★蝶々ひらり(2/5)

嫌になった、とはどういう意味なのだろう。
稽古が厳しい……とか、法度が厳しいとか?
――それはなかった。貧しい生活をしてきた千鶴にとって、厳しい環境というものには少なからず慣れがあった。
年上の男の子たちに混ざって剣術を始めた頃など、擦り傷・打ち身が絶えず(翌日には治っていたけれど)、また、礼儀作法というものをとことん詰め込まれた。
逃げ出したいほど嫌な気持ちではいるものの、それは千鶴が女ということが前提の事。沖田の知るところではない。
ならば一体何のことを言っているのだろうと千鶴は首を傾げながら思案する。
すると沖田は口角を上げながら聞いてきた。

「新入りって一つの部屋に詰め込まれてるんだっけ。何人部屋?」
「私の部屋は十人くらいです」

私的な空間など一切なかった。
個室の幹部部屋が正直羨ましい。

「風呂はどうしてるの、まさか皆と一緒?」
「まっ、まさか…入れるわけありません! 着替えだけでも大変で、この際押入れでもいいから一人になれる場所がほしいです」

十日分の鬱憤がたまっていた千鶴は、深く考えずに不満を漏らした。
正直言って誰かに愚痴を聞いて欲しくてたまらなかったのだ。それだけで胸につっかえているものがスーッと抜けていく気がする。
千鶴がポツポツと零す男所帯の辛いところを沖田は相槌を打ちながら聞いてくれ、そして千鶴が全て愚痴り終わると沖田が他人事のように言う。

「へぇ〜大変だね、女の子も。さすがに限界?」
「覚悟していたよりもすごくて。甘く考えてたなって反省してます。でも聞いていただけて楽になりました! これで明日からまた頑張れ……ま、す…………!!?」

いま彼が放ったさり気なくも衝撃的な一言に気づいた千鶴は目を剥き、固まった。
女の子……って言った? ばれていた!? 一体いつから……。
少なくとも初日のあの手合わせ以来、ずっと接触を持ってはいない。
驚愕する千鶴を横目に、沖田はあっけらかんと笑った。

「どうして女の子が入隊希望者の中にいるんだろって思ってさ、追い返すつもりで手合わせしたら他の男より使えそうだったから驚いたよ。どこまで根性あるのかな〜って暫く放っておくつもりだったけど」

つまり最初から気づいていたのだ。
誰にもばれない完璧な男装だと少々鼻を高くしていた千鶴は、自信をボッキリと砕かれたような気分に陥り、まばたきすらできずに沖田を見つめる。
いや、女だと見破られていたことよりも、女であることを見逃してもらえていたことの方が今は重要だ。
真意を探ろうとその瞳を覗こうとすると、沖田はふっと瞼を伏せて千鶴の手首をギリッと掴んだ。

「お遊びはお終い。間違いが起きたら風紀が乱れるし、君も困るよね」
「え、あの……待ってください、これには深い理由が……!」
「ぐずぐずしない、行くよ」

そうして有無を言わさず連行されて、すぐに主要幹部たちが集められた。






「――ってわけなんですよ、土方さん」

悪気無い笑みを浮かべながら沖田が一連のことを説明すると、土方の眉間に皺が一つ増えた。
土方は正座のまま恐縮している千鶴には目を触れることなく、沖田へと低い声で追求する。

「気づいていたならどうして黙ってた」
「だから面白そうだったからって最初に言ったじゃないですか」

こんな小っちゃい女の子が新選組に堂々乗り込んできたんですよ? と、からかうような口調で沖田が続けた。

「大体、左之さんや斎藤君だって気づいてたんじゃない?」
「まあそうだろうとは思ったが……なあ、斎藤」
「……ああ」

話題を振られた原田と斎藤が罰の悪そうな表情に変わる。
誰も指摘しないし、本人もやる気満々だし、まあいいかと流してしまったのだ。
土方の眉が僅かながらに釣り上がる。

「全く気づかなかった鈍い人の方が多かったみたいだけど」

総司が鼻で笑うようにして土方を見る。
まあ、土方も千鶴が女だと気づかなかった側ではあるが、彼と千鶴が顔をあわせたのは初日のみ。
千鶴は大勢の新隊士の中に埋もれていて、土方とはかなり遠い場所にいた。気づけと言う方が無理な話である。
次に沖田の視線は、口をぽかんと開けて千鶴を凝視している藤堂と永倉へ移る。
この二人は千鶴とかなり至近距離でやりとりをしたにも関わらず、気づかなかった組だ。

