★蝶々ひらり(3/5)
「まじ土方さんに殺されるかと思った。総司も人が悪いよ、気づいてたんなら言えよなぁ」
「どこから見ても女の子でしょ。気づかないほうが問題だと思うけど」
頭をかきながら藤堂がぼやくと、沖田は相変わらず何を考えているのかわからないような表情で千鶴の頭をぽんぽんと叩いた。
千鶴はされるがままに俯く。
「あの、ごめんなさい。考えていたよりも大事になってしまって……」
申し訳なさそうに謝った千鶴に、藤堂はいいのいいの俺が悪いんだから!と笑う。
千鶴を京まで連れてきてしまった責任を彼が、気づいていながら今日まで黙っていた責任を沖田が取るかたちで、二人は千鶴を案内していた。
そうして到着したのは、未使用の空き部屋。
「今日からここが君の部屋」
沖田が襖を開けながら言う。
狭くて陽射しが当たらない昼間でも薄暗い部屋。玄関にも近いので五月蝿いことも難点らしい。
幹部に割り当てることもできないし、来客用にも向いていないし……で、使っていなかった部屋だそうだ。
だが千鶴にはそんなことどうでも良かった。
「よ、よろしいんですか? 私が使っても……」
もともと江戸で住んでいた長屋も陽は当たらなくてジメジメしていたし、父親と布団を並べて寝るくらい狭かった。個室なんて夢のまた夢のような待遇だ。
両手を胸の前でぎゅっと握り締め、感激する千鶴。
沖田と藤堂はそんな千鶴の様子に呆れたような表情を浮かべた。
浅葱色の羽織を着て、家宝の小太刀をぶら下げて、千鶴は時間よりも少し早くに集合場所に向かった。
既に準備を終えた同じ組の隊士たちが数人、待機している。
千鶴もその集団の中へと入り、ほうっ、と息を吐いた。
巡察に行くのはこれで二度目だ。
一度目は特に何かがあったわけでもないが、新選組の醸し出す雰囲気に圧倒されて緊張疲れした。
二日前には他の組の巡察中にちょっとした喧嘩騒動があったらしく、それが今日の千鶴の緊張感をさらに煽った。
「ん? おい、何でここにいるんだ」
全員集まって、そろそろ出発だというときに千鶴に声をかけたのは、この組の組長だった。
怪訝そうな顔つきで千鶴を見る組長に、千鶴はきょとんとする。
「副長から聞いているから帰っていいぞ」
「……どういうことですか?」
「なんだ、話が行ってないのか? とにかく見廻りに参加しなくていいそうだ」
一方的にそう言われて、千鶴の所属する組は時間通りに巡察へと出発してしまった。
八木邸の前に取り残された千鶴は事を理解できずにしばしそこでポカーンとし、数分後ようやく、土方に聞きに行かねばと動き出した。
――……と言っても、こんな新入りがいきなり副長の部屋を訪ねてもいいのだろうか。
いけないような気がして、何か部屋を訪ねるためのいい案はないかと廊下を行ったり来たりしていると、視界の外れに幹部の姿が映った。
「沖田さん! あの、お願いしたいことが!」
土方との取り次ぎをしてもらおうと、千鶴は駆け寄る。
すると沖田は眉を顰めながら、千鶴の羽織の襟首部分を摘んで引っ張った。
「千鶴ちゃん、何着てるの。これは没収」
「えっ、何するんですか、脱げちゃいます」
問答無用にぐいぐいと上に引っ張られて、袖から腕が抜けそうになる。
止めてください〜!! と羽織をぎゅうぎゅう掴みながら抵抗をする千鶴の脳天に、沖田の平手がペチン!と飛んできた。
「抵抗すると斬っちゃうよ」
初日の手合わせで実力差を十分理解していた千鶴は、びくりと肩を震わせつつ、そそくさと羽織を脱いだ。
見廻りについてくるなと言われたり、羽織を脱げと言われたり……これじゃあまるで。
「まるで隊士として扱ってもらえていないみたいです」
「うん、君はもう隊士じゃないよ」
「……………………え?」
「隊士じゃないんだって」
耳を疑うような台詞に千鶴が目をぱちくりさせると、沖田が羽織を奪うようにビッと引っ張り取り、面倒くさげに続ける。
