま足場の悪い山道へと入った。
総司が道ならぬ道を進んでいっても「足元に気をつけて」と手を差し伸ばされたことに浮かれ、帰り道のことなんて一切考えていなかった。
そして一刻ほど歩き回った後にようやく、千鶴は何かがおかしいことに気づいた。
そろそろ明るくなってもいい時刻だというのに蔽い茂る木々のせいで薄暗く、カラスの鳴き声ばかりが響く。
歩けど歩けど桜の木なんて一向に出てこないし、最初は明るい話題を振ってくれていた総司もだんだんと無口になっていく。

「お、沖田さん……?」

千鶴が勇気を振り絞って声をかけると、総司は足を止め、ゆっくりと振り返った。

「ごめん、入る山を間違えてたみたい」

およそ悪気があるとは思えない笑顔を浮かべた楽天的な男に、千鶴は唖然とした。

「ど、どうして気づかなかったんですか! 早く来た道を戻り――」
「無理無理。すっごい歩き回ったから帰り道なんてわかんないし」
「!! じゃ、じゃあ私たち……」
「うん、迷子。っていうか遭難だね、アハハ」

暢気に笑う総司に絶望の眼差しを向けた後、千鶴は自分が何も持たずに屯所を出発したことに気づいてさらに頭を真っ白にする。
そして総司に野宿決定だとか一生この山から出られないとか夜は野犬の群れが出てくるとか、とにかく脅され続け、千鶴は総司にギュッとしがみついてはぐれないように自衛する。
この男のせいでこんなことになったとはいえ、頼れる存在もまた彼しかいないのだ。
その後二人は何時間も彷徨い、お腹が減ってひもじくなってきたら「僕、非常食持ってるよ。ふうん、食べたいんだ?」と緊急時にも関わらず意地悪をかまされ、なんだかちょっぴり険悪になって、しまいにははぐれて、千鶴が一人ぼっちでウロウロとしていたら道がどんどん険しくなってきて、怖くて泣き出しそうになったところに総司が現れて、一心不乱に抱き着いてわんわん泣いて、疲れ切った千鶴を総司がおんぶする。

「ごめんね、少し遊びすぎた。そろそろ帰ろっか」
「遊び……? で、でも帰りたくても道が」
「大丈夫、僕に任せて」

そう言って総司が歩き出した十数分後になぜかあっさり山の入口に辿り着いて、千鶴はようやく一日かけて総司にからかわれていたことに気づく。
だがその頃にはもう疲れてヘトヘトになっていたのと、屯所に帰れる嬉しさで怒る気力もなく、総司の背中にしがみ付くだけだった。





――と、まあ思いっきり脱線したが、そんな感じで結局は花見をしないで終わった。
夏は七夕用の笹を取りに行こうと誘われて同じようなことが起こり、秋は紅葉狩りに連れ出されてやっぱり同じような展開となった。
なんて不毛な時間を過ごしてきたのだと千鶴からは溜息ばかりが零れる。

そしてこの冬、総司が数日前からそわそわとし始めたことに千鶴はいち早く気づいて警戒した。
節分という行事ならばどう考えようとも山は関係ない。というか、こんな真冬に山に入ったら凍えてしまう。
必要なものと言えば豆くらいだ。
それを事前に用意してしまえば、屯所から外に出るという危険は冒さずに済む。






「千鶴ちゃん、今日が何の日かわかってるよね。ちゃんと準備した?」
「はい、もちろんです!」

そんな経緯もあって、千鶴は誇らしげに胸を張ったのだった。
マスいっぱいの豆。バッチリだ。
しかし総司は小さく溜息を吐いて、千鶴からマス箱を取り上げて文机に置く。

「……うん、豆まきしたいならあとで土方さんの部屋に行って投げつけようね」
「えっ……!?」

どうやら豆まきという考えはハズレだったらしい。
いや、だったら何だというのだ。
節分の日といえば豆だ。豆まきだ、これしかない。
千鶴が納得のいかない顔で取り上げられた豆を凝視していると、総司が呆れたように言った。

「丸かぶり寿司は? もしかして恵方巻きの準備はできてないわけ?」

まるかぶりずし? えほうまき……?
聞き覚えのない単語に千鶴は目をぱちくりさせた。
まるかぶりずしとは一体なんなのだ。お寿司…? 被り物??
えほうまきって? 何かの巻物のたぐい? 節分とそれに何の関係があるのだろう。