「わかるか、平助」

未だに疑っている様子の永倉が、藤堂へ視線を送る。
初日に千鶴が沖田と手合わせをした際、吹っ飛んできた千鶴を受け止めた。
確かに男にしたら骨張ってはいなかったと記憶しているが、それはまだ成長前のガキだからだと思っていた。
女だと言われても彼には到底信じられなかった。
その横で藤堂はコクコクと頷きながら、頭を掻いた。

「女って言われると女にしか見えなくなるから不思議だよなー」

永倉よりは柔軟性のある回答……だが、千鶴を勧誘して京まで連れてきた男のセリフではない。
正確には千鶴を勧誘したのは藤堂ではなく、千鶴の道場の先生から二、三ほどツテを経由しての入隊志願だったのだが、まあ、窓口的な役目を負っていた彼は他の幹部よりも千鶴と交流があった。
江戸で何度か話をしたし、道中も、それに京に来てからもこの十日間で数回、気にかけてもらっていた。
恐らく入隊希望者の中で千鶴が一番小さかったため、目についたのだろう。

「んじゃ、改めてよろしくな!」

藤堂は無邪気にも右手を出して握手を求めるが、それと同時、土方が鬼の形相へと変化した。
これ以上流れに身を任せていたら自分の立場が悪くなる!
瞬時にそう判断した千鶴は、伸ばしかけた手でギュッと拳を握り、かの形相に恐れ慄きながらも発言した。

「あっ、あの! 騙すつもりはなかったんです、すみませんでした」

深刻なほどのしかめっ面をしている土方に向かって、千鶴はオデコをバチン!と床に叩きつけながら頭を下げた。
自分が思っていたよりも重く受け止められてそうなことに千鶴は焦る。『隊規に背いたら切腹』という言葉が頭の中をぐるぐる回り、冷や汗がつたった。
暫くすると低い溜息の音が漏れ、そしてようやく土方が口を開いた。

「……とりあえずお前は江戸に帰れ」
「え? でも離隊は許されてないって……」
「女子供を屯所に置けるか。特例だ、特例」

無罪放免、お咎めなしで釈放してくれるらしい。
拍子抜けした千鶴は、目をぱちくりさせながら首を傾げる。
……あれ、ってことは私ここから出ていかなきゃいけないってこと? と眉間に皺を寄せる。
男所帯に耐え切れなくて逃げたいという考えもあるにはあったが、それとこれとは話が別だ。
なにせ今の千鶴は――。

「……私、お金持ってないんです」
「江戸までの駄賃はやる」
「そうじゃなくて……全財産、何もなくて」

おまけに天涯孤独で江戸に戻っても帰る場所なんてない、ここで働いて暮らしていくしか生きていく道はないと覚悟しているんですと千鶴は切々に説明した。
当然、幹部たちは困った。
そういう環境の人間は少なくはない。よくあることだ自分でどうにかしろ、で済ませてしまったって構わないだろう――……相手が男ならば。
しかし千鶴は年端もいかない女だ。
江戸に帰すにしたってこんな小娘を一人で放り出すのは新選組の立場としても問題だ。

「連れてきちまったもんは仕方ねえだろ」
「だいたい平助、おめーがしっかりしてねえから」
「つーか募集に行ってたのオレだけじゃねえし!」
「実力はあるみたいだし戦力にはなるだろうな」
「女に刀持って戦わせる気か?」
「本人がそれを望んで入隊したわけだし……」

幹部たちによるゴタゴタとした話し合いの結果、千鶴は劣悪な環境下で性別を隠して訓練をこなしてきた忍耐力その他諸々を評価され、屯所に残ることを許された。
結局のところ初日に沖田との手合わせで『自分の身を自分で守れるだけの腕がある』という部分が証明されていたことが大きかったらしい。





つづく
----------
2012.01.10

[前へ][次へ]

[短編TOP]

[top]

×
BLコンテスト・グランプリ作品
「見えない臓器の名前は」
- ナノ -