「あのさあ、話聞いてた? 君はとりあえず部屋で大人しくしててよって言われたでしょ。まあ稽古くらいなら出てもいいと思うけど」
「は、初耳です」
「…………ああ! 君に伝えろって僕が頼まれてたんだった」
言うの忘れてたよゴメンゴメン、とさして悪いと思っていないように謝る。
話し合いが行われた夜、千鶴を部屋に連れて行った後に再度幹部たちが話し合った。
やはり隊士として置くわけにはいかないだろう、と。
そうしてああでもないこうでもないと揉めた結果、小姓みたいなことをさせればいいんじゃねえかという結論に収まったのだった。
当然千鶴はしょぼくれた。
幼い頃から年上の男の子たちに囲まれながらヤンチャに腕を磨いた。
幹部級とはいかないまでも、この新選組の中でもそこそこの腕前だと自負している。
京の平和と安全を守る立派な仕事をして、その稼ぎで自立して生きていく。――そんな未来を亡き父親に誓ったというのに。
しかし千鶴に与えられた仕事は主にお茶汲み。幹部たちも千鶴のような存在に何をさせていいのかわからなかったのだろう。
それだけでは面目ないと千鶴は自主的に炊事洗濯掃除全般をこなすようになり、剣からはどんどんと遠ざかっていった。
「個室をいただけて、毎日ご飯を食べられて、給金まで出してもらってるのに……」
元来働き者の千鶴は、女だからという理由で皆のように命懸けの任務につかせてもらえないことに不満を募らせていたのだが。
「君は自分の腕を過信しすぎだよ、僕から一本取れたら考えてあげる」
「無茶なこと言わないでください」
人気のなくなった道場で千鶴は竹刀を構え、沖田と向かい合う。
もう隊士たちの稽古時間は終わっている。だが千鶴にとってはそこからが始まりだった。
みんなとの稽古は……なんだか遠慮されている気がする。
藤堂は子供相手にチャンバラするみたいな軽い打ち合いしかしてくれない。斎藤は型とか姿勢とか、千鶴に指導するのはそういう基礎ばかり。原田に至ってはそこで見ていろと見学を言い渡されるし……。
そんな中、唯一性別関係なしに相手をしてくれるのが沖田だった。
恐らく彼にとっては暇つぶしの遊び程度のものでしかないのだろう、だが千鶴はそれでも嬉しかった。
沖田の攻撃を避けたご褒美に、剣捌きをうまく見切ったご褒美に、攻撃を沖田の身体に翳めさせたご褒美に……。
そのたびに彼は巡察に連れ出してくれた。
少しずつ少しずつ、千鶴が望む方向へと手を引いてくれた。
そうして幾月が経過した頃、千鶴に念願の重要任務が与えられるに至った。
――朝廷を狙う不穏な輩との繋がりが噂される男のもとへ、新選組は何度も調査を試みた。しかし毎回うまくいかず調査は中途半端なまま進行しなかった。
もとより標的の男は女をはべらすのが好きな男らしく、そんな男の懐に潜り込むのなら女だろう、と千鶴に脚光が当たったのだ。
「やります、やらせてください、是非!」
やる気満々で食い付いた千鶴に反して、提案した幹部たちはあまり乗り気ではなかった。
すっかり意気込んでいる千鶴を無視して再検討を始めた。
「言いだしっぺの俺が言うのもなんだが、千鶴ちゃんを生贄にするなんて無理か」
「裏付けなんて止めて突入しちゃいましょうよ、土方さん」
「いや、再度山崎を潜入させてみても遅くはない」
トントン拍子に進んでいく会話を、千鶴は畳をバァン!と叩いて止めた。
「大丈夫です、私やります! 立派に勤めを果たします!」
そこからしつこく、本当にしつこ〜く食い下がり、千鶴はなんとか幹部たちに自分の任務参加を認めさせた。
こうして千鶴は、潜入調査をすることになったのだ。
つづく
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2012.01.13
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