「ああ、君は知らないんだ。江戸にはそういう風習がないもんね」

僕も大阪に行ったときに初めて知ったんだけどさ、と総司は恵方巻きについての説明を始めた。
節分に丸かぶり寿司……つまり太巻きを食べると縁起がいいという風習。その年の恵方を向いて太巻きを切らさずに食べられれば福を呼ぶと言われている。

「そっか、知らないなら仕方ないね。すっごく楽しみにしてたけど……うん、仕方ないかぁ」

珍しく千鶴の失態を見逃してくれた総司だが、めちゃくちゃ名残惜しげで諦めきれないといった態度も伴わせている。
正面から責められるよりもこっちの方が罪悪感が湧き出てくる。
たぶん、恐らくきっと、総司がこの言葉を待っているんだろうと確信しながら、千鶴は一応言ってみた。

「あの、今から作ってきます」

実物を見たことはないが、普通の太巻きでいいのなら今ある材料でも作ることができるはずだ。
千鶴が勝手場にあった食材を思い浮かべていると、総司は予想外にもプイッと横を向いた。

「そんな急ごしらえで縁起を担ごうとしたら逆に罰が当たるよ」
「あっ……そうですよね。私ったらすみませんでした」

縁起物に対して軽はずみなことをしようとしていた。しかも太巻きなら何だって良いとすら考えていた。
千鶴は自分の出すぎた発言と発想にしょんぼりと落ち込む。
だが、俯いてしまった千鶴の頭を総司がぽんぽんと優しく撫でて、優しい声色をかける。

「別に責めてるわけじゃないよ。僕は君にこの一年を縁起良くすごしてもらいたかったんだ。だから……」
「……沖田さん」

私のため……?
千鶴は心の奥がじぃんと暖かくなるのを感じた。
過去に幾度も山に連れ込まれ遊ばれた経験のある千鶴は、少なからず今日の節分でも総司を警戒していた。
なのに総司は千鶴のことを思い、張り切ってくれていたのだ。
込み上げる嬉しさに千鶴がはにかんでいると、総司が例の如くニッコリ笑ってわけのわからない爆弾を投下する。

「だからさ、今年は仕方ないから僕が代わりになってあげる」
「…………え?」

代わり……?
なんの代わり……?
理解できずにきょとんとしている千鶴の肩を総司が掴み、体の向きをグルッと直角に回転させる。

「今年の方角はあっちだっけ。ほら、こっち向いて千鶴ちゃん」
「えっ、えっと、あの、よく意味がわからないのですが」
「だから僕が寿司の代わり、ってこと」

ますます意味がわからない。
丸かぶり寿司、つまり太巻きの代わりに総司がなる……?
もしかして総司をバリバリと食べろというのだろうか。いくら鬼とはいえそんな血生臭いことはできない。

「私、沖田さんにそんなことできません!」
「まあ君が食べるのは僕の“ここ”くらいが限度かな」

総司は自分の唇に触れながら、恐ろしい惨状を思い浮かべている千鶴に微笑みを向けた。

「食べるってのは喩えだよ。落ち着いて」
「た、たとえ……?」
「うん。噛んでもいいけど甘噛みだよ? 痛かったらやり返すから」
「か、噛む? 甘……??」
「それで、ちゃんと味わってね」
「味、わう……!? あの、…な、何をでしょうか?」
「僕の口づけ」

総司の最後の一言で千鶴がようやく事態を把握し、そのあまりの超展開さに驚き目を見開かせる。
それと並行するように総司の口角が僅かながら上がり、そして二人の唇がゆっくりと近づいていった。
だが触れるよりも一瞬早く、千鶴は顔を背けて待ったをかける。

「あ、あの! どうすれば……いいんですか? 私、そんな……」

直前で止められたことに多少の苛立ちを感じながら、総司はもう逃げられないようにと千鶴の顔を両手で掴んだ。

「“千鶴ちゃんに食べ尽くされたー!”って僕が思ったら終わり」

まあ簡単に食べ尽くさせるとは思っていない。
何時間もかけてたっぷりと味わわせてやると総司は心の中で笑い、さらにはその先のことまできちんと考えていた。

「それで、千鶴ちゃんが終わったら次は僕の番です」
「沖田さんの番……?」
「僕だって縁起を担ぎたいんだよ。こういうときは協力し合わないとね♪ あ、ちなみに僕は君のこと丸ごとかぶりつくつもりだから」
「丸ごと……?」

総司の言い分に最早着いて行くことができず、千鶴は口をぽかんと開けた。
そこへ総司は当たり前のように舌を捻じ込んで、長い長い節分の行事が始まったのだった。










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2012.02.03
ハッピーせつぶんデー!